むしむし

ちっぽけな虫のような私。でもしぶとく生きてま~す♪

光り輝く島スリランカ 4 世界遺産シーギリヤ①

2018-09-27 23:50:02 | 

ただ単に登ってみたいと思っていたシーギリヤロックですが、ガイドのJさんから
この遺跡の説明を聞いた後は、見るもの全てに物語が透けて見えるようで興味深かったです。



アヌラーダプラは、紀元前からシンハラ王朝の都。文明も発達し貯水池や運河は
現在も使われているそうです。そんな時代(5世紀)の偉大な王の長男の物語です。
母は平民の出で、腹違いの弟の母親は王族の血筋。王位が弟に継承されると考えて
王を監禁、王に恨みを持った家来に殺させ王位を略奪、弟はインドに亡命。
王となりシーギリヤに都を移し7年かけてシーギリヤロックの上に宮殿を築き玉座を置いたとか。

入口を入ると「ハスの水路」がお堀のように周りを取り囲むように作られています。
ワニがいたそうですよ。今はいないらしいです。ピンク色のトンボがいました。




「ハスの水路」を渡って小さな階段を上ると庭園。ロックまで1本道がまっすぐ伸びています。
イギリス人が発見するまで1400年もジャングルに埋まっていたそうです。
最初にあるのが王の沐浴場、そして乾季用の宮殿跡。通路を中心に線対象に配置されています。




通路や階段は整備されたものですが、レンガを摘んだ部分は5世紀のものです。
踏まないように見て回ります。何と! オオトカゲがいてビックリでした





黒檀。とても固い木で日本で仏壇に使われているとガイドのJさんが教えてくれました。



この石の穴は高低差を利用。流れる水の勢いで吹き出す噴水の穴なんです。なるほど~



1本道は600mほど。登り口の洞窟、石窟寺院は後に僧院として使われたそうです。



雨水が伝って中が濡れないように一定の場所から下を削ってあります。
流れてきた水は、そこから水滴となって下に落ちるため中が濡れないと言う訳です。
この技術は、ダンブッダの石窟寺院でも使われていました。



猿はここにもたくさんいました。



さあ、いよいよロックに登ります。1200段。あと何段くらい残っているのでしょう。

                             < つづく >

光り輝く島スリランカ 3 世界遺産アヌラーダプラ②

2018-09-25 23:28:13 | 

聖地アヌラーダプラ(අබ්රදාපුර)で次に訪れたのはスリー・マハー菩提樹です。
車は参道に入って行きます。たくさんの旗は仏陀の後光の色です。
色はそれぞれ青(仏陀の頭髪、定根…心を静め乱れないこと)、黄(仏陀の身体、金剛)、
赤(仏陀の血、精進)、白(仏陀の歯、清浄)、橙(仏陀の袈裟、忍辱)を表します。



仏陀はインド・ブッタガヤの菩提樹の下で悟りを開いたとされ、菩提樹は信仰の対象ですが、
この菩提樹はその木の分け木が紀元前3世紀にインドの王女によってもたらされたものなんです。
インドの菩提樹は仏教弾圧の際に切られ、ここの木の分け木がブッタガヤで育っているそうです。
靴を預けての入口は男女別で持ち物検査もあり、とても大切な菩提樹だと感じました。
ガードストーンはイスルムニヤ精舎のと比べるとかなり精巧で、時代の差を感じました。



たくさんの方々が熱心にお祈りをしていますが、青々と葉を茂らせているのは別の菩提樹です。
樹齢2000年の菩提樹は左に伸びた枝で、金色の道具に支えられ上からも吊っていました。



次は紀元前2世紀に作られたというルワンウェリ・サーヤ大塔。10分ほど歩いて行きました。
仏塔は日本では五重塔で、仏舎利(仏陀の遺骨)が祀られています。
参道の周りにはたくさんの猿たちがいて、電線にはコウモリが引っかかっていました。
黄色の花が美しいゴールデンシャワーや合歓の木、ガジュマルなどが木陰を作っています。



猿、鳥以外にも、たくさんの牛たちが草を食んでいたり犬が寝そべっていました。
ルワンウェリ・サーヤ大塔は白く輝き、周りを300頭以上の象が守ってトップには水晶が!





この白さは毎年塗り替えられているからで、どこの仏塔(ダーガバ)も白くきれいでした。
スリランカでは満月の日が祝日(ポヤ・デー)で仏教徒は体を休め寺院に参拝するそうです。
そして6月の満月は仏教が伝わったお祝いもあり、最大のポヤ・デーです。
その日にはきれいになるようにと毎年4~5月から白く石灰を塗るという事です。
この大きさを塗るのはとてもとても大変だと思いました。

後ろからにぎやかな太鼓の音や音楽が!振り返ると太鼓を先頭に大勢が歩いてきます。
長い布を運んでいるのですが、村や会社などのグループでお金を出し合って布を奉納するとか。
みんなでダーガバの下の方にぐるっと巻きつけます。
このダーガバに巻かれた布は、一定期間の後に袈裟等として使われるそうです。



たくさんの遺跡の説明を聞いたのですが、あやふやな事が多く調べながら書いています。
これは黄金宮殿といわれるローハ・プラサーダの遺構で、手前はチケットブースです。
1600本の柱に支えられた9階建ての巨大な建造物だったそうです。



                         < つづく >

光り輝く島スリランカ 2 世界遺産アヌラーダプラ①

2018-09-24 08:07:28 | 

北海道の8割ぐらいの広さのスリランカには現在8つの世界遺産があります。
今回はこのうち6つの文化遺産を訪ねました。残りの2つは自然遺産です。

最初に訪れたのはスリランカ最古の都アヌラーダプラ(අනුරාධපුර)です。
今から2500年以上も前,
紀元前からシンハラ王朝として栄えていたそうです。

紀元前3世紀にインドの王子によってスリランカに初めて仏教が伝えられ、
王は仏教を保護し、イスルムニヤ精舎を建てたという事でスリランカ最古のお寺です。
靴を脱いで預け、帽子を取って入口を入るとイスルムニヤ精舎が見えてきました。



日射しが強く、靴下を履いていても足の裏が熱く感じられました。
右側の岩を彫るようにして建てられているのが御堂。元々は僧院でした。
階段の上り口のところにムーンストーン、左右にガードストーンが。




御堂を出るとリスがささっと本堂の瓦のすき間に入って行きました。



御堂の隣に後に建てられた本堂があり中には極彩色の涅槃像。信者の方がお祈りしていました。
本堂を出ると、右側の岩の割れ目にコウモリの巣がありました。さすがロック・テンプル。



アップにするとたくさんのコウモリがいるのが分かります。



そして本堂(信者の方に遠慮して写真は撮れず)の隣の宝物殿へ。

右上は「恋人の像」、友人が撮っているのが「王族の像」です。
ともに5世紀の作品ですが、モデルとなったのは紀元前2世紀の王子と恋人マーラ。
マーラのカーストが低いため二人の仲は認められず、王子は身分を捨てようとしたそうです。
結婚後とされる「王族の像」でも、マーラはとても小さく隅に彫られています。
他の二つは「餓鬼」です。日本のものととても似ていると思いました。



裏側に回り、岩山に登りました。御堂の脇の沐浴場や入口が見えました。



遮るものがなくダーガバ(仏塔)の他は、緑がどこまでも広がっていました。

                           < つづく >

光り輝く島スリランカ 1 野生の王国

2018-09-22 23:04:18 | 

友人に誘ってもらってスリランカ(ශ්රී ලංකාව)に行って来ました。
インドの東側に浮かぶ、地理でセイロンと習った島国です。
1948年にイギリスからセイロン自治国として独立し、
1972年にスリランカ共和国と改称、現在の国名はスリランカ民主社会主義共和国です。
“スリ”は「光り輝く」、“ランカ”は「島」という意味です。

申し込んだツアー参加者が私たち3人だけ!という事で、
ガイドのJさんと運転手さんとの贅沢な5人旅となったのでした

たくさんの野生の生き物たちに出会うことができました。
先ずは一番感動した象の群れです。



ジープで走って走って、昼間はブッシュの中にいる象たちが夕方水辺に来るのを見にいきました。
すごくたくさん、いくつかの群れのようです。70頭までは数えたけれど数えきれなかったのでした。





水を飲んだり、水をかけたり、かけ合ったり。なんだか楽しそうでした!



草を鼻でむしり取り、鼻を振りながらまとめたら口へ。ひたすら食べ続けていて小象は食べたり休んだり。
ジープは本当にすぐそばまで近づくけれど、邪魔をしないように象が近づいて来ると道をあけるのです。



大きな声をあげて走り回っている小象もいましたよ。可愛らしくて!
親がやって来て落ち着きました。探していたのかしら?見入ってしまって写真は無しです。
水たまりの泥水をかけていました。小さな小象も一生懸命かけていましたよ。



調べてみると日本とスリランカは、愛によってつながっていました
1951年第二次世界大戦後、日本が国際社会へ復帰したサンフランシスコ講和会議で、
スリランカのジャヤワルダナさん(後に大統領)が日本を擁護する演説を行い、
日本の独立回復の議論に大きく流れを変えたのです。
仏陀の「憎悪は憎悪によって消え去るものでなく、ただ愛によって消え去るのみ」を引用したそうです。

彼はその後もたびたび訪日し、90歳で亡くなる際に献眼、角膜提供したのですが、
「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、
片目は日本に贈られ、長野県の女性に移植されたとありました。

                    < つづく>

フェルメール と 顕微鏡の父レーウェンフック そして 福岡伸一

2018-08-30 23:13:48 | トピック

そごう美術館の「フェルメール光の王国展2018」に行って来ました。
特別の期待もせずに行ったのですが、おもしろくて2時間以上も見入っちゃいました。

幼い頃に昆虫少年だったという生物学者の福岡伸一氏が監修しているのですが、
フェルメール作と認識されている全37点作品を原寸大で鮮やかに再現(リ・クリエイト)し、
描いた順番にしかも所蔵されている美術館とほぼ同一の額装を施してあるのです。
り・クリエイト作品なので撮影も可でした。【真珠の耳飾りの少女】



リ・クリエイトとは、原作の画像データをもとに色ヒストグラム解析、デジタル修復技術、
紫外線プリントなど現代の画像・印刷技術を使って再現。これは海外でも話題になり、
「真珠の耳飾りの少女」を所蔵するオランダのマウリッツハイス美術館から
リニューアルオープンの際コマーシャルキャラクターに抜擢されたそうで
そのコマーシャルも流されていて、これがまた秀逸でした

福岡氏の考察にぐいぐい引き込まれました。
昆虫少年だった彼は顕微鏡の父と言われるレーウェンフックに興味を持ち、
同じオランダのデルフト生まれで同じころ活躍したフェルメールにも惹かれていったそうです。
レーウェンフックの顕微鏡は金属板に穴をあけ小さなレンズをはめたものですが、
500もの自作顕微鏡で観察を続け、赤血球や細菌、動物の精子も彼の発見とは驚きです。



そしてフェルメールはカメラ・オブスクーラを使っていたとされています。
これは、今のカメラの基になった物でカメラは「部屋」オブスクーラは「暗い」という意味で、
部屋の壁に小さな穴をあけると反対の壁に外の景色が逆さに映る現象から、
箱に穴をあけレンズをはめ写った景色を紙に写し取る物で、画家たちが素描に使ったとか。

フェルメールの作品を見るために世界を巡った福岡氏は二人が生まれ住んだデルフトも訪れています。
フェルメールの作品に登場する天文学者と地理学者のモデルは、レーウェンフックではないか?
レーウェンフックの綴った手稿のスケッチの一部はフェルメールが描いたのではないか?



さまざまな根拠も示されていて、とても興味深かったです。

会場には作品に何度も描かれている楽器「ヴァージナル」なども展示されていて
夏休みの子どもたちも楽しんだことが想像されました。



この秋から始まる上野の森美術館「フェルメール展」には本物が8点来るそうです。
福岡氏の解説を思い出しながら観賞したらおもしろそうです。

孫がいたから  ~色水実験~

2018-08-18 11:21:18 | 暮らし

朝顔を使っての色水遊びは、孫たちとの夏の定番です。


趣向を変えて、実験をして遊びました。
前日に百均でスポイトを密かに購入。
青とピンクの朝顔を摘んで来て色水をたくさん作ってペットボトル一杯に。
「準備できたよー!」と呼ばれたので、早速、実験開始です。


最初は「酢」。スポイトで注いでいくとピンクに変化しました。
目が輝くのを見るのが楽しい


次は「日本酒」。私のとっておきを少しだけ提供
変化なしでした。  へぇ~!


柑橘系はギュッとしぼって。残りは全部弟の口の中へ
ピンクに変化。


「たまねぎ」は先ず包丁で小さめに切ってニンニクつぶしでギュッと圧縮。
なかなか力が必要です。園児にはつぶせず、尊敬の眼差しが注がれました




デジカメで撮影、画像をエクセルに貼りつけ、印刷したものを画用紙に切り貼りしていました。


実験、おもしろかったね! また遊ぼうね!!

奥土湯温泉 照南湖ビオトープ

2018-08-07 16:33:34 | 

チョウトンボ


先週末、福島県で法事がありました。
それぞれ世代が代わり、このメンバーで集まるのは最後となりそうです。
そんな訳で自分の仕舞い方にもいろいろ思いが及びました。

帰りの東北道は渋滞もあり、かなりの時間を要しました。
運転担当の夫は、次の日を完全休養日に充てたようです。お疲れさま!
日帰りはきついので温泉泊。4年前に日帰り湯で利用した奥土湯の川上温泉。
その時に里帰り出産と話されていた娘さん、4歳の子と里帰り中でした



日帰り湯で寄った時に男湯だった立ち湯に入りました。とっても深くてびっくり。
私はチビなので立って肩まで浸かってしまいました。手前側1mくらいは浅いです。
大きな浮き輪が置かれていて子どもも安心です。


早く休んだので4時には目が覚め、半洞窟風呂に入りました(夜9時半に男女入替え)。
露天なので、美声で有名なカジカガエルがいました。


カジカガエルと雲の色が変わるのを眺めながらのんびりしました。

宿を出る時に教えてもらった照南湖へ行ってみました。


周囲400mほどの小さな湖で、昭和40年代までは県営のスケート場。
次第に凍結しなくなって放置され、8年前にスイレンが自生しているのが分かり、
スイレン400株を植えるなどビオトープパークとして保全することになったそうです。


オニヤンマ、ギンヤンマ、チョウトンボ、キイトトンボ、クロイトトンボなど、
名前の分からないものも含め、たくさんの種類のトンボが飛んでいました。

トンボの交尾にも遭遇できましたよ


ウツボグサ


ギボウシは宿の周辺にも、湖畔にもたくさん咲いていました(何とアジサイも)。


ギャーという声の主はアオサギでした。フナをつかまえたり高い木の上にいたり悠々としていました。


湖畔を2週も周って、トンボたちを追いかけて、癒されたひと時でした。

ハンドメイド に チャレンジ!

2018-07-28 22:13:53 | 暮らし

伯母の家と姑の部屋の片づけをして出てきた生地や糸たち。
捨ててしまえば良いのでしょうが、なかなかそうもいきません。
着物類は古布で作品を作っている友人に引き取ってもらい、すてきに生まれ変わっています。

私も下手なりにハンドメイドにチャレンジしてみました。
先ずは、たくさんある生地の中から木綿でこの時期のホームウエア短パン!
長さを変えて3着。ひとつは母が「ラクそうね。」と持ち帰ってくれました。



次は中途半端な量の刺繍糸で白いTシャツに刺繍を。
娘のウエディングアクセサリーの残りのビーズも使ってみました。
下絵も描かずに気の向くままに刺したので、予想外の形に



そして厚めのリネンを裂きました。何を編むか思案中です。



紫陽花の季節 北鎌倉「明月院」「長寿寺」 ②

2018-06-24 23:37:23 | 植物

紫陽花で名高い明月院には、ピークを過ぎたとはいえたくさんの人が訪れていました。
本堂の丸窓「悟りの窓」から見る後庭園は独特の風情があり、写真撮影スポットとしても人気です。
この日も写真撮影待ちの行列が、長く長く続いていました。

明月院を後にして足利尊氏が創建したと言われる長寿寺に向かいました。
春と秋の金・土・日と祝日のみ公開されている寺院です。

本堂でお参りをしてから書院や小方丈で少しゆっくりさせていただきました。


手入れの生き届いたお庭を拝見。美しさに心が満たされていきます。


トンボが飛んで来て、息を止めて何度もシャッターを押しました。


境内奥の石段を上がるとやぐらがあり、足利尊氏の遺髪を埋葬したお墓がありました。


静かな境内をゆっくり楽しませていただきました。




                         < おしまい >

紫陽花の季節 北鎌倉「明月院」「長寿寺」 ①

2018-06-22 21:20:19 | 植物

パソコン教室で鎌倉へ撮影に行きました。
北鎌倉で降りたら、この時期はやはり明月院でしょう!
明月院ブルーと呼ばれる濃い青をを始め、たくさんの種類のアジサイに出会いました。




前ボケ、後ろボケにチャレンジです!


手作り品も明月院ブルー


紫陽花がとても似合っていました。


紫陽花の競演



玉ボケにチャレンジ!


ボタンクサギのつぼみ。この花が開くと夏の始まりです。


                         < つづく >

明治神宮御苑  ~ 花菖蒲 ・ 清正井 ~

2018-06-10 16:58:29 | 植物

小中学校時代の友人と花菖蒲を見に明治神宮御苑へ行きました。
原宿の駅で待ち合わせ。何十年ぶりにしてはあまり変わっていません。

参道の途中、左側に御苑の入口がありました。
ここが東門で維持協力費500円を納め、歩いて行くと大きな池が見えてきました。



白とピンクの睡蓮が咲き、大きな亀や鯉が泳ぎ回り、奥にはアオサギも。
この池は南池(なんち)と称される自然の古池なんだそうです。

先に進むと花菖蒲田が見えてきます。
花菖蒲は日本伝統の園芸品種で江戸系、伊勢系、肥後系など江戸時代から今まで
盛んに育成されているそうで、ここにあるのは江戸系の原種150種1500株です。



何と日本人好みの色と形なんでしょう。ずっと眺めていたい美しさでした。



この地は江戸初期には加藤家下屋敷の庭園で、加藤家が絶え井伊家の下屋敷となり、
明治時代に宮内庁の所轄になり、明治天皇が皇后のために菖蒲田を作らせたそうです。



花菖蒲田の奥に加藤清正が掘ったと言われる清正井があります。
ここ数年パワースポットとして人気があるようです。
加藤清正は武将として名高いだけでなく、名古屋城や熊本城を築城し、
治水・干拓にも優れ「築城の名人」「土木の神様」と称されていたそうです。
この清正井は都会では珍しい湧水で年間を通じて15℃毎分60ℓの水量で渋谷川に流れます。

散策の後に明治神宮にお参りし、ランチは友人行きつけのメキシカンダイニングへ。
お互いの近況やこれから、そして様々な情報交換などなど、話は尽きないのですが、
早々に切り上げて、体調不良の母が待つ実家へ向かいました。
通勤で使っていた新玉線が田園都市線、田園都市線が大井町線と名称変更して、
実家に行く時はいつも頭を悩ませながら路線図とにらめっこです。

今が盛りの美しい花菖蒲に、清正井に、友人とのランチに、エネルギー注入しました。

ベランダからの花火  ~逗子海岸花火大会~

2018-06-01 23:16:57 | トピック

遠くでお腹に響く音が??
そう!花火の音です!!



今年もベランダからいろいろな方向に花火が楽しめそうです。
今夜は南です。
ネット検索の結果、逗子海岸花火大会でした。

トキワマンサク

2018-04-04 23:12:15 | 植物

マンサクの花は黄色と思いこんでいました。
この春は、赤いトキワマンサクにたくさん出会いました。


母とお墓参りの後に、実家の近くでランチ。ここにも植えられていました。

職場の周りにもたくさん植えられていました。何で今まで気づかなかったんでしょう?

ピンクと赤があるようです。



高尾の駅から森林科学園までの道でも出会いました。



マンサクは落葉樹ですが、トキワマンサクは常緑樹。
その変種、ベニバナトキワマンサクが作られてからは生け垣や街路樹に大人気だとか。
リボンのような花びらがおもしろいです。

今年は黄色のマンサクの写真を撮ることができませんでした。
黄色のマンサクは素朴で、早春に咲くので暖かなイメージです。
なんだか見たくなってしまいました。北の山にでも行かないと叶いませんね。

桜以外も満喫!  ~ 高尾へ ~ 

2018-03-31 23:29:40 | 植物

桜を楽しみに行ったのですが、足元にも春の草花が咲いていました。
桜以外の花をあまり見ないで歩いてしまいました。
桜に圧倒されたと言った方が当たっているかもしれません。
ぜひまた、いろいろじっくり観に来たいと思います!

サクラ保存林を後にして入口までに出会った草花をご紹介します。

この2種類のスミレ、違いはよく分かりませんでした。
アオイスミレ

タチツボスミレ



こちらは葉の形が全く違うので分かりやすかったです。
エイザンスミレ


小さな可愛い花でした。オオルリソウ


出会えて嬉しかったのが、エンゴサクです。


                                < おしまい >

桜を満喫!  ~ 高尾へ ~

2018-03-30 22:58:02 | 植物

知床の友人から「桜を観に、ぜひ行くと良いよ」って教えてもらった森林科学園。
見学できるのは、森の科学館、樹木園、サクラ保存林。
25年越しでやっと行くことができ、サクラ保存林の桜を満喫してきました。

8ヘクタールと広いサクラ保存林。種類も多く、歩きながら桜の魅力に圧倒されました。

素晴らしい景色を写真に収めようと四苦八苦しました。
右から左、180度以上に渡って様々なサクラが咲き誇り、収めることはできませんでした。

巨木がとても多かったです。各地の銘木のクローンが多く植えられたいるからです。


カンヒザクラ



ウスガサネオオシマ




ベニヅルザクラ



エドヒガン


センダイシダレ


ヤエベニヒガン





クシマザクラ



ササベザクラ


ゴショミクルマガエシ



シロタエ



まだまだたくさんのサクラを撮ったのですが、なかなかうまくいきませんでした。

                                < つづく >