最終日は、前沢牛をいただくために水沢の「おがた」へ。
甘くとろけるような前沢牛、日本の技に改めて感謝しました。
満腹の一行は、毛越寺に移動して散策し、古川から新幹線に乗って帰りました。
さて、2泊お世話になった宿はホテル観洋。目の前が海。
最後日の朝は、日の出とカモメのショーが繰り広げられました。
(4時起き!遊びだと起きられま~す!)
ホテル観洋は、震災時に600人の被災者を受け入れて衣食住を提供し続けたと報道されていました。
町の建物の7割が流されるという大きな被害を受けた南三陸町から少し離れた高台に建っていることもあり、
被災したのは2階天井まで、震災直後は宿泊客、従業員、近隣の被災者の350人ほどで孤立状態、
情報も電池を気にしながらのラジオのみだったそうです。
1週間は籠城か?と、すぐに1週間分の献立を作り、トイレ、お風呂を含む水のルールも作り、
スタッフは笹かまぼこ1枚を分け合いながら、宿泊者も被災者もお客様としてもてなしたといいます。
後で調べて知ったのですが、ホテル観洋は関連の水産加工会社が流されたり、
倉庫で腐ってしまった魚の被害だけで22億円に上っていたそうです。
5月からは600人を受け入れたそうですが、学生のいる家庭と経営者の家庭を優先したいと申し入れたとか。
人がどんどん減っていく中、子どもが転校したらすぐに戻ってこられない、
雇用が生まれなければ生活できないという思いからだそうです。
9月に受け入れていた被災者が仮設住宅に移ってからは「観洋ぐるりんバス」で仮設住宅を巡回運行したり、
今では様々に行われている被災地ツアーを、従業員による語り部バスツアーとしていち早く始めていました。
もちろんそのころ地元では、震災で商売するのかという批判の声も多かったそうです。
今回私たちも参加、語り部の方からたくさんのエピソードをお聞きしました。
卒業式を控えた小学校の職員会議で避難場所の変更を強く提案した先生の意見から
直近で変更になり子どもたちが助かったこと、宴会中だった老人会の人たちの避難時、
とっさの判断で奇跡的に全員助かったこと、防災庁舎での避難呼びかけアナウンスは
女性職員から最後に上司が変わり、その方の遺体はまだ見つかっていないことなどなど。
復興に向けての計画がどのように進むのか、盛り土かさ上げを年月とお金をかけてやっていくのです。
けれども働く場の創出という観点は、まだ何も考えられていないようです。
早く地元の経営者が活性しないと年月を持ちこたえることができずに流出してしまい、
チェーン展開の店舗ばかりになってしまうというホテル観洋の考え方のような
地元経営者目線が全く感じられずに、とても残念でした。
あまりにも高い津波、あまりにも大きな被害。
現地で、そして経験した人からの言葉で語られて胸に突き刺さりました。
被災地は自然豊かで温泉もたくさん、歴史もおもしろく見どころ満載です。
私の年代なら放射線の影響も気になりませんし、被災地には何度も訪れたいと思います。
おしまい