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2016-01-30 11:16:18 | 日記
高校選手権から考える。「自由にプレーさせる」の真の意味
池上正(京都サンガF.C.育成普及部長)

セクシーフットボール【名】せくしー・ふっとぼーる
2005年度全国高校サッカー選手権大会を制した滋賀県立野洲高校のサッカーに対し、メディアが名付けた呼称。ドイツでプレーする乾貴士らを擁し、トリッキーなプレーやドリブル、鮮やかなパス回しで「観客を魅了するサッカー」を形容したもの。

■池上さん解説■
「自由」をはき違えてはいけません
「セクシーフットボール」という名称が盛んに報道されたとき、私は祖母井(秀隆=京都サンガ前GM)さんと「サッカーを表現するのに、あまりふさわしくないよね」と話したことを憶えています。
「今の攻撃はエレガントだったね」
 オシムさんは、個々の技術が高いプレイヤーたちが華麗にパスをつなぐサッカーを、「エレガント」という形容詞で表現していました。選手が連動し、流れるようにボールがつながった末にゴールに流し込まれる。私はこちらのほうがしっくりきます。
 注目された当時の野洲高校は、攻撃を個人の自由に任せていたように思えました。よって、試合を見ていても、選手たちは本当に楽しそうにプレーしていました。いいときはどんどんパスをつなぎます。表現は適当ではないかもしれませんが、ある意味相手を翻弄するというか、もてあそぶようなプレーが観客をうならせていました。
 野洲高校は優勝しましたが、同じように選手に自由にやらせているチームを見ていると、自分たちの技量が上でうまくいくときはゴールを量産し大勝しますが、自分たちより上の相手にうまく守られてしまうと、どうしようもなくなるようです。
 苦しいときに誰かが味方を助けるプレーをしたり、抑えられているときにチームをどう立て直すかをみんなで考えて取り組んだり、という様子が見られません。助け合ってボールを奪い取るなど、抵抗することがあまりなく大敗してしまうのが残念です。
「自由」の意味をはき違えてはいけません。自由だけど、真面目に取り組む、協働する面が出てくれば本当にいいチームになるでしょう。それとは対照的に、今年度の全国選手権で優勝した東福岡のように、よく鍛えられていて個々の役割も明確で真面目に頑張るチームが、野洲のような自由さや闊達さを身に付けると、もっとよくなるでしょう。
http://jr-soccer.jp/2016/01/26/post45252/

二年生のボランティア01.28

2016-01-29 17:17:23 | 日記
やってみせ
言って聞かせて
させてみせ
褒めてやらねば
ひとは動かじ

話し合い
耳を傾け
承認し
任せてやらねば
人は育たず

やっている
姿を感謝で見守って
信頼せねば
人は実らず

山本五十六


冒頭の言葉はよく耳にするのだが、意外にその続きは知られていない。

26日、28日の練習中に2年生キャプテンに、唐突に投げかけてみた。
「ちょっとしたボランティア…どう?」
快諾してくれた。比較の対象は何かは別にして。
いつもお世話になっている小学校グランド。おそらく次の日には用務員さんの大仕事。
2年生みんなで作業開始。私も微力ながら参加。

28日にも、同様な校庭の状況。
キャプテン快諾。
この日は遠くから見守ることに…
なんだかんだで、あっという間に一掃された。
キャプテンのリーダーシップもさることながら、
どの子も自分なりの役割を見つけて無駄がない。
「信頼せねば 人は実らず」
育つだけではなく、実りの感じられた幸せな時間だった。
本物になりそうな予感。

予感ですが…

小さいことが、いけないのか?

2016-01-18 22:32:42 | 日記
ある団体の会議。というか新年の集い。
その多くの人は、18歳までの子どもたちを預かっている人たちのはずなのに。口を出る言葉は「日本代表」「Jリーガー」「全国大会」…

昨日の子どもたちは?、明日はどうするの?彼らの3年先は…

今をじっくり見て、その先をイメージする。子ども一人一人の可能性を慮る。人間性全部を丸抱えて考えているのか?「小さい」「遅い」「スピードに欠ける」「イメージが貧弱」その判断の本質は何処にある?

分かった気になっていることが、一番危ない。

この年代を預かる以上、グランドに立つ子どもたちの声と行動から、未来予想図を描く努力こそが指導者の責任。〇〇クリニックから練習メニューを、〇〇トレセンのメニューを探している指導者、それを使うだけのチーム。当たり前だと言われていることは、実は大人が考えた先入観であることが多い。

大切なのは、今日の子どもたちの姿。週末の試合での子どもの姿から何を具体化するか。その先は半年後。来年ではない。18歳を過ぎて、どんな大人になっているかが、指導者の醍醐味だ。