セントラル豊橋FCジュニアユース 

セントラル豊橋FCジュニアユースの情報です

他ブログからの示唆

2016-05-30 21:20:43 | 日記
今の三年生へ

判定に異議を言って腐るのは輩だ。
判定に異議を示して腐らないのは普通だ。
判定に異議を示さず、腐らないでペースを上げて初めてサッカー選手だ。

周りに染まるな!

ミランのNo.10

2016-05-26 06:15:38 | 日記
“凡人”である本田圭佑がなぜこの位置にいられるのか?

 というのも、僕はサッカーの能力でいえば、本当に低いと言わざるを得ない。

 それは小さい頃から常に実感してきたことで、ガンバ大阪のジュニアユースに所属していた時も、周りにいた同級生の方が明らかに上手かった。当然のことながら、ガンバユースに昇格できなかったんです。普通の人間だったら、そこでプロになるのを諦めるのだと思う。でも、僕にはその逆境こそが必要だった。

 結果的には星稜高校に進んで、名古屋グランパスに入って、21歳でオランダのフェンロに移籍した。自分のイメージからすると、随分遅いけれども、29歳の今はミランの10番を背負っている。“凡人”である僕が何で、ここまで来れたのかと言えば、逆境をバネにした精神力と圧倒的な努力なんです。

 日本代表の練習でも、スキルの面では自分より上手いなと思う選手がたくさんいる。特に若い選手は、細かいタッチが上手で、思わず感心してしまうことすらある。

 そんな自分がなぜこの位置にいられるのか? 何度も言うように、サッカーはスキルだけではない。むしろスキル以外の部分が勝敗を分けることも多々ある。僕はそのことに早い段階から気がついて、真剣に着手した。試合に勝つために大事なものは日々の努力で補える。今、目の前にある課題、困難な問題をいかに解決するのか。それをサッカー選手・本田圭佑としては証明してきたつもりではある。

 もちろん、もっと上はあるし、それを目指している。でも少なくとも、サッカー選手としてスキルでは並の人間が、ミランの10番に行き着くまでの道は見えているわけです。

僕が誇れる本当の武器は――。

 人間は誰しも知らず知らずのうちに、自分で自分の限界を定めてしまっていることがある。しかも、限界というのは自分自身ではなかなか取り外せないもの。その意味でも外側から常識を外してあげる作業はとても大事です。

 本当に伸びる人間は、やはりいい人間との出会いがある。

 僕自身、本当に今まで巡り会えた人に助けられたからこそ、自分の枠を大きくしてビジョンを広げられたのだと思っている。

 僕は“凡人”だし、それを僕自身が自覚している。

 何が人より優っているのかというと、“決断力”と“行動力”なんです。僕が考えているよりも凄いプランや天才的なアイディアを持っている人はたくさんいると思う。でも、それを実行に移せないまま終わってしまうケースが圧倒的に多い。

 僕は自分が信じた道は、リスクを恐れることなく突き進むことができる。それは自分が誇れる本当の武器だと思っています。


写真と記事は無関係です。

うらおもて

2016-05-23 11:22:55 | 日記
昨晩もリーグ戦終了後に、小牧から豊橋に帰り解散。夜19時キックオフは、帰宅は23時近くだろうか。日曜日ナイター続くと学業が心配。試合に出かける前の昼の時間をどう過ごすかが肝心。タイムマネージメント力が問われる。文武両道をこなせる子の大きな資質の一つ、タイムマネージメント力。計画性のない子は流されずに、言い訳せずに両道を目ざして欲しい。それが出来なければ、何をやっても目の前のことにしか対応出来ない。目の前の事にすら対応出来ない。「チーム」として活動する事の意義は、こういう所にもある。個人的な都合をチームの予定に合わせて、生活を適応させる。当然柔軟性が問われる。個人種目ではあまり考えないこと。大人に決められるようでは、いつまでも適応力は向上しない。

リーグ戦終了後の会場で、ひとりスクイズボトルを片づける子。調子が悪い訳ではないが、調子の良すぎる二年生が試合に出ている。この日も出場機会はなかった。胸の内は穏やかではないのも理解できる。面白くない気持ちを抑え、チームのために行動を起こす。ぼんやり何も行動として起こさない子との「気づき」と「がまん」の格の違いを感じました。照明を浴びて試合に出ている子。出られずに暗闇の中チームの活動を支える子。このうらおもては、どちらが良い悪いではない。この先の人生に必ず力になるのは、うらの姿である事。最後まで信頼できる「大人」への必須条件。アップ着も用意せずに試合に来る子とは、これからの「のびしろ」が断然違う。

【写真と内容は関係ありません】

2016.05.13今日のひと言

2016-05-14 07:40:09 | 日記
すべてが自分の
思った通りになれば
結局、自分が思っている程度の
人間にしかなれません。

自分の思った通りに
ならないからこそ

時々思いがけない
試練がやって来るからこそ

わたしたちは自分の想像を
はるかに超えて
成長できるのです。

片柳弘史(著述家)


「夢」をかなえることには、試練がつきものだという事です。