セントラル豊橋FCジュニアユース 

セントラル豊橋FCジュニアユースの情報です

そして、もう一節!

2018-06-21 23:04:20 | 日記
日本人が、育成年代の親も指導者も覚悟すべきこと。


子は親の鏡
IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 父と母の役割
 アメリカの教育学者ドロシー・ロー・ノルトの言葉から一部を紹介します。
親が他人を羨(うらや)んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、がんばり屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
(石井千春訳)
 親の誠実さ、考え深さは、子どもにそのまま映り込むものです。このドロシー・ロー・ノルトの言葉は、子を深く愛する親なら、ぜひ心に刻んで欲しいものです。
 愛する子どもががんばれない要因の一つが、子という「親の鏡」に映し出された自分自身にある。そのことに気付かない親が実に多いのです。
 子が自分の弱さに直面して前進できずに苦しんでいるのに、指導者のような批評をして見せ、挑戦者の前で「奈落の門」を大きく開いてしまう親さえいる。それは子のために良かれと思っているなら二重に愚かなことです。
 死を賭して子どもを愛する親の思いは本物だろうが、ただこれだけは言えます。「子どものことは一番わかっている」と思っていることが子をダメにする。「誰よりもわかっている」という思想が危険なのです。
 子の弱点は、しばしば親自身が気付かずに持っている弱点でもあります。子を広い世界に飛び込ませ、その弱点を周りの方々に否定され鍛えていただくことこそ賢明な方法です。親以外の多くの方の知恵と愛情で、彼の足りないものを身につけさせていただくことが賢い愛情なのです。
 勝負する子どもは親を安心させたいと思っている。強がりであれ、オブラートであれ、ちょっとの嘘であれ、重大な心の闇を露わにはしません。グラウンドでの無様(ぶざま)で情けない現実は、決して親に語りはしないのです。
 子どもは親を超えるものです。親に彼の進む道のアウトラインを描けはしません。例え描いても、それは「親の願望」という幻にすぎません。
 道は自分で歩く。あなたの子は今、そういう時なのです。知らんぷりする賢さを親は持ちなさい。子どもを深く愛せない親は最悪だが、もっと性質(たち)が悪いのは子どもを突き放す勇気のない親です。
 「理想の親とはなんですか」と問われたら、「お前の夢に向かってがんばって進め。金などなんとかする」と背中を押せる親であり、私たち指導者に「まかせましょう」ときっぱり語れる両親だと答えたい。

まさに今、共感できること

2018-06-20 16:59:44 | 日記
ふっとのぞいたサイトから拝借。今、心から実感していることです。


母の愛
IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 父と母の役割
 母の愛情ほど尊いものはない。絶望の時も、世界中が自分を見捨てた時も、じっと自分を見ているやさしい愛。命を賭しても子どもを守ろうとする最も動物的でさえある愛。こんなありがたいものはありません。私たち一人ひとりは、このような愛に支えられて大人になったのです。
 だが、この尊い愛が子の「成長」の桎梏(しっこく)になる時もある。子どもが大人になるべく挑戦をしている時は、愛の表現方法も変えねばならない。その尊い愛が堕落の凶器にもなるからです。そんな事例を、私は何度か見せられてきました。
 練習が厳しいほど、少しでも愛する子に休息を与えたい。そう願う思いが、選手として、大人として当然の仕事を奪う。
例えば、汗を流した物の洗濯や手入れ。
例えば、自分で起きるという必須のこと。
例えば、自分の食器を洗い元の場所に置くこと。
例えば、自分の生活空間にかかわる場所の掃除。
 ここまでは、戦う選手になる前の、挑戦者としての心構えの話です。「大人になる彼らを育てる」ことに視点をすえれば、結果を正しく導くことは難しくないはず。
 わが子の苦労を軽減させようと肩代わりすれば、逆に彼らの心を成長不全にしてしまう。目標に向かって子どもが変わる時期には、愛の形も変えなければならない。
 人はギリギリの苦労を通してのみ成長します。例えば自分の夢のために、本物は口だけではなく、だれよりも全精力を傾けてサッカーに向き合うこと。それを自分で判断し、早く寝て、栄養をとり、頭が腐るほど考え、自分を奮い立たせること。
 それには人としての自分の意思が幼稚な自分を駆逐する以外にありません。親離れとは「自分のために自分が選んだ夢」に向かって、人としての責任を自覚することなのです。
 朝、まだ親に起こされている人間が、果たしてまともな選手、まともな人間になれるのかどうか、言うまでもありません。
 動物には巣立ちがある。子ども時代が最も長く与えられた人間には、成長段階に合わせた賢明な子育てが求められます。
 青年の未来を憂うのは、親の行為が彼らを正しく導けない時です。例えば、起こしてもらえなかったからと「起こしていただいている親」を怒る、車に乗っても、車に乗せていただき夢に協力してくれている母への感謝の言葉もなく、社長付き運転手のように扱う。ご飯のときも「栄養のバランスがとれて自分の好みのものが出てきて当然」、汚れて帰って来た寒き夜は「風呂はいつでも湧いていて真っ先に入って当然」、ストレス発散したい時は「遊ぶ金も必要な時に嘘言ってでももらうのが当然」、稼ぎもないのに「ブランド物の財布や高価な携帯など、他人が持っているから自分が持っても当然」、「親から送られてきた高価な食糧が部屋の外に捨ててある」、そんな部屋には「人さまの部屋なのに壁に穴あけても心が痛まない」といった勘違いした挑戦者がいることです。
 こういう光景を見たことがあります。一流選手が捻挫して家に帰り「悪いけど母さんポリ袋あるかな」と言って氷を板状にしてアイシングをする。その隣の家では三流選手が「捻挫したから早くコールドスプレーを買ってこいよ」と母親に命令する。それは見事なコントラストでした。その後の彼らは想像する通りでした。彼らはみな本来、前者になるべきです。
 言えばすぐ要求された通りの豪華なスパイクを買い与える親と、親に感謝して丁寧にスパイクを使う選手の対比もよくある話です。
 愛情の桎梏は「他の親よりもっと深い愛情」で「わが子の苦労を軽くしたい」という思いが、彼ら挑戦者の成長に不可欠な「苦労」をも取り払い、常識知らずの幼稚な大人にしてしまうこと、社会に適用できない人間にしてしまうことにあります。
 誰のために今自分は努力するのか、要はそのことを彼らが自覚できているか、そのことに目覚めているのかが大きな差を生むのです。親子で手取りあって努力するという名目で、親の思いと努力が前面に出るのは小学生年代で終了していなければなりません。
 ここで父性が力を発揮することになります。挑戦者になれと子どもに説教できるためにも、父は正義でなければいけません。
 妻に尊敬されない親父が子どもの心に響く話などできません。幼稚な子どもと母親みたいな父親の会話は「ヘンテコ」に決まってます。だからこそ父親は尊敬に値する生き方をしないといけない。子に目標にされないと価値がない。これが父親独自の仕事のはずです。本当はここが一番大切なのだが、それはまた違う機会に書くことにします。
 「自覚して行動する」。これが育成年代の選手を成長させる「キーワード」です。特に高校時の集団生活は、まさにそこを培い、大人になるために欠かせないものを与えてくれるのです。
 子どもが私のすべてだという母の愛情が、その本意である「スポーツを通じ、自分の子どもが自分を越えて尊敬される大人へとなる」その力となるには、そこから一歩引いた、賢い愛情表現と彼の将来を見据えた思慮深さがなにより求められます。
 ただし、男の成長過程には、男の性が持つ独特なものがあります。母親自身は実感や想像すらもできないことを、賢い母はまた熟知しておく必要があります。ここは大切なところです。母はなかなか父にはなれない。父が母になれないのと同様に。
 一言で言えば「変な愛情を与えるより、突き放すのが一番」ということです。

2018年6月7日OB情報

2018-06-07 22:29:48 | 日記
この日はたまたまフットサルコートでの練習。
その帰り時、OBの川村宥稀にばったり出会う。
当時から大人の男の受け応えの出来ていた、類稀な主将。
個性派ぞろいの学年をまとめるには、彼しかいなかった。

今は手に職をつけるために、まさに修行中!
ひとまわりもふた回りも大人になっていた。

宥稀、仕事頑張れ!
初蹴り、待っているよー