(原文)九条一項『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決するための手段としては、永久にこれを放棄する。』
テニヲハを正確に読んで、 簡略化してみましょう。
『日本国民は、」と主語でわかっているので 省略します。
また、(正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、)は 枕詞なので省略する
次に、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を、(戦争)に
国際紛争を解決するための手段を、(侵略の意図を持って行う戦争)と 言い換えます。
行使は、の「は、」は 「については」という(課題提起)のは、です。
としては、は「の場合には」「の条件では」という意味です。(国語辞典より)
永久にこれを放棄する。』 これ は、直近の字句をさす指示語で、無くても意味は通じますので、省きます。
そうしましと、1項は、『(戦争)については、(侵略の意図を持って用いる戦争)の場合には、永久に放棄する。』 と、随分解り易くなりました。
さらに、内容が変化しないように注意して簡略化しますと、『侵略の場合の戦争は、永久に放棄する。』となり、1項は「条件付き戦争放棄」の方針を示す条文だったとわかりました。
ところが・・↓
=学説=では、『一項では、侵略(・)戦争を、放棄するが。』と始まります。慎重にみてみると、「の場合の」が無いのです。条件付きが消えているのです。これでは、2項の冒頭に「前項の目的を・・」とあるので、その後の解釈に重大な影響を与えることは間違いありません。
つまり、1項を、条件付き戦争放棄条文とみるか、侵略戦争という戦争の絶対放棄条文とみるかで、2項の戦力の範囲(そのためのか、すべてのか)が異なってしまうのは当然です。
ところが、ほとんどの人は、このことに”気が付いていない”のではないでしょうか? 今まで、このことを指摘した発言や著書に出くわしたことがありません。
従って、=学説=の ”可笑しさ” については、知っておかなければならないと思います。
さて、 戦後、憲法学会をリードしてきた東大だが、今を時めく慶大のK名誉教授や東都大学K教授はいずれも東大卒だ。彼らは、異口同音、全く同じく「一項では、侵略(・)戦争を、放棄するが。』とブログに書いている。
頭は良いはずだから、国語的に誤読することはなかろう。と思うのだが、恣意的に言い変えているのだろうか。つまり、原文の「としては(の場合には)」を無視しているのである。
それとも、「条件付き」であることを隠蔽しているのであろうか、無自覚のままなのであろうか?
いづれにしろ、それが東大閥憲法学者の伝統的解釈話法なのである。
このことに、つい最近・・・気が付いた。