goo blog サービス終了のお知らせ 

Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

モランディの狂気

2016年02月13日 | Life
なんの変哲もない瓶や器をテーブルにならべ、おなじような静物画ばかり描いているジョルジョ・モランディ(1890-1964)というイタリアの画家をご存じか。
わたしは美術の教科書に紹介されている程度にしか知らないし、もちろん原画を見たことはない。どこにでもあるようなモチーフなので、まったく興味がなかった。
先日、友人のQさんが兵庫県立美術館で開催中の「ジョルジョ・モランディ -終わりなき変奏-」展がとてもよかったというので、「一応見ておくか」くらいの気持ちで見にいく。



展示作品はデッサンにはじまり、水彩画、油彩画、版画があり、風景や植物なども描いているが、その大半がおなじような瓶やら器ばかりの静物画だ。そしてタイトルもすべて「Stilll life(静物)」なのである。
おなじモチーフを一生涯とおして描きつづける、このしつこさは驚嘆に値する。というか、狂気さえ感じてしまう。

おなじモチーフではあるが、年代ごとに作品をよく見ていくと、その変遷ぶりが見えてくる。
初期作品は光と影をしっかり描きこんだアカデミックな写実表現である(左の写真)が、彼が50歳くらいになると物の表面のディテールが省略化され、構図にもまとまり感がでてくる(中)。さらに1950年代以降、晩年になると影まで省略され物の形と色だけになり、構成的な表現がつよくなる(右)。



かつてわたしも絵筆をとっていろいろなものを描いていたころがある。
ちょうどポップアートやコンセプチャルアートといった前衛的な芸術運動が全盛のころで、「印象派なんてクソくらえ!」みたいな気持ちでわけのわからない絵やらオブジェをつくっていた。
だがまったく芽が出ないまま、なにを描けばいいのかわからなくなり、自然消滅してしまった苦い経験がある。

あのころにモランディと出会っていれば、もしかしたらいまだに絵を描いていたかもしれない。
彼は画壇のどんな派閥にも属さずに、たった一人で静物を描きつづけた希有な画家である。自分の表現を執拗に追い求めるこの姿勢こそ、表現者たるのだと強く感じた。
ああ、なんかまた絵が描きたくなってきたなあ。(この気まぐれさが大成しない原因です?!)

最新の画像もっと見る