
きょうのSIGNの写真茶話会のテーマは「重心」。
「物理的に各部に働く重力が集中する点。つり合いのとれた場所や位置を重心という」なんて、いきなりガリレオ先生みたいに茶話会ははじまった。
上の写真は折り紙を不定形に切って、その重心がどこにあるのかを探しているところだ。
こんな理科の授業のようなことと写真表現とどんな関係があるのか。
SIGN氏曰く、あえて重心を探してバランスをとらなくてもいい。あるいはそのバランスのとりかたは人それぞれの方法があっていい。
その方法のひとつが写真表現だという。なるほど。
わたしは話を聞きながら、ランニングのときに重心をどのように意識するかについて考えをめぐらせていた。
ランニングはからだを前方向に移動させるのだから、体幹よりすこし前に重心をもってくると自然にうごく。
この「すこし前」をどこで意識するかというと、足のうらの接地の感触なのだ。
これはことばで説明するのがむずかしいのだけど、まえに振り出した足が地面に着地するときにどこに体重がのるかを意識することで、いま自分のからだの重心がどこにあるのかがわかる。
疲れてくるとからだが後傾してきて、かかとから着地してしまい、それがスピードを殺してしまう。
話が逸れた。


さて、わたしがプリントを作業台に並べると、SIGN氏は「ああ、そっちの方向にいきましたか」といいながら、さっそく”料理”がはじまる。
彼の指示(味付け)はシンプルで、よけいな雑音(アク)を取り除いていくだけ。
作者の重心(素材のよさ)を最大限に生かすように選別し組み立てていく。いや、きょうはまだ組み立てまでいってないが。
残った28枚のプリントをあらためて見ると、なかなかいい感じだ。
方向は見えた。あとは時間との勝負だな。
きょう参加していたDさんの作品は、毎年1冊ずつフォトブックにまとめてきた写真の4年分100枚強。
この間の集大成がまさに目のまえに広がっていて圧巻だった。
淡々とそして実直に日々の仕事をこなしてきた記録がここにある。
技術的には拙い写真もあるけれど、それよりもこの100枚の陰に隠れている写真の量がすごいことをわたしは知っている。
やはり量が質に変わるのだな。これが写真の本質だと思う。