今年4月にホンダから新型クロスカブが発売された。でもまだじっさいに走っているのを見たことはない。部品の供給不足でなかなか製造が注文に追いつかないらしい。わたしのクロスカブは2018年発売の2代目である。クラシックホワイトというボディカラー(新型にはない)が気に入っている。
このバイクは2019年の9月に納車し、きょうまで2年9ヶ月で15700キロ走った。先日ドライブチェーンと前後スプロケットを交換したばかりで、じつにスムースに走ってくれる良き相棒だ。
もともと仕事用で小回りのきくバイクが必要で買ったのだけど、街中でチョイ乗りだけでなく、ロングツーリングにも十分使えるポテンシャルをもっている。今回、キャンプ道具を満載して往復184キロ走ったが、使ったガソリンは2.8リットルで、燃費はなんと65キロにもなった。ガソリン高の折り、お財布にも環境にもとてもやさしいバイクだと思う。
以前にもおなじようなことを書いたかも知れないが、キャンプツーリングはじつにたのしい。バイクで走るだけでもたのしいのに、おまけにキャンプも付いてくるなんてサイコーすぎる!
「猛暑の中をバイクに乗ってなにがたのしいの?」という人もいるでしょうが、そこはもうヘンタイの領域なので説明してもわかってもらえない(気がする)。とにかくたのしいのである。
きょう乗ってきたのはホンダのクロスカブという原付二種のバイクだ。もともとは110ccの排気量であるが、タケガワのボアアップキットを付けて125ccになっている。たった15ccしか変わらないのに、加速も最高速も増すのが体感できる。オススメです。
さてキャンプ場に着いてまずすることといえば、テントを張ることではなく、プシュッとのどを潤すことである。チェアに腰を下ろしビールをひと口飲むときの開放感、安堵感、幸福感は味わってみなければわからないであろう。
ひと心地ついたら、ぼちぼちとテントを張る準備。おっとそのまえに米を洗って浸漬しておくことも忘れずに。
きょう使うテントはオガワのステイシーST-2という新調したばかりのテントだ。まえに使っていたコールマンのツーリングドームよりもひと回り大きくて、バイクでキャンプする人たちの評判もよい。とくに前室が大きいのがいい感じ。
テント設営と薪の準備ができたらコーヒータイム。以前はガスバーナーで手早く湯を沸かしていたが、最近はアルコールバーナーでゆっくりと沸かす。日ごろ、あくせくと生活しているので、こんな時こそあえて時間をかけるのが旨いコーヒーのつくり方だ。
このアルコールバーナーはトランギア製のコピー商品で、本家の1/3くらいの値段であるが、造りがシンプルなので機能的には何の問題もない。消火用のフタに折りたたみ式のハンドルが付いていて本家よりも使いやすいし、さらにゴトクや収納袋まで付いている。中華モンおそるべし。
キャンプの醍醐味といえば、やはり焚き火ですね。火を見るとなにか穏やかな気持ちになってくる。そうして夜は更けていくのであった。つづく
久しぶりに、というかプライベートでははじめて法隆寺へいく。いつもは仕事で修学旅行や遠足に同行するが、お堂の中では撮影できないので学生たちといっしょに入ったことがない。なので仏像をじかに見るのはきょうがはじめてである。
一応どんな仏像があるのかあたまに入れてから見た方がいいと思い、「古寺行こう 法隆寺」や「アイドルと巡る仏像の世界」などにざっと目を通した。いまさらいうまでもないが、法隆寺には国宝になっている仏像がたくさんあって、日本でも有数の仏像パラダイスなのだ。
じっさいお堂の中に入ってみたら、厳重に金網が貼ってあったりして見えにくいことこの上ない。春と秋に一般公開される仏像もあって、きょうは扉の向こうで休まれている。
大宝蔵院の仏像たちはガラスケースの中だけどよく見えた。2メートルを越す百済観音はじつにスマートで美しい。やはり写真で見るより実物を見た方が断然いい。
2時間かけてじっくりと見たが、途中、修学旅行生が台風のようにやってきて通りすぎていった。あんなスピードではなにも見ていないに等しいな。遠くから来ているのにじつにもったいない。
まあ仏像やお寺に興味をもつ10代の子どもは稀だろうから仕方ないか。かくいうわたしも還暦を過ぎてから興味が湧いてきたのだから。
家から法隆寺までは30キロ足らずで、バイクなら1時間ちょっとでいける。
いま乗っているホンダのFORZA250は快適なスクーターだ。猛暑日のきょうも元気よく走ってくれた。
友人のFさんの個展を見に京都へいく。
ギャラリーに入るとまず、正面にある大きな作品が目に飛び込んできた。F100号キャンバスに描かれた「遠く、つながる」という作品だ。F100号というのは1620×1303ミリという大きさで、畳1枚の面積よりも広い。
かつて画学生だったわたしも狭い下宿でF100号に向かった経験があるが、これはなかなかの大きさである。なんと今回F100号の作品が3枚もある。ほかにも小さなものや中くらいの大きさのものなど、全部で20点くらい展示されている。
Fさんのこれまでの作品は星空(あるいは月夜)の下をしずかに進む小舟をモチーフにしたものが多かった。その小舟の上には小さな森があり、さらにその中に小さな家がある。人のすがたは見えないが、たしかにその家にはだれかが住んでいる気配がある。小舟は川に浮かんでいるときもあれば、宇宙空間を進んでいるように見えるときもあった。
今回の作品に小舟は描かれていない。森全体が舟のようにも見えるし、あるいは森の一部が小舟になって進んでいるようにも見える。いずれにしても森は広く地平線の向こうまで続いている。だが周りは霧に包まれていて、それがどこまで続いているのかは定かでない。
目を引くのは、小さな家の左上あたりから天空に伸びるまっすぐの線である。この線は金箔で描かれていて、見る角度によって輝いて見えたり見えなかったりする。絵の題にあるように、この線が遠くのなにかとつながっているのか。答えのヒントは展覧会のタイトル「echo」にある。エコーは響く、反響、共鳴という意味であるが、もう一つギリシア神話に登場する木の妖精のなまえでもある。もしかするとこの絵の森に住む妖精エコーが金色の線を伝って小さな家の住人の思いをだれかに届けているのかもしれない。
案内状の作品は上の大きな作品とよく似ているが、じっさいの絵の大きさはF10くらいで、こちらは金の線は描かれていない。そのかわりに黄色の蝋梅の花びらが空に舞っている。彼女の身近かにある小さな命と共鳴しているという意味で、やはりこれも「echo」なのだと思う。
一つ気になっているのは、どちらの作品にも描かれている水たまり(湖?)だ。これにもなにかエコーと関係のある意味が隠されているのだろうか? 今度会ったときに聞いてみよう。
ギャラリーに入るとまず、正面にある大きな作品が目に飛び込んできた。F100号キャンバスに描かれた「遠く、つながる」という作品だ。F100号というのは1620×1303ミリという大きさで、畳1枚の面積よりも広い。
かつて画学生だったわたしも狭い下宿でF100号に向かった経験があるが、これはなかなかの大きさである。なんと今回F100号の作品が3枚もある。ほかにも小さなものや中くらいの大きさのものなど、全部で20点くらい展示されている。
Fさんのこれまでの作品は星空(あるいは月夜)の下をしずかに進む小舟をモチーフにしたものが多かった。その小舟の上には小さな森があり、さらにその中に小さな家がある。人のすがたは見えないが、たしかにその家にはだれかが住んでいる気配がある。小舟は川に浮かんでいるときもあれば、宇宙空間を進んでいるように見えるときもあった。
今回の作品に小舟は描かれていない。森全体が舟のようにも見えるし、あるいは森の一部が小舟になって進んでいるようにも見える。いずれにしても森は広く地平線の向こうまで続いている。だが周りは霧に包まれていて、それがどこまで続いているのかは定かでない。
目を引くのは、小さな家の左上あたりから天空に伸びるまっすぐの線である。この線は金箔で描かれていて、見る角度によって輝いて見えたり見えなかったりする。絵の題にあるように、この線が遠くのなにかとつながっているのか。答えのヒントは展覧会のタイトル「echo」にある。エコーは響く、反響、共鳴という意味であるが、もう一つギリシア神話に登場する木の妖精のなまえでもある。もしかするとこの絵の森に住む妖精エコーが金色の線を伝って小さな家の住人の思いをだれかに届けているのかもしれない。
案内状の作品は上の大きな作品とよく似ているが、じっさいの絵の大きさはF10くらいで、こちらは金の線は描かれていない。そのかわりに黄色の蝋梅の花びらが空に舞っている。彼女の身近かにある小さな命と共鳴しているという意味で、やはりこれも「echo」なのだと思う。
一つ気になっているのは、どちらの作品にも描かれている水たまり(湖?)だ。これにもなにかエコーと関係のある意味が隠されているのだろうか? 今度会ったときに聞いてみよう。