Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

「そして父になる」を観て男たちは泣けるか

2013年09月29日 | Life
なんばパークスシネマで、是枝裕和監督の「そして父になる」を観る。(以下、ネタバレの可能性あり)



是枝監督の作品はじっさいにあった事件を素材にして、そこにすこし話(演出)をくわえているものが多い。
演出といっても、その作品のテーマがより深くなるように脚色しているだけで、全体としてドキュメンタリーな部分は変わらない。
わたしが是枝作品を好きなのは、非常にすくない台詞のなかに濃縮した主張があったり、あるいは台詞のない演技のなかに絵で見せる主張があって、映像のもつ力を最大限に生かしているところだ。

この作品にも随所にそういうところがあって、淡々と話はすすんでいくのだけれど、一瞬たりともスクリーンから目が離せなかった。
福山雅治が扮する良多が息子・慶多の撮った写真を見るシーンでは、慶多のまなざしを通して父への想いを感じることができる。(あんなに上手く撮れるか? というツッコミはしないこと)
また、「血のつながっていない子を愛することができるのか」という良多の問いに、真木よう子扮するゆかりは強い口調で「子どもとのつながりを実感できない男だけが、いつもそんなことをいうのよ」と返す。
この台詞には世の男性たちはみんな胆を冷やすだろうな。真木よう子はいつも男前だ。

この作品は「親子の絆」という普遍的なテーマをあつかっているので、日本特有の家族の背景はあるにせよ、外国の人が観ても意味はわかるし、同じ感動を十分に味わうことができる。
その証拠に、カンヌ国際映画祭で上映後のスタンディングオベーションが鳴りやまなかったり、スピルバーグ監督がドリームワークスでリメークすることが挙げられる。
スピルバーグがどんな作品に仕上げるのか、いまからたのしみだ。

いままでの是枝作品はだいたい山崎裕さんが撮影を担当しているが、この作品から絵が変わったなと思ったら、なんと瀧本幹也さんが撮っていた。
写真家としてしか知らなかったけど、映像作家としての彼のキャリアにもすごいものがあった。
派手なカメラワークはまったくなく(というかカメラを意識させずに)、話そのものに集中できる自然なアングルと空気感が、是枝作品とうまくマッチしている。
ラストシーンはやっぱり写真家だなと感じさせる引きの構図で、観るものの心に深い感動と余韻をのこす映像であった。

砂漠や被災地を走るバイク

2013年09月27日 | Life
「パリダカ来ました!」とYさんからメールが来たので、さっそく見に行く。

「パリダカ」というのは、フランスのパリをスタートし、セネガルのダカールをゴールする「パリ・ダカール ラリー」のことで、その総走行距離は1000キロにもおよぶ過酷なレースだ。
1978年にはじまったこのレースは、さまざまな理由によって2009年にその舞台を南米のアルゼンチンに移し、現在に至っている。
かつてバイク部門で何度も優勝したホンダのバイクが「XL500R」という。
それを市販車用につくったものが、この「XL250R パリ・ダカール」というモデルである。もう30年くらいまえのバイクだ。



このバイクの一番の特徴といえば、なんといっても21リットルも入る大きなガソリンタンクだ。
満タンで700キロ以上走るというから、パリダカ仕様もダテじゃない。大阪から給油なしで福島第一原発まで行ってしまう。いや、立ち入り禁止で行けないが。
前輪の泥よけにも白いフチが付いて、幅と長さが増している。カッコいいね。

シートにまたがってみると、シート高が高く、両足のかかとが浮く。
でも、そのくらいの方がじっさいに走ると、ひざの曲がりが少なくて楽なのだ。つまり長距離運転に向いている。
エンジンをかけてもらう。OHCの単気筒エンジンから、すこしなつかしい音がする。
じつはわたしも今から20年くらいまえに「XLR200R」というバイクに乗っていた。
ほとんど街乗りで使っていたけど、あの阪神淡路大震災のときには、そのバイクでガレキを越えて医療品を運んだものだ。
オフロードバイクというのは、非日常の極限状態でこそ、その真価が発揮されるのだな。



少しだけ走らせてもらう。
大きな車体なので直進が安定している。と思いきや、軽くハンドルを切ると、かんたんに切れ込んでいってよく曲がる。
ほとんど体重移動がいらないくらい、クルクルと旋回する。
わたしの乗っているエストレアよりキャスター角が大きいのにふしぎだ。
250ccエンジンなので非力なのは否めないが、こまめにチェンジしながらパワーバンドを外さなければ、けっこう走るかもしれない。
ああ、秋のツーリング・センチメンタルがたのしみだね。

ヤマハ SR400 パリダカと関係ないけど、このCMステキ。

50万円のカメラと1万円のカメラ

2013年09月25日 | Camera


本日はS大学で就職活動用の証明写真を撮る。
撮影機材のセッティングは前日におわっているので、わたしはからだ一つで現場に向かう。
といっても、手ぶらでは気合いが入らないので、カメラバッグに露出計と予備のカメラ(EOS 40D)を入れて提げていく。
撮影は会社のカメラ(EOS 50D)で撮るが、万が一のときの保険だ。
キヤノンの中級機はだいたい操作系が統一されているので、ふだんニコンを使っているわたしでも問題なく使えるのがいい。
液晶モニタの色味が機種によってややちがうけれど、それはニコンにしても同じこと。(ニコンD800のモニタはそれまでのモデルとはまったくちがうので驚く)

きょういっしょに撮っているTさんはキヤノン使いであるが、先月、EOS-1D Xを買った。
使用感を聞くと、シャッター音がいいという。えっ、それだけ?
写りは良いに決まってるけど、中級機と見比べてもそれほど飛び抜けてちがいがあるわけではない。中級機でも十分きれいに写る。
つまりB全のポスターでも撮らないかぎりは、そのちがいなんてわからないのである。

逆に、フルサイズ機なので、APS-C機よりむしろレンズの弱点が出やすいと彼はいった。
ズームレンズはLレンズでも周辺が流れやすいので、周辺のシャープ感は落ちるという。もう一度、単焦点レンズ(28、35、50ミリ)を買わねばならないとも。
高いカメラを買うと、その性能を発揮させるためにさらにレンズも買うことになるのだね。
それから、再生画面の拡大・縮小の操作がいままでと変わったので、とても使いにくいと彼はいう。
右肩の2つのボタンではなく、再生ボタンの右のボタンを押して、電子ダイヤルを回さねばならない。1アクションでできていたことが、2アクション(しかも両手)でしないとダメなのだ。
カスタマイズでなんとかなる気がするけど、Tさんは「よーわからん」といっている。



ちなみに、わたしのEOS 40Dはマウントアダプターを介して、ニコンのレンズを付けて使っている。
オートフォーカスは使えないけど、ピントが合うと合焦マーク(緑の丸印)が出るので問題なし。
絞り優先のAEも使えるから、その気になればスナップ撮影だってできる。
で、写りは上の花の写真を見てのとおり。もう少しきれいなライティングをすれば、仕事でも使えるだろう。
でも残念ながら、シャッター音はオモチャみたいにショボい。写りには関係ないけど。
もう古いデジカメ(2007年8月発売)なので今ならヤフオクで1万円くらいで手に入ります。

J'adoreという名の香水

2013年09月24日 | Life
きのう、仕事に出るまえに、つまらぬことで妻と口論になる。
おかげで一日中、どんよりとした気持ちで、夜遅く帰宅するのがつらかった。
何事もプライオリティ、すなわち優先順位をまちがえるとたいへんなことになる、ということを身をもって知る。
そもそもは誤解から生じたことであるが、彼女の振り上げた拳を降ろすには柔軟な対応が必要だ。
まちがっても「言われたら言いかえす。倍返しだ」などとバカなことを言ってはならない。



で、きょうはあべのハルカスへ行き、彼女がいつも使っているDiorの売場へ。
「50歳代の妻にプレゼントするのだけど、オススメの香水は?」と販売員に聞くと、ジャドールなんていかがでしょうか、といった。
ジャスミンとローズから抽出しているので、とてもフルーティーで、しかもエレガントな大人の香りだという。
生前、クリスチャン・ディオール氏がなにかに感激するたびに「ジャドール!」と発していたことから命名された香水で、「フランス語で"大好き"という意味なんですよ」と販売員が教えてくれたので、これは打ってつけだと思い、購入する。



ところで、TBS系の「半沢直樹」がついに最終回をむかえた。関西の視聴率は45.5パーセントだという。よくわからんけど、すごい数字らしい。
毎週、妻が嬉々として観ているので、その横で観るとはなしに観ていたが、わたしにはそれほどおもしろいドラマだと思えない。
日ごろ、「やられている」人たちはさいごの決め台詞で溜飲を下げるのであろうが、「倍返し」なんて発想はドラマの中だけにしてもらいたい。
みんながそんなことを言い出したら、パレスチナとイスラエルのようになってしまう。



先週、撮りにいったR中学校の体育大会では、生徒たちがまさに「やられたらやりかえす」と気勢を上げていたが、なんだか空恐ろしい気持ちになった。
たしかに半沢直樹は勧善懲悪ではあるが、彼の正義はつねに弱者の立場にある点で、水戸黄門や遠山の金さんとは立ち位置がまったく反対である。
そこのちがいを理解しないで「倍返しだ」と息巻く中学生には、対話による相互理解などという面倒な発想は出てこないだろう。
つまらぬことで言い争いになったとき、話し合いよりも暴力に頼る人間になる可能性は大きい。

それにしても、大和田常務のあの土下座シーン、まるで歌舞伎だね。それも大根の。

あたらしいREBORN

2013年09月17日 | Photography
写真展がおわり、かるい虚脱感に襲われている。

過去の記事を読むと、今年1月22日にアナログ暗室を再開したことが書いてあるが、それから約9ヶ月間、写真展のことを毎日考えてきたので、脳みそが「もうええわ」と言っている。
だけど、けじめとして写真展のお礼状は出さねばならない。あともう一息だ。
あらかじめ焼いておいたプリントでは足りないので、きょうは朝から増刷プリント。お昼まえには焼きあがる。



午後からQ小学校へ集金に行き、そのあと大和川へ撮影に行く。
きのうの台風18号による増水で、川がどうなっているか、気になる。
水かさはもういつも通りだが、たしかにここまで水位が上がっていたという証拠があちこちに見える。
でも意外にふつうなので、写真にならない。
写真って、日常のなかの非日常を撮る行為だから、ふつうじゃ絵にならないよね。



先日のパーティで「来年もREBORNです」とみんなの前で言ってしまったので、イヤでも撮りつづけるしかない。イヤじゃないけど。
あたらしいREBORNのイメージはすでに頭の中にあるのだが、そのイメージと合う風景を探していくのがわたしの制作スタイルだ。写真はじっさいにある風景しか撮れないからね。
だけど、そうやって自分のイメージを探し求めていると、あるとき、そのイメージを超えるような、さらにすごいイメージが現れることがある。
それが出てきたときが、本当の意味でのREBORNだと思う。