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旺文社が合格祈願の神社設置 その名も「蛍雪天神」

2005年10月20日 | 社会
旺文社が合格祈願の神社設置 その名も「蛍雪天神」 (朝日新聞) - goo ニュース
受験雑誌「蛍雪時代」を発行する東京・神楽坂の旺文社(赤尾文夫社長)と、近くの赤城神社が19日、合格祈願の「蛍雪天神」を設置した。
赤城神社にはかつて菅原道真公をまつった社があったが、1945年に戦災で焼失。今回、旺文社の援助で、「蛍雪天神」と名前を変え、60年ぶりに復興した。
1キロ西には、毎年約10万人が受験する早稲田大がある。風山栄雄宮司は「早稲田をめざす人にたくさんお参りに来てほしい」。合格祈願用の絵馬やお札の用意を急ぐ。 →情報源

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そんなのありかー。日本における神社の多さを考えると(猫西の実家周りも、都会の端っこの田舎にも関わらず、町の両端に神社がひとつづつありましたしねー。学校は小・中ひとつづつしかなかったのに)、こうやって増えていくのかなーなどとしみじみ。
昔どこかで、明治維新だったか戦後だったか、貧しかった村で教育やら医療やらでがんばった宣教師を神社に祀った、って話を見て、「宣教師ってそもそもキリスト教徒だろうに…」と思ったんですけど。大魔神社とかね。他にも針供養やら人形供養やらその他いろいろ見てると、日本の中で神様ってのは身近なんだなぁ、と思います。西洋におけるキリスト教みたいに、あらゆる文化・風土の中に根付いているものなんでしょうね。仏教もそうですけれども。
商業主義の賜物かもしれませんが、こういうのは良いと思いますよ。受験とか特にそうですけれども、人事を尽くして天命を待つというか。スポーツの試合もそうですけれども、がんばればそれだけで全て叶うわけじゃないんですよね。がんばってがんばって、それでも周りがもっとがんばっていれば、やっぱり蹴落とされちゃうわけで。努力するのは当然ですが、努力だけであらゆる物事がうまくいくわけもなくて…そういうときに、神様に「うまくいきますように」とお祈りしちゃうのも、わかる気がします。
…それにしても、天神様以外に学問の神様っていらっしゃらないんでしょうかね。もしいたら、道真公の影に隠れて少しかわいそうな気もします。