最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●07年5月19日ー2

2007-05-19 23:30:09 | Weblog
●宇宙ステーション

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もっとも効率的で、高性能、かつ安価な
宇宙ステーションの作り方といえば、
宇宙に漂う、惑星の中をくりぬいて作る
という方法がある。

惑星でなくても、もっと小型のものでも
よければ、隕石がある。

外殻が、固い岩石でおおわれているため、
各種の宇宙線から、乗員を守ることが
できる。大きな惑星になれば、それなりの
重力もあるから、観測機器などを、内部で
固定することもできる。

では、どうすれば、そういう惑星を、ちょうど
よい場所に、もってくることができるか?

これも、方法は、簡単。

岩石の表面に、すり鉢状の穴を掘り、その
中心部で、ものを爆発させればよい。

大きな惑星であれば、小型核爆発でもよい。
爆発力をうまくコントロールすれば、
惑星を移動させることができる。

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 現在、いろいろな国が集まって、宇宙空間に、宇宙ステーションを建設している。しかし地球から、そのつど資材を持ち運ぶため、莫大な費用がかかる。

 そこでもっとも簡単で、安価な宇宙ステーションの建設方法と言えば、宇宙に漂う惑星の内部を、くりぬいて作るという方法がある。直径が、1~2キロもあればじゅうぶん。あるいはそれ以上でもよい。

 重力といっても、軽いから、削岩機を使えば、まるで雪を削るように簡単に穴を掘れるはず。掘った岩石は、そのまま、惑星表面の補強に使うこともできる。うまくいけば、岩石の中に閉じこめられている(水)を取り出すこともできるかもしれない。

 惑星内部に研究室や実験室、居住室などを作ればよい。

 では、そういう惑星を、どうやって、ちょうどよい位置にもってくることができるか。これも簡単である。

 惑星の一部に、すり鉢状の穴を掘る。茶碗のような穴を想像すればよい。その穴の中心部で、火薬を爆発させればよい。あるいは大きな惑星であれば、小型核爆発を起こしてもよい。

 こうして惑星を移動させる。速度は、遅くても構わない。危険なコースに入りそうになったら、そのときはそのときで、軌道修正すればよい。

 惑星を止めるときは、隕石の向きを180度変えて、また火薬を爆発させればよい。惑星を、ちょうどよいところで静止させることができる。

 ……というのは、SFの世界の話だが、しかしそれをすでに考え、実行した生物がいるのではないか。それを思わせる痕跡は、いくつかある。

 たまたま今朝のヤフー・ニュースは、こんな記事を載せている。

 『火星と木星の間にある、珍しい双子の小惑星、「アンティオペ」は、日本の探査機「はやぶさ」が着陸した小惑星「イトカワ」と同様に、岩石片が集まってできており、内部にすき間が多いことが分かった。パリ天文台などの研究チームが10日までに、南米チリにある欧州南天天文台の大型望遠鏡などを使って、精密に観測した成果を、米惑星科学誌イカルスに発表した』と。

 どうやって「かすかすであること」がわかったかということは、別として、「かすかす」ということは、「内部が空洞である」というふうには、考えられないだろうか。もしそうだとするなら、自然に、空洞になったとは、考えにくい。

 ……けっして、荒唐無稽(こうとうむけい)なことを書いているのではない。この太陽系には、それを疑わせる惑星がいくつかある。私がとくに注目しているのは、「フォボス」という火星の惑星である。

 この惑星には、先に書いたような、すり鉢状の穴が、一方の端についている。隕石の衝突でできた穴ということになっているが、ならば、こんなふうに穴があくためには、正確に真上から、隕石が当たらなければならない。写真でみるかぎり、穴は、真円に近い。しかもその穴からのびる直線状の縞模様は、観測されるたびに、数がふえている。


フォボス1

フォボス2


 このフォボスも中は、「かすかす」と言われている。

 繰りかえすが、惑星をくりぬいた宇宙ステーションであれば、中に住む生物を、危険な放射線や太陽光から守ることができる。小さな隕石だったら、当たっても、ビクともしない。宇宙空間を漂うゴミと衝突しても平気。部屋をふやしたかったら、穴を掘って作ればよい。それでできた土砂は、惑星の表面に捨てればよい。

 形こそぶかっこうだが、もっとも効率のよい宇宙ステーションということになる。

 ……ということで、この話はおしまい。で、ここから先は、私のSF的空想物語。

 遠い昔、火星にも、人間に似た知的生物が住んでいた。そして現在の人間のように、宇宙へ飛び出すほどの知的能力を身につけた。

 そして宇宙空間を漂う惑星を、つぎつぎとくりぬいて、宇宙ステーションを建造した。が、火星は、急速に温暖化現象を迎えた。火星に住んでいた知的生物たちは、太陽系のあちこちへと非難を開始した。もちろん地球にもやってきた。

 が、地球には住むことができなかった。太陽から注ぎこむ放射線、太陽光に、彼らは耐えられない。太陽に近い分だけ、量も多い。まぶしい。それに地球の重力がある。で、彼らは、地球の衛星の、月に目をつけた。彼らは、月をくりぬいて自分たちの宇宙ステーションを作ることにした。

 やがて火星は、生物の住めない惑星となってしまった。火星に住んでいた知的生物たちは、そのままそれぞれの惑星に、住むことにした。地球の上に輝く、月も、その一つである。

 ……ハハハ。私の説によれば、あの月も、どこかの惑星で生まれた知的生物たちの宇宙ステーションというわけ。(この説を信じているのは、けっして私だけではないが……。)

 しかしそんな思いをもって、あの月を見ると、これまた楽しい。ヤフーのニュースを読むと、さらに楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●子どもに教える

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子どもに、ものを教えるとき、
教えやすい内容と、教えにくい
内容があることがわかる。

先日も……。

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 小2の子どもたちに、リットルの話をしていたときのこと。「リットルって、何?」と聞いた子どもがいた。

私「リットルというのは、ねエ~。ほら、お母さんが、車でガソリンスタンドへ行くだろ。そこでガソリンを買うだろ。そのときお母さんは、何と言うかな?」
子「満タン」
私「そうではなく、30リットルとか、40リットルとか、そういうふうに言わないか?」
子「言わないよオ~。ハイオクって言うよオ~」「ぼくのママは、レギュラーって言うよオ~」
私「あのね、ガソリンというのは、リットル単位で買うの」
子「……?」

 そこでたまたま私がもっていた2リットル入りのペットボトルを、子どもに見せ、こう言った。

私「1リットルは飲めるけど、2リットルは飲めないよ」
子「飲んで!」「飲んで!」と。

 そこで私は2リットル入りのペットボトルのフタをあけ、みなの前で、「全部で、2リットル。半分なら1リットル。わかったか?」と。

 で、その1リットルを飲み始めた。私は水を、よく飲む。そのときも、「1リットルくらいなら」と思って、飲み始めた。が、これが苦しかった。

 子どもたちは、「イッキ」「イッキ」とはやしたてた。

 私は、ぐいぐいと飲んで、半分、飲んだ。すると子どもたちは、「もう1リットル、飲んでエ!」と。

 そこで私も、ムキになって、2リットルめに挑戦。子どもたちは、「イッキ」「イッキ」と。

 が、2リットルは飲めない。「苦しい」「もう、だめだ」と。

 ……こうして子どもたちは、はじめて、(リットル)の意味がわかってくれた。「先生って、1リットルも水を飲んだア!」と。

 同じように苦労するのが、(角度)。それに(速度)。小3では、割り算などなど。導入部でいつも苦労する。とくに角度については、子どもたちに、問題意識をもたせるのがたいへん。「とがって、ツクンツクンしているところは痛いぞオ~」というようなところから、教え始める。

 で、ないと、算数も、ただの暗記科目で終わってしまう。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●希望

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何もなくても、希望さえあれば、人は
生きていくことができる。

ほんの小さな希望でよい。
その希望が、その人を生かすこともある。

しかしもし、その希望をなくしたら……。
いや、そんなことは考えたくない。

大切なことは、どうすれば、私たちは、
希望を失わず、自分の人生を前向きに
生きることができるか。

それをいつも考えること。
考えながら、行動すること。

つまり希望というのは、向こうから
やってくるものではない。

希望というのは、自分でつくるもの。

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 今日、自転車で走っているとき、こんな男性を見かけた。新しい家だった。新建材を多用した、プレハブづくりの家だった。

 その家の、向かって右端に、見た感じ、6畳ほどの部屋があって、その部屋の中央に、1人の男性が座っていた。年齢は、60歳前後か?

 その男性が、足をX字型に組んで座り、ぼんやりとした表情で、外、つまり私の方を見ていた。視線はこちらを向いていたが、焦点は合わなかった。うつろな眼差しだった。私には、その男性が、放心状態にあるのがわかった。

 「どうしたんだろう?」と思ったつぎの瞬間には、私は、再び、自転車のペダルをこいだ。だから私がその男性を見たのは、ほんの2、3秒のことだった。が、その男性の姿が、強く、自分の脳裏に焼きついた。どういうわけか、強く、自分の脳裏に焼きついた。

 何もなくても、希望さえあれば、人は生きていくことができる。ほんの小さな希望でよい。その希望が、その人を生かすこともある。もし生きていく上で、何がいちばん大切かと聞かれれば、私は、その1つとして、(あくまでも、その1つにすぎないが……)、「希望」をあげる。

 が、もし、その希望をなくしたら……。いや、そんなことは考えたくない。もしこの世でもっとも恐ろしいものをあげろと言われれば、私は迷わず、絶望とそれから生まれる孤独をあげる。「明日は今日と同じ」「来年は今年と同じ」……というような人生だったら、生きていく上において、どれほどの意味があるというのか。「だれにも相手にされない」「だれからも慕われない」……というような人生だったら、生きていく上において、どれほどの意味があるというのか。

 さらに「明日は今日より悪くなる」「来年は今年より悪くなる」……というような人生だったら、どうか。それを考えると、つまり、その重みを想像するだけで、自分が押しつぶされそうになる。

 しかし希望といっても、向こうからやってくるものではない。それはわかる。が、同時に、いくらがんばっても、希望のほうが、自分から逃げていくことだってある。「待ってくれ!」といくら叫んでも、その声は、ぜったいに届かない。

 希望は、そこにあるときは、昼間の太陽のように私たちを明るく、照らしてくれる。しかし逃げていくときは、まるで冷酷な悪魔のように、私たちをそのまま夜の闇の世界に引きずりこんでしまう。そんな恐ろしさを、E・ヘミングウェイは、『武器よさらば』の中で、こう表現している。

I know the night is not the same as the day: that all things are different, that the things of the night cannot be explained in the day, because they do not then exist, and the night can be a dreadful time for lonely people once their loneliness has started.

 (夜が昼と同じでないことは、よく知っている。つまりすべてが、違う。つまり夜のことは、決して昼には、説明できない。なぜなら昼には、それが存在しないからだ。孤独な人間にとって、夜は、いったん孤独になれば、それほど恐ろしいものはない。)

 言い忘れたが、孤独ほど、究極的な絶望はない。仏教の世界でも、「無間地獄」と位置づけている。

 ならば、私やあなたにとって、希望とは何かということになる。

 名誉や地位でないことは、たしかである。名声や財産でないことは、たしかである。心休まる暖かい家庭にしても、それが希望であるとは、私は思わない。ひとときの孤独やさみしさを癒してはくれるが、心のすき間までは、埋めてくれない。

 つまりこうしたものは、なければないで、これまた困る。困るが、こうしたものが、「心の空腹感」(マザーテレサ)を満たすことはありえない。では希望とは、何か。

 ひとつのヒントとして、こんな説話が残っている。

 ノアが、神に、こう叫んだときのこと。つまり「人間を滅ぼすくらいなら、どうして最初から完全な人間を創らなかったのか」と。

 それに答えて神は、こう言う。「希望を与えるため」と。つまり「人間は、堕落すれば獣のような生き物になる。しかし努力すれば、神のような人間にもなれる。それが希望だ」と。

 もう一度、繰りかえす。ノアの神は、こう答えた。「努力すれば、神のような人間にもなれる。それが希望だ」と。

 しかし現実には、多くの人たちは、無数のしがらみの中で、俗欲という魔物によって体中を、がんじがらめに縛られている。私にしても、お金はほしい。名誉も地位もほしい。財産がなければ、不安だ。そういったしがらみから、自分を解きほぐすだけでもたいへん。へたをすると、臨時収入が入っただけで喜び、株価がさがっただけで落胆する。ヌカ喜びと、取り越し苦労。その連続。そんなつまらない自分が、そこにいることを知る。

 そんな私が、どうして神のような人間になれるというのか。

 これは私の思い過ごしだとは思う。思うが、あの男性は、ひょっとしたら、私の心の中に住む、もう1人の男だったかもしれない。今もあの男性の、あのうつろな眼差しが、脳裏に焼きついて、どうしても離れない。

(まとまりのない文章ですが、このまま収録しておきます。)




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