最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●雑感(2)

2008-08-15 08:59:48 | Weblog

●人間関係

人間関係に苦しんだら、相手を乗り越える。
相手を乗り越えて、自分をより高いステージに置く。

たとえば幼児に、「バカ!」と言われて怒る人はいない。
(中には、いるかもしれないが……。)

同じように、相手が、幼児か、さらに言えば、イヌかサル(失礼!)に見えるほどまで、自分を高める。
そのためには、同時に、相手のレベルを知ることも大切。
自分を高めていくと、自分の中に、地層のように「層」ができてくる。
同時に、自分が相手を超え始めると、相手が、自分の中の、どの層にいるかがわかるようになってくる。

「この人は、私の20年前のレベルだな……」
「この人は、私の5年前のレベルの亜流にいる人だな……」とか。
(もちろん、その反対のこともあるが……。)

私も、人間関係で悩んだようなとき、いつもこの手法で、相手を(呑む)ようにしている。
先日も、どこかのオバチャンが、私に説教をしようとした。
どこかで一方的な情報だけを聞き、私の親不孝ぶり(?)を、批判しようとした。
「祖父の33回忌をしなさい」と言ったことに対して、「33回忌ねえ……?」とつぶやいたときのことだった。
レベルの低い人だった。

が、私には、その女性が、山の中のサル(失礼!)のように見えた。
だからすかさず、「トイレへ行きたくなりました」と言って、その場を離れた。
不快感はなかった。
怒りの気持ちは、さらになかった。

相手が子どものばあいも、同じように考えてよい。
どうせ相手は、子ども。
あなたの子どもであれば、30年前のレベル。
けっして、本気で相手にしてはいけない。

(補記)

相手を呑んでしまうと、そこにおおらかな世界が見えてくる。
すると不思議なことに、『魚心あれば水心』というか、相手も、やがてこちら側の心に反応して、おおらかになってくるのがわかる。
(こちらがカリカリすると、相手もカリカリしてくるが……。)

大切なことは、たがいに、気持ちよく時間を共有すること。
すべては、そこを原点として考える。


●緑内障

左目だけで、キーボードの「T」を見ていると、「E」の文字が消える。
右目だけで、「T」を見ていると、「U」の文字が見えなくなる。

これは正常な現象である。
目には、「盲点」と呼ばれる部分がある。

しかし両目で「T」を見ていて、「E」が消えたら、緑内障と考えてよいのでは……?
これは私の素人判断だが、理屈の上で、両目で見ていて、ひとつの文字が消えるということはありえない。
どちらかの目が、もう一方の目の盲点をカバーする。

ところが最近、私は、「T」を見ていて、「E」の文字が消えるのを発見した。
もう少し正確には、「E」の文字の下にある、「い」の文字が消える。

ぎょっ!

ひょっとしたら、緑内障かもしれない。
一度、眼科で検査してもらう必要がありそう。
緑内障というのは、一度なったら、治らないそうだが、目薬などで、進行を止めることはできるそうである。

つまりこうして私も、一歩ずつ、しかし確実に「死」に近づいていく。

(補記)そういう意味では、「死」はある日突然、やってくるものではない。
事故は別として、人間の体は、不可逆的に、日々に死に向かって、破壊されていく。
早ければ40代から。
しかし60代になると、それは確実に、そうなる。
大病を患えば、さらに、加速される。

かなり悲観的な見方かもしれないが、60代になると、それとの闘いが始まる。
「それ」というのは、「不可逆的な進行」をいう。

が、私はこう考える。

60歳で、耳が半分聞こえれば、御の字。
目が半分見えれば、御の字。
歩いたり、走ったりすることができるだけでも、御の字。
元気で仕事ができるだけでも、御の字。
食事がおいしければ、これまた御の字。
それ以上、何を望むことができるのか、と。

けっして強がりを言っているのではない。
要するに、「感謝」を原点として生きる。
今まで、こうして健康で生きてこられたことだけでも、まさに御の字。

この先のことはわからない。
わからないが、今、昔、私の祖父が、こんなことを言ったのを思い出した。

祖父が、あるとき、祖父の無二の親友と言われる人と、こんな約束をしたという。
「どちらかが先にあの世へ行ったら、本当にあの世があったら、その日のうちにたがいに知らせる」と。

で、その無二の親友という人が、先に死んだそうだ。
祖父は、その親友からの連絡を待った。
しかし何もなかった。
だから祖父は、私にこう言った。

「浩司、あの世はないよ。あの男が、ワシとの約束を破るはずがないから」と。

しかし私は、みなさんに約束する。
「あの世」のことはわからないが、この先、老後を迎えて、どのように精神状態を変化していくか、それをできるだけ書き残していく。

つまり60代の世界が、どんな世界か。
70代の世界が、どんな世界か。
もし運がよければ、80代の世界がどんな世界か。

もしあの世へ行って、あの世から、みなさんにあの世のことを伝えることができれば、こんな楽しいことはない。
そんなことをすれば地獄へ落ちると説く人もいるが、そんなルールがあることのほうが、おかしい。
どうしてそうまで、あの世を秘密にしておかねばならないのか。
私は、そのルールを破ってやる。
そんなことで地獄へ落ちるというのなら、そのルールのほうがまちがっている。
どうせ、みな、逝(ゆ)くのだから……。


● 「DARK KNIGHT」

夕食を終えたところで、ワイフが、「映画に行こう」と言った。
さっそくネットで調べると、午後8時からの『ダーク・ナイト』があった。
ちょうど間に合いそう。

ということで、「ダーク・ナイト」を見てきた。
感想は、星4つの、★★★★。
かなり見ごたえのある映画だった。

「ダーク・ナイト」というのは、旧作「バット・マン」の別名。
善と悪の戦いが、メイン・テーマになっていた。
どこか哲学的なところが、映画に深みをつけていた。

が、それに先立って、邦画の予告編が2本紹介されたが、見るに耐えないというか、
なさけないほど、チャチ!

少し前、ドイツ映画の『4分間のピアニスト』を見たが、星は4つの★★★★プラス。
迫力ある演技に圧倒された。
どうして日本では、ああいう映画ができないのだろう。

役者の演技も、演技、演技していて、つまらない。

つぎに見たい映画は……

(1) WALL・E(ロボットのロマンス映画)
(2) EAGLE EYE(?????)
(3) WANTED(「覚醒せよ、新次元へ」とパンフには書いてある。)
(4) アイアン・マン(「誕生する、世界最強のCEO」とのこと。)
(5) クローン・ウォーズ(スター・ウォーズの続編)
(6) センター・オブ・ジ・アース(地底、冒険映画)、ほか。

夏から秋にかけて、楽しい映画が、ズラリとつづく。
「EAGLE EYE」は、スティーブン・スピルバーグの作品だという。
「全人類67億人のうち、選ばれたのは、たった2人」というキャッチが、興味をそそる。

「この映画はぜったいに、見るぞ!」と誓って、映画の話はおしまい。
「EAGLE EYE」は、10月18日、全国ロードショーとのこと。
楽しみ。


●盆供養

このあたりでも、8月の旧盆に盆供養するところが多い。
昨日と今日、かけもちで、あちこちを回った。

終わりに、夜、遅く、同じ班のK氏宅の盆供養に行った。

で、これはI村(浜名湖にある小さな村)での話だが、27世帯のうち、今年初盆をする家が、18軒もあるという。
しかしそのうち、7軒は、何もしないとのこと。
盆供養といっても、その村では、葬儀の約半額程度の費用がかかるという。
みな、異口同音に、こう言う。
「盆供養のほうが、たいへん。葬式のほうが、よっぽど楽」と。

盆供養も、しないところが、ふえてきた。

一方、盆供養に行く私たちの立場で言うなら、まさに、儀式、儀礼。
使者を悼むというよりは、ただの義理。
義理で行くだけ。
私には、盆供養の意味そのものが、よくわからない。
しかし、行く。
行くしかない。

「簡素化しろ」とは言わないが、もっと中身を追求した儀式にしてもよいのではないか。
葬儀も形骸化しているが、盆供養は、さらに形骸化している。
もともと迷信のかたまりなのだから、意味づけなど、できるはずもない。
さらに言えば、「ウラバン」というのは、もともとはアフガニスタンでの宗教儀式。
その「ウラバン」が、中国へ入り、「盂蘭盆(うらぼん)」になり、それに「会(え)」がついて、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」となった。
仏教が、インド→アフガニスタン→チベット→中国へと伝わる過程で、仏教の中に困窮した。
釈迦仏教とは、まったく関係のない儀式である。

だったらなぜ今、それを声に出して言う人がいないのか。
仏教教団がないのか。
ただひたすら盲目的に、過去を踏襲しているだけ。

これこそまさに、死者に対する冒涜ではないのか?
私たちは仏教といいながら、アフガニスタンの土着宗教を信じている?

考えてみれば、宗教の世界ほど、権威主義的なものの考え方をする世界はない。
「何でも過去が正しい」と。
だったら、なぜ、一度、釈迦仏教の時代にまで、時間を巻き戻してみないのか。
奈良時代や平安時代とちがって、今は、情報も、自由に手に入れることができる。
新しい仏教が生まれても、何ら、おかしくない。

……とは言いつつ、暑い中、ワイフと2人で、黒い喪服に身を包み、あちこちを回った。
それらしく、しおらしい顔をして……。
疲れた!


●夏休みも終わり

長かった(?)夏休みも終わり、脳みそは、仕事モード。
が、ふと、こう思う。
「いつまで、こんなことをつづけているのだろう」と。

いつか(その日)がやってくる。
その日がやってくるまで、恐る恐る、仕事をつづける。
来年はだいじょうぶだとしても、5年後のことはわからない。
10年後のことは、さらにわからない。

仕事といっても、今までの繰りかえし。
あとは、何年、それを繰り返せるかということ。
だから「このままでいい」とは、けっして思っていない。
仕事は仕事として、私は何か、別のことをしなければならない。

……ということで、今日も、始まった!
今日は8月15日、金曜日、終戦記念日。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

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