最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●マガジン(2月23日号)(1)

2009-02-23 10:17:33 | Weblog
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   23日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●アメリカの教育現場では、今……?(Now in USA!)(=2=)

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Bulletin Board for EDSPC 753
Board Postingsへの投稿記事より

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Unruly student with ADHD
by Hearing Teacher, posted on 5/24/2006 at 17:54.
(無秩序なADHD児)

I work as a related service provider for deaf and hard-of-hearing in 10 schools in
Brooklyn. One of my students has ADHD and is not medicated. He also is supposed to
wear hearing aids but does not. His special ed teacher spoke to the mother (he is in
foster care) about it and she said that she will make him do it (I tried speaking to her
and never got a response).
私はブルックリンで聴覚障害、難聴の子どものために10の学校で関連サービスをしてい
る者です。私の生徒の一人がADHD児で、治療を受けています。彼は補聴器をつけるべき
と思われますが、つけていません。彼の特別担任の先生は、それを彼の母親に話していま
すが、そうすることができません。(彼女に私も話そうとしましたが、反応がありません。)

Lately, he began to steal and be physically aggressive. He also whines for change for the
vending machines right after he eats breakfast with the excuse, "My mother wants
something." He ran into the cafeteria (he had just finished breakfast) to get a third
cereal. I had to chase after him to stop him. When I tried to take the spoon away from
him, he grabbed my wrist. Another teacher had to take him to the office. The student
started bawling hysterically and wailing "I'm sorry." He continued to cry and scream the
whole time. What do I do about this situation?
Thanks.
Hearing teacher
最近、彼は盗みを始め、肉体的に攻撃的になり始めました。彼はまた、朝食のすぐあとな
どに、「ママが何かを食べたがっている」などという口実を作って、販売機の小銭を、泣き
ながらせびったりします。(食事が終わっているのに)食堂へ走り、三度目のセリール(コ
ーンフレイクのような食べ物)を得ようとします。私は彼を追いかけ、彼を止めなければ
なりません。彼からスプーンを取り上げようとすると、彼は私の手首をつかみます。もう
一人の先生は、彼を事務室へ連れていかねばなりませんでした。その学生は、ヒステリッ
クに泣き叫び、「ごめんなさい」とさめざめと泣きます。彼はずっと、泣いたりわめいたり
します。こういう状況では、どうしたらいいのでしょうか。よろしく。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【極楽浄土論】

●私は極楽行き? 

ときどきこんなことを考える。
私は死んだら、極楽へ行くのだろうか。
それとも地獄へ行くのだろうか、と。

仏教の教えによれば、それを最終的に判断(ジャッジ)するのは、
あの閻魔(えんま)大王だそうだ。
中国でできたニセ経の上に、さらに日本でニセ経を塗り重ね、そういう話ができた。
今では、子どもですら、そんな話は信じない。
幼稚というか、稚拙(ちせつ)。
しかし私は、最近、閻魔大王というのは、ワイフであり、3人の息子たちではないかと
思うようになった。
それには、こんな話がある。

昨年(08年)、実兄と実母が、つづいて他界した。
そのときのこと。
私はこんなことを考えた。
「兄や母は、極楽へ行くのだろうか。それとも地獄へ行くのだろうか」と。
地獄と極楽しかないとなれば、二者択一、ということになる。
地獄と極楽の間には、中間の世界はない。
そこで兄や母のことを、あれこれと思い起こしてみる。

●善人vs悪人

1人の人間を、どう判断するか。
これはたいへん難しい問題である。
というのも、1人の人間には、いろいろな面がある。
相手によっても、印象がちがう。
年代によっても、変化する。

たとえばAさんは、若いころの母をよく知っていて、「勝気な人でした」という。
Bさんは、晩年の母をよく知っていて、「やさしくて、穏やかな人でした」という。
また他人から見た母と、私という子どもから見た母は、まったく違う。
それは善人vs悪人論とも似ている。

善人と悪人とは紙一重。
しかしまったくの善人がいないのと同じように、まったくの悪人もいない。
よく聞く話だが、死刑囚といわれる人の中には、仏様のようになる人もいるという。
さらに私という人間にしても、あるカルト教団の人たちからは、「魔王」と
呼ばれている。
その教団を攻撃する本を、何冊か書いたからである。
さらにあのK国が、日本を支配したら、この私はまっさきに処刑されるだろう。
いつもあの「将軍様」のことを、「金xx」と書いている。
拉致事件に抗議の念をこめて、そうしている。

どこをどのように見て、善人と判断し、悪人と判断するのか。
何しろ、中間がない。
「閻魔大王の仕事も、たいへんだなあ」と思う。

●私であって(私)でない部分

私は自分では、善人とは思っていない。
どちらかというと、悪人かもしれない。
少なくとも、3人の息子たちは、そう思っている。
「パパは仕事ばかりしていた」
「ママを奴隷のように使っていた」
「パパはワンマンで、ぼくたちの話を聞いてくれなかった」と。

ときどきそういう不満を、今になって私にぶつけることがある。
が、私はいつもそういうとき、こう思う。

「私は私で、懸命だったのだ」と。

息子たちに、私が生きた時代の説明をしても意味がない。
「日本は貧しかった」と言っても、その(貧しい時代)そのものを、知らない。
ボットン便所の話をしても、無駄。
息子たちにしてみれば、生まれながらにして、トイレは水洗トイレ。
それしか知らない。
ボットン便所から、水洗トイレになったときのうれしさを知らない。
だからこう言う。
「そんなのは、パパの時代の話で、ぼくたちには関係ない」と。

つまり私という人間にしても、(過去)の無数のしがらみを引きずっている。
私であって、(私)でない部分も多い。
たとえば道路にお金が落ちているのをみると、今でもさっと拾ってしまう……と思う。
(この20~30年、そういう経験がないので、わからない。)
交番へ届けようなどいう気持ちは、まず起きないだろう。
起きないから、そのジレンマの中で、迷う。
「もらってしまうべきか、それとも交番へ届けるべきか」と。
が、これとてあの戦後の、ひもじい時代を生きたからこそ身についた錆(さび)の
ようなもの。

私が悪いと思う前に、私はあの時代に、責任を求める。
あの時代が悪い。
あの戦争が悪い。

さらに私には、私の生い立ちもからんでくる。
いろいろあった。
その(あった)部分の中で、心もゆがんだ。

重罪といわれる罪を犯した犯罪者にしても、そうだ。
そういう人を、本当に悪人と言い切ってよいのか。
あるいはそう言い切れる人は、どれだけいるのか。

●息子たちが判断する

そこで私のこと。
自分で自分のことを判断するのは、難しい。
ワイフにしても、利害関係が一致しているから、難しい。
そこで、どうしても息子たち、ということになる。
私を判断するのは、息子たち。

息子たちは、(私)を、内側から見ている。
私が外の世界で隠している部分すらも、見ている。
それに人格の完成度も、今となっては、私より高い。
私が見た世界とは、比較にならないほど、広くて大きな世界も見ている。
私を、1人の親というよりは、1人の人間として見ている。

私にしても、閻魔大王などよりも、息子たちに判断(ジャッジ)されるほうが、
よほどよい。
安心できる。
仮に「地獄へ行け」と判断されても、それにすなおに従うことができる。
息子たちがそう言うなら、しかたない。
が、そこでもまた問題が起きる。

私が兄や母に地獄へ行けと言えないように、息子たちもまた、私に地獄へ行けとは
言えないだろう。
たとえ悪人であっても、だ。
それにこんなケースもある。

ある女性の話だが、若いころは、たいへん優雅で気品のある人だったという。
その女性が今は、老人施設に入居して、毎日、毎晩、怒鳴り声をあげているという。
「バカヤロー」「コノヤロー」と。
年齢は、現在、80歳を少し過ぎたところという。

こういうケースでは、どう判断したらよいのか。
その女性は、善人なのか、それとも悪人なのか。
悪人ではないとしても、そんな状態で、極楽へ入ったら、ほかの善人たちが迷惑する
だろう。

●地獄も極楽もない

地獄も極楽もない。
あるはずもない。
だいたい釈迦自身、一言もそんなことを言っていない。
ウソと思うなら、自分で『法句経』を読んでみることだ。
「来世」「前世」にしても、そうだ。

だからそれをもとに、善人論、悪人論を、論じても意味はない。
ただ法体系が未完成だったころなら、地獄論で悪人を脅すこともできたかもしれない。
「悪いことをすると、地獄へ落ちるぞ」と。
それでたいていの人は、黙った。
私が子どものころでさえ、そういう会話を、よく耳にした。

兄は兄として、他界した。
母は母として、他界した。
無数のドラマを残して、他界した。
よいドラマもあれば、悪いドラマもある。
今さら、そんなドラマを問題にしても意味はない。

同じように、今を生きる私たちも、できることと言えば、ただ懸命に生きるだけ。
よいことをしていると思っていても、悪いことをしていることもある。
悪いことをしていると思っていても、よいことをしていることもある。
常に結果は、あとからついてくる。
放っておいても、あとからついてくる。
だからこう思う。

地獄でも極楽でも、どちらでもよい、と。
こんな無意味なことを考えるのは、今日で最後にしたい、と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
地獄 極楽 地獄論 極楽論 善人 悪人)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 09++++++++++はやし浩司

【浄土論】

神や仏も教育者だと思うとき 

●仏壇でサンタクロースに……?

 小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーの
おもちゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。
そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。仏壇の前で、サンタクロースに祈るという
のもおかしな話だが、私にはそれしか思いつかなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年始の初詣
は欠かしたことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それが一転するできご
とがあった。ある英語塾で講師をしていたときのこと。高校生の前で『サダコ(禎子)』(広
島平和公園の中にある、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳し
ていたときのことだ。

私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。そのとき以
来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神や仏の力を必要としてい
る人がいる。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、何かの願い事
をしようと思っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。

●身勝手な祈り

 「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のよ
うな人間に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。「クジが当たります
ように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。そんなふうに祈る人は多いが、しかしそ
んなことにいちいち手を貸す神や仏など、いるはずがない。いたとしたらインチキだ。

一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。携帯電話の運勢占いコ
ーナーには、一日一〇〇万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。どうせその程度の
人が、でまかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても一日一〇〇万件とは! 
あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。今からたった二五年
前には、「ありえない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。奇跡といえば、よ
っぽどこちらのほうが奇跡だ。

その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……? 人間の理性というのは、文
明が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれたが、こんな子ども(小五男児)
がいた。窓の外をじっと見つめていたので、「何をしているのだ」と聞くと、こう言った。
「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、あのビルを吹っ飛ばすことができる!」
と。

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