最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●ラブ&ベリー

2007-07-01 22:02:44 | Weblog
●ラブ&ベリー

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女の子の間で、今、
ラブ&ベリーという、
カード・ゲームが
流行(はや)っている。

ゲームというよりは、
着せ替え人形遊び的な、
カード遊びである。

私の生徒の中にも、
何人か、そのゲームに
ハマっている。

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 男児の間では、「ムシキング」という遊びが流行っている。正確には、「甲虫王者ムシキング」という。やや下火になったかなという感じがしないでもないが、それにかわって、今度は、女児の間で、「オシャレ魔女、ラブ&ベリー」という遊びが、流行り始めた。

 男子の間で流行っている、「ポケモン」「遊戯王」「マジック・ザ・ギャザリング(通称、マジギャザ)」などとはちがって、「ラブ&ベリー」は、静かな遊びである。カードを取りあうというよりは、交換しあって、よりセンスのよい組みあわせを競う。

 上から帽子、ヘア・スタイルなどのカード。服やズボンのカード。下は靴まで、いろいろある。女児はこうしてコーディネイトした服装を、実際に身に着け、ラブとベリーのどちらかを選んで、おしゃれのワザを競いあう。そういうイベントも、あちこちで開かれている。

 平和な、どこまでも平和なゲームである。が、問題がないわけではない。

 ラブ&ベリーは、女児のゲームと書いたが、実際には、母親たちのほうが、夢中になっている。そういうケースのほうが、多い。つまり、自分の娘を、着せ替え人形に見たてて、母親たちのほうがそれを楽しんでいる。楽しんでいるというよりは、夢中になっている。

 カードそのものは、アミューズメント・センターやショッピング・センターで買い求めることができる。しかし実際のコスチューム(衣服)となると、そうはいかない。値段も、高い。服飾品もそろえると、かなりの額になる。関連のファンシー製品も、多く、売られている。

 こんなヤボなことを書くと嫌われるかもしれないが、(子どもを飾る)という行為は、できれば最小限に抑(おさ)えたい。子どもはやがて、見てくればかりを気にするようになる。中身よりも、外見を気にするようになる。結果、自分自身を見失ってしまう。

 以前、中日新聞にこんな記事を書かせてもらったことがある。話は少し脱線するが、許してほしい。

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●親の心は子どもの心

 一人の母親がきて、私にこう言った。「うちの娘(年長児)が、私が思っていることを、そのまま口にします。こわくてなりません」と。話を聞くと、こうだ。

お母さんが内心で、同居している義母のことを、「汚い」と思ったとする。するとその娘が、義母に向かって、「汚いから、あっちへ行っていてよ」と言う。

またお母さんが内心で、突然やってきた客を、「迷惑だ」と思ったとする。するとその娘が、客に向かって、「こんなとき来るなんて、迷惑でしょ」と言う、など。

 昔から日本でも以心伝心という。心でもって心を伝えるという意味だが、濃密な親子関係にあるときは、それを望むと望まざるとにかかわらず、心は子どもに伝わってしまう。子どもは子どもで、親の思いや考えを、そっくりそのまま受け継いでしまう。こんな簡単なテスト法がある。

まず二枚の紙と鉛筆を用意する。そして親子が、別々の場所で、「山、川、家」を描いてみる。そしてそれが終わったら、親子の絵を見比べてみる。できれば他人の絵とも見比べてみるとよい。濃密な関係にある親子ほど、実によく似た絵を描く。二〇~三〇組に一組は、まったく同じ絵を描く。親子というのは、そういうものだ。

 こういう例はほかにもある。たとえば父親が、「女なんて、奴隷のようなものだ」と思っていたとする。するといつしか息子も、そう思うようになる。あるいは母親が、「この世の中で一番大切なものは、お金だ」と思っていたとする。すると、子どももそう思うようになる。つまり子どもの「心」を作るのは親だ、ということ。親の責任は大きい。

 かく言う私も、岐阜県の田舎町で育ったためか、人一倍、男尊女卑思想が強い。……強かった。「女より風呂はあとに入るな」「女は男の仕事に口出しするな」などなど。いつも「男は……」「女は……」というものの考え方をしていた。その後、岐阜を離れ、金沢で学生生活を送り、外国へ出て……、という経験の中で、自分を変えることはできたが、自分の中に根づいた「心」を変えるのは、容易なことではなかった。今でも心のどこかにその亡霊のようなものが残っていて、私を苦しめる。油断していると、つい口に出てしまう。

 かたい話になってしまったが、こんなこともあった。

先日、新幹線に乗っていたときのこと。うしろに座った母と娘がこんな会話を始めた。

「Aさんはいいけど、あの人は三〇歳でドクターになった人よ」
「そうね、Bさんは私大卒だから、出世は見込めないわ」
「やっぱりCさんがいいわ。あの人はK大の医学部で講師をしていた人だから」と。

どうやらどこかの大病院の院長を夫にもつ妻とその娘が、結婚相手を物色していたようだが、話の内容はともかくも、私は「いい親子だなあ」と思ってしまった。呼吸がピタリと合っている。

 だから冒頭の母親に対しても、私はこう言った。「あなたと娘さんは、すばらしい親子関係にありますね。せっかくそういう関係にあるのですから、あなたはそれを利用して、娘さんの心づくりを考えたらいい。あなたのもつ道徳心や、やさしさ、善良さもすべて、あなたの娘さんに、そっくりそのまま伝えることができますよ」と。 

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 「ラブ&ベリー」について考えているとき、私はあのとき耳にした会話を思い出していた。母と娘は、こう言いあっていた。

「Aさんはいいけど、あの人は三〇歳でドクターになった人よ」
「そうね、Bさんは私大卒だから、出世は見込めないわ」
「やっぱりCさんがいいわ。あの人はK大の医学部で講師をしていた人だから」と。

 私は、恋愛、さらに結婚というのは、(心の問題)と考えている。その(考え)には、今でも、みじんもゆるぎがない。しかし恋愛、さらに結婚というのを、(見てくれ)で考えている人も少なくない。

 また、こんな原稿を書いたこともある。この原稿も、中日新聞のほうで発表させてもらった。

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●最近の女子高校生は……

市立図書館で、女子高校生六人に聞いてみた。「君たちは将来、何をしたいか」と。

私は当然、キャリアウーマン的な人生観をもっているものとばかり思っていた。が、五人までがこう答えた。「結婚して、はやく家庭に入りターイ」「家庭でダンナの帰りを待ちながら、料理しターイ」と。

私が「家庭の主婦になるということか」と聞くと、「そうだヨー」と。そこでさらに「仕事はしないのか?」と聞くと、「したくないヨー。ダンナの給料だけでやっていきたいヨー」と。

見た感じ、ごく普通の高校生である。ちょうどテスト週間で、図書館に来ていた。私は質問を変えて、「では、どんな男と結婚したいか」と聞いた。すると一人が、「一にマスク、二に経済力…。『これオヤジのマンション』と言うような金持ちの息子がいい」と言った。

私が「心はどうする。結婚するというのは、心の問題だよ」と言うと、「マスクのいい人は、心もいいに決まってルー」と。

 あれこれ話したが、政治の話を持ちだすと、「ダサーイ」とはねのけられてしまった。

私「国の借金が七百兆円もあるんだよ。一人六百万円だよ。君たちの借金なんだよ。それはどうするの?」。高校生「私ら、そんな話、関係ないもんネー」「そうよネー」と。

 言いたいことは山ほどある。あるが、こういう現実を見せつけられると、自分をのろいたくなる。五十歳をすぎても、日本の将来を心配している自分が、なさけなくなる。少し飛躍した感想かもしれないが、なぜあの三島由紀夫が腹を切ったか、その心情がよくわかる。私たちはこういう高校生をつくるために、がんばってきたのか、と。

 少し前だが、こんなこともあった。あるキャンプ場で国旗の掲揚をしたときのこと。何人かの高校生が、「スター・スパングルド・バナー(星条旗)」を口ずさんでいるのを聞いた。

アメリカの国歌である。日本の国歌には言いたいこともいろいろあるが、しかし今、日本の若者たちがここまで脱線しているかと思うと、ゾッとする。そう、何かが狂っている。しかし相手は子どもだ。日本の将来をになう子どもだ。そういう子どもをさして、「失敗作」と、どうして言えるだろうか。子どもを笑うということは、即、自分を笑うということになる。そんなことは、私にはとてもできない。

 ……何ともやりようのない空しさを感じながら、私は図書館を出た。

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 中身を軽視する若い人たち。見てくればかりを気にする若い人たち。何もそういう風潮は、今生まれたばかりというわけではないが、ラブ&ベリーというゲームが、そうした風潮を助長しているかのようにも思う。あるいは、そうした風潮に、このゲームがうまく乗ったのかもしれない。

 どちらにせよ、これから先、日本は、どうなるのだろうと、そこまで考えてしまう。

 お笑いタレントが、どこかの県の知事になっても、だれもそれを疑問に思わない。テレビタレントが、国会議員になっても、だれもそれを疑問に思わない。マスコミという外に現れた見てくれだけを見て、人を判断する。政治を任す。しかしこれはとんでもない、まちがいである。

 ……というのは、少し考えすぎかもしれない。女児や母親たちの(遊び)と考えれば、それまでのこと。しかし……。本当に、このままでよいのか?

 みなさん、もっと、自分の頭で考えよう。考えて、自分で判断できる人間になろう!
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