最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●茶髪文化

2009-06-01 10:59:05 | Weblog
【茶パツと文化】



だれにも迷惑をかけないからいい!

子どもの個性(失敗危険度★★)



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子どもの茶パツが、問題になった。



先日も、ある小学校の先生と電話で、

そんな話題になった。



少し前に書いた原稿を、それについて

書いたものを、拾ってみる。



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●子どもの茶パツ



 浜松市という地方都市だけの現象かもしれないが、どの小学校でも、子どもの茶パツに眉を
ひそめる校長と、それに抵抗する母親たちの対立が、バチバチと火花を飛ばしている。講演な
どに言っても、それがよく話題になる。



 まず母親側の言い分だが、「茶パツは個性」とか言う。「だれにも迷惑をかけるわけではない
から、どうしてそれが悪いのか」とも。今ではシャンプーで髪の毛を洗うように、簡単に茶パツに
することができる。手間もそれほどかからない。



●低俗文化の論理



 しかし個性というのは、内面世界の生きざまの問題であって、外見のファッションなど、個性と
はいわない。こういうところで「個性」という言葉をもちだすほうがおかしい。また「だれにも迷惑
をかけないからいい」という論理は、一見合理性があるようで、まったくない。



裏を返していうと、「迷惑をかけなければ何をしてもよい」ということになるが、「迷惑か迷惑でな
いか」を、そこらの個人が独断で決めてもらっては困る。こういうのを低俗文化の論理という。
こういう論理がまかり通れば通るほど、文化は低俗化する。



文化の高さというのは、迷惑をかけるとかかけないとかいうレベルではなく、たとえ迷惑をかけ
なくても、してはいけないことはしないという、その人個人を律するより高い道徳性によって決ま
る。「迷惑をかけない」というのは、最低限の人間のモラルであって、それを口にするというの
は、その最低限の人間のレベルに自分を近づけることを意味する。



●学校側の抵抗



で、学校側の言い分を聞くのだが、これがまたはっきりしない。「悪いことだ」と決めてかかって
いるようなところがある。中学校だと、校則を盾にとって、茶パツを禁止しているところもある。



小学校のばあいは、茶パツにするかしないかは親の意思ということになる。が、学校の校長に
してみれば、茶パツは、風紀の乱れの象徴ということになる。学校全体を包むモヤモヤとした
風紀の乱れが、茶パツに象徴されるというわけだ。だから校長にしても、それが気になる。…
…らしい。



●まるで宇宙人の酒場!



 が、視点を一度外国へ移してみると、こういう論争は一変する。先週もアメリカのヒューストン
国際空港(テキサス州)で、数時間乗り継ぎ便を待っていたが、あそこに座っていると、まるで
映画「スターウォーズ」に出てくる宇宙の酒場にいるかのような錯覚すら覚える。



身長の高い低い、体形の太い細いに合わせて、何というか、それぞれがどこか別の惑星から
来た生物のような、強烈な個性をもっている。顔のかたちや色だけではない。服装もそうだ。国
によって、まるで違う。



アメリカ人にしても……、まあ、改めてここに書くまでもない。そういうところで茶パツを問題にし
たら、それだけで笑いものになるだろう。色どころか、髪型そのものが、奇想天外というにふさ
わしいほど、互いに違っている。ああいうところだと、それこそ頭にちょうちんをぶらさげて歩い
ていても、だれも見向きもしないかもしれない。



●結局は島国の問題?



 言いかえると、茶パツ問題は、いかにも島国的な問題ということになる。北海道のハシから沖
縄のハシまで、同じ教科書で、同じ教育をと考えている日本では、大きな問題かもしれないが、
しかしそれはもう世界の常識ではない。



 そんなわけでこの問題は、もうそろそろどうでもよい問題の部類に入るのかもしれない。ただ
この日本では、「どうぞご勝手に」と学校が言うと、「迷惑をかけなければ何をしてもよい」という
論理ばかりが先行して、低俗文化が一挙に加速する可能性がある。学校の校長にしても、そ
れを心配しているのではないか? 



私にはよくわからないが……。






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