最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●子どもの心の形成期

2011-07-16 10:54:22 | Weblog
●子どもの心とその形成期

【乳幼児期・信頼関係の構築期】(0歳~2歳前後)

●基本的信頼関係

 幼児の心は、段階的に形成されていく。
混然一体となり、一次曲線的に形成されていくのではない。
たとえば0歳から2歳ごろまでの乳幼児期。
エリクソンという学者は、この時期を「信頼関係の構築期」と位置づけている。
信頼関係…つまり母子の間における信頼関係とという。

この信頼関係の構築に失敗すると、いわゆる心の開けない子どもになる。
さらにひどくなると、情意(心)と表情が、一致しなくなる。
指導する側から見ると、「何を考えているか、わからない子ども」ということになる。
これは子どもにとっても、不幸なことである。
良好な人間関係を結べなくなる。
そのためいつも孤独感にさいなまれるようになる。

そこでその子どもは、外の世界で友を求める。
しかし心が閉じているから、外の世界になじめない。
その分だけ精神疲労を起こしやすい。
ときに傷つく。
これを繰り返す。

 そうした状態を、ショーペンハウエルという心理学者は、『2匹のヤマアラシ』という言葉を使って説明した。

2匹のヤマアラシ…ある寒い夜、2匹のヤマアラシは、たがいにくっついて暖を取ろうとした。
が、くっつきすぎると、たがいの針が痛い。
離れると寒い。だから2匹のヤマアラシは、一晩中、くっついたり離れたりを繰り返した。

●性格

 が、それですまない。
心は性格として定着する。
「私」がない分だけ、自分を偽る。
仮面をかぶることもある。
おとなにへつらったり、愛想よくしたりする。
わざとおとなの前で、いい子ぶったりする。
イプセンの『人形の家』の主人公を例にあげるまでもない。

 …ということで、この時期は、(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)を大切にする。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
つまり子どもの側からすれば、「どんなことをしても許される」という安心感。
母親側からすれば、「どんなことをしても許す」という包容力。
この2つがあいまって、はじめて母子の間の信頼関係が構築される。
が、不幸にして不幸な家庭に育ち、信頼関係の構築に失敗すれば、基本的不信関係となり、障害に渡ってその子どもは、重い十字架(業)を背負うことになる。

【幼児期前期・自律期】(2~4歳児)

●マシュマロテスト

 1960年代に、スタンフォード大学で、たいへん興味深いテストがなされた。
「マシュマロテスト」(D・ゴールマン)というのがそれである。
「天才とバカの境目」(植島啓司著・宝島社)に紹介されているので、それを要約させてもらう。

+++++以下、「天才とバカの境目」より、要約+++++

 4歳の子どもに、実験者がこう言う。

「ちょっとお使いに行ってくるからね。おじさんが戻ってくるまで待っていられたら、ほうびに、このマシュマロを2つあげる。
でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロを、1つだけあげる。
そのかわり、いますぐ食べてもいいけどね」と。

 4歳の子どもには、大きな試練だ。
さてあなたなら(あなたの子どもなら)、どうするだろうか。

 ゴールマンはこう言う。
『子どもがどちらを選ぶかは、多くのことを語ってくれる。
性格が端的に読み取れるだけではなく、その子どもがたどる人生の軌跡まで想像できる』と。

 で、4歳児のうち、何人かは実験者が戻ってくるまで、15分ないし20分間を待つことができた。
待っている間、子どもたちはマシュマロを見なくてすむように、両手で目を覆ったり、顔を伏せたりしていた。
自分を相手におしゃべりをしていた子どももいたし、歌を歌っていた子どももいた。
最後までがんばりぬいた子どもは、ほうびにマシュマロを2個もらった。

 同じ4歳児でも衝動性の強い子どもは、目の前のマシュマロに手をのばした。
しかもほとんどのばあい、実験者が、『お使いに行く』と部屋を出た直後にそうした」と。

●決定的な差

 この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡調査がなされたという(同書)。

 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個受け取ったグループとでは、決定的な差が生じた。

 情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT(大学進学適正試験)で、もう一方のグループに200点以上もの大差をつけたという(同書)。

+++++以上、「天才とバカの境目」より、要約+++++

●忍耐力

 よく誤解されるが、この時期の子どもにとって、忍耐力というのは、「いやなことをがまんしてする力」のことをいう。
一日中、サッカーをしているからといって、忍耐力のある子どもということにはならない。
好きなことをしているだけである。
ためしに子どもに、台所のシンクにたまった生ゴミを手で始末させてみるとよい。
背が届かなければ、風呂場の排水口にたまった毛玉でもよい。
そういった仕事を、何のためらいもなく、ハイと言ってできれば、その子どもはすばらしい子どもということになる。

もちろんこのタイプの子どもは、学習面でも伸びる。
というのも、もともと(勉強)には、ある種の苦痛がともなう。
その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。

●自律期

 エリクソンは、この時期を「自律期」と呼んだ。
この時期を通して、幼児は、してよいことと、してはいけないこと、つまり自分の行動規範を決める。
簡単な実験だが、家の中で花瓶の位置がずれていただけで、この時期の子どもは、「どうして?」と聞く。
この時期をとらえ、うまく指導すれば、ものの道理をよくわきまえた子どもになる。
そうでなければそうでない。
マシュマロテストでもわかるように、衝動的行為をコントロールできなくなる。

【幼児期後期・自立期】(4~5・5歳児)

●暴言

 この時期の子どもの特徴は、生意気になること。
親が「新聞を取ってきて!」と頼むと、「自分のことは自分でしな」と言い返したりする。
生意気になりながら、自立をめざす。

で、子どもの自立を促す3種の神器、それが(1)ウソ、(2)暴言、(3)盗み。
ウソについては、2歳前後から始まる。
ウソ寝、ウソ泣きがそれである。
つぎに暴言。
自立期に入ると、親の優位性を打破しようと、子どもは親に向かって暴言を吐くようになる。
「ババア」「ジジイ」「バカ」など。
暴言を許せというのではない。
暴言を言えないほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。
適当にあしらい、あとは無視する。
私のばあい、つぎのような方法で、幼児を指導している。

私「……もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて!」
私「でも、この言葉は、使ってはいけないよ。園長先生とか、お父さんに言ってはだめだよ」
子「わかった。約束する」と。

 そこで私はおもむろに、こう言う。
「ビダンシ(ビダンシ)」と。
それ以後幼児たちは、喜んでその言葉を使う。
私に向かって、「ビダンシ、ビダンシ!」と。

●引き出す(educe)

 が、ここでも誤解してはいけないことがある。
この時期、「自立心」は、どの子どもにも平等に備わっている。
そのため自立心は育てるものではなく、引き出すもの。
が、かえってその自立心をつぶしてしまうものがある。
親の過保護、過干渉、溺愛である。
とくに過干渉が、こわい。
親の威圧的、暴力的、権威主義的な育児姿勢が日常化すると、子どもはいわゆる「過干渉児」になる。
子どもらしいハツラツとした伸びやかさを失い、暗く沈んだ子どもになる。
発達心理学の世界には、「萎縮児」という言葉さえある。
最悪のばあいは、精神そのものが萎縮してしまう。

 (その一方で、同じ家庭環境にありながら、粗放化する子どももいる。
親の過干渉にやりこめられてしまった子どもを萎縮児とするなら、それをたくましくやり返した子どもということになる。
兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースは、よく見られる。)

●原因は母親

 原因のほとんどは、母親にある。
子育ての不安が、親をして過干渉に駆り立てる。
が、簡単に見分けることができる。

私、子どもに向かって、「お正月にはどこかへ行ってきたの?」
子「……」
母、それを横で見ていて、「おじいちゃんの家に行ったでしょ。行ったら、行ったと言いなさい」
子「……」
私、再び子どもに向かって、「楽しかった?」
子「……」
母「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい」と。

 子どもの心の内容まで、親が決めてしまう。
典型的な過干渉ママの会話である。

【児童期・勤勉性の構築期】(5・5歳~)

●日本人の勤勉性

 3・11大震災が起きたときのこと。
栃木県にあるH自動車栃木工場の操業が不可能になってしまった。
天井が落下した。
その直後、この浜松市から2500人もの応援部隊が、栃木工場に向かった。
一方、栃木工場にいた設計士たちは、浜松近郊の関連会社へ来て、仕事をつづけた。
また被災地においても、ほかの国であるような、略奪、暴動などは、起きなかった。
日本人が培った勤勉性、つまり(組織的なまじめさ)は、こうした場面でも、いかんなく発揮された。

 こうした勤勉性は、言うまでもなく、学校教育によって育てられる。
いろいろ問題点がないとは言わない。
世界のすう勢は、自由教育。
EUでも大学の単位は共通化された。
アメリカでは、ホームスクーラー(日本でいうフリースクールに通う子ども)が、2000年には100万人を超えた。
現在、推定で200万人はいるとされる。
ドイツでは、午前中は学校で、午後はクラブでという教育形態が、ふつうになっている(中学生)。

日本もその方向に向かいつつはあるが、ともかくも、勤勉性の構築という点では、日本の学校教育には、すぐれた面も多い。
この(まじめさ)をさして、ある欧米の特派員は、「美徳」と評した。

【総括】

●臨界期

 それぞれの発達段階には、臨界期がある。
言葉の発達、音感や美的感覚の発達などなど。
それぞれの時期をはずすと、指導がたいへんむずかしくなる。
心についても、そうである。

 たとえば自立期に入った子どもに、「自律」を教えようとしても、たいてい失敗する。
よくあるケースが、「あと片づけ」。
自立期の子どもに、一度、あと片づけをしっかりと教えておくと、以後その子どもは、自然な形で、あと片づけができるようになる。
先にも書いたように、花瓶の位置がずれていただけで、それを気にする。
心についても、そうである。

 幼児期後期で、一度、精神が萎縮してしまうと、以後その改善は、きわめてむずかしい。
『三つ子の魂、百まで』というが、それがそのままその子ども(人)の人格の「核(コア)」になる。
言い換えると、この時期を過ぎたら、子どもの心はいじらない。
「この子はこういう子である」と認めた上で、教育を組み立てる。
へたにいじると、自信なくしたり、自己評価力の低い子どもになってしまう。

 親子の絆にしても、そうだ。
最近の研究によれば、人間にも、刷り込み(インプリンティング)に似たようなものがあることがわかってきた。
孵化してすぐ二足歩行を始める鳥類は、最初に見たものや聞いたものを親と思い込む。
それを刷り込みというが、そのとき親子の絆は、本能に近い部分にまで刷り込まれる。
人間のばあい、生後0か月から7か月前後までとされる。
この時期を「敏感期」と呼ぶ学者もいる。
この時期における親子の絆作りがいかに重要かは、このひとつをとっても、わかる。

●幼児教育の偏見と誤解

 さらに心の病気についても、その「核」は、乳幼児期に作られると説く学者もいる。
たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、『母親から保護される価値のない、自信のない自己像』(九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)を形成すると説く。
さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

 このように現在、幼児教育が、教育の分野のみならず、医学、心理学の3方向から、見直され始めている。
「幼児だから幼稚」「子どもだから幼稚」という偏見と誤解が、今、急速に音を立てて崩れ始めている。
かつてワーズワースは、こう歌った。

『子どもは、人の父(A Child is Father of the Man)」と。

この言葉のもつ重みを、もう一度、心にしっかりと刻んでほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 エリクソン マシュマロテスト 幼児期前期 児童期 敏感期 臨界期 はやし浩司 吉田敬子 自律期 自立期)2011/07/16記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

(以下、参考)

●子どもの行動

 ときとして子ども(幼児)は、予期しない行動をする。
私が体験した失敗例をあげてみる。
(1)鉛筆とキャップ
 クレヨンと鉛筆の持ち方は、基本的に、ちがう。
クレヨンは、親指、人差し指、中指の3本ではさむようにしてもつ。
そこで4~5歳になると、鉛筆の持ち方を練習する。
そのとき多くの子どもは、鉛筆を使うとき、キャップを鉛筆の端(芯のないほうの端)にかぶせる。
事故は、そのあとに起る。
鉛筆の使用が終わると、幼児は、鉛筆とキャップの両方を、それぞれの手で握る。
握って両側に引っ張る。
そのときグイと引っ張った勢いで、鉛筆とキャップをもったまま、両手を広げる。
幼児の体はやわらかい。
両手が、ほぼ180度以上、広がる。
そのとき鉛筆の先(芯)が、隣の子どもの顔などを刺す。
一度は、隣の子どもの頬に、鉛筆の芯が突き刺さってしまったことがある。
「目でなくてよかった」と言うのは不謹慎かもしれないが、もしあのときそれが目だったら、今の私はない。
 鉛筆は危険な道具であるという認識を、もってほしい。
なお鉛筆をもったまま、「ハイ」と手をあげるのも、たいへん危険。
子どもによっては、上方にではなく、横に手をあげる子どももいる。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●アメリカの玩具安全基準

 おもちゃについて、アメリカの安全基準は、たいへんきびしい。
それを取り仕切っているのが、「アメリカの消費者安全委員会(U.S. Consumer Product Safety Commission: Washington, D.C. 20207)」(以下、CPSC)。
CPSCの発行しているガイドブックには、つぎのようにある。

(1)電気じかけのおもちゃについて、ショックあるいは熱の危険性があってはならない。
(2)塗装品の鉛の含有量は、きびしく制限されている。
(3)おもちゃの外部、内部には、中毒性の物質があってはならない。
(4)12歳以下の子どもが遊ぶおもちゃの材質については、危険性がないこと、およびASTMD-4236※に従った表示がなければならない。
(5)合成ゴム製の風船やおもちゃについては、誤飲や口に入れることにより、窒息する危険性を表示しなければならない。

 さらにCPSCは、年齢別に、きびしく注意事項を並べている。
たとえば3歳未満の幼児が使うおもちゃについては、つぎのようにある。

(1)まちがって遊んでも、こわれないものであること。
(2)のどに入るほどの、小さな部品はあってはならないこと。
(3)幼児が口の中でガラガラやっても、こまかい部品に分解してはいけないこと。
(4)1・75インチ(4・45ミリ)以下のボール(球)があってはならないこと。

 詳しくは、前述安全委員会のHPを参照にしてほしい。
しかしこうした基準がきびしいということは、それだけ事故も多いということ。

(注※)ASTMD-4236について(ウィキペディア百科事典より)
ASTMは、American Society for Testing and Materialsの略。
「美術・工芸材料の慢性的健康危害に関するラベル表示の標準的実施」をいう。
アメリカでは、健康に悪影響を及ぼす可能性のある商品については、商品に適切なラベル表示をすることが義務付けられている。
ただし表示は、アメリカ国内のみ。

アメリカの団体でACMI(Art and Creative Material Institute)が発行しているマーク。
左の3種類は、デザインが異なるがその意味は同じ。
評価の基準は、会員以外には明らかにされていない。
急性毒性、慢性毒性、皮膚刺激、発ガン性、アレルギー、内分泌かく乱物質等あらゆる面にわたって安全性が審査される。
現在、デューク大学メディカルセンターにおいて、専門の毒物学者が実際の審査にあたっていて、このマークの信頼性は、非常に高い。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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