最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●ニュー・リッチ

2007-11-21 07:28:39 | Weblog
●今朝・あれこれ(11月21日)

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毎年、秋になると、岐阜に住む
友人が、柿を送ってくれる。

実家が、柿農家だという。自分で
もいで、ふくろをかけたという。

「今年は肥料のやり過ぎで、少し
実がかたい」と、電話の向こうで、
笑っていた。

私は、岐阜弁が嫌いではない。
子どものころは、その岐阜弁に
あこがれさえ抱いた。

郷里のM町に生まれ育った私には、
岐阜弁が、洗練された都会の言葉に
聞こえた。

ありがとう、Nさん!

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●ニュー・リッチ

 子どもの学費で悲鳴をあげている人たちがいる一方で、稼いだお金をどう使おうかと、苦労している人たちがいる。50代や60代の人たちの話ではない。20代、30代の若い人たちの話である。

 いわゆる「ニュー・リッチ」と呼ばれる人たちである。

 野村総合研究所の推計によれば、金融資産が1億円以上の世帯は、日本に87万世帯あるという。しかもその総世帯数の2%に満たない層が、総額213兆円もの資産を占めている。これは日本の個人金融資産の10%以上に相当するという(文藝春秋「日本の論点、‘08」)。

 もちろんこの中には、昔からいう資産家や、医師や弁護士など、特殊な職業の人たちも
含まれる。が、その構図が今、大きく変わろうとしている。

 ゼロ金利政策と、それにつづく超低金利政策。今、日本は、日本国内はもちろんのこと、世界中に、日本の円が、「ジャブジャブに」(某経済誌)バラまかれている。日本という国全体が、巨大なサラ金国家になっていると考えると、わかりやすい。

 こうしてバラまかれたお金は、当然のことながら、だれかのところに集まる。私の知人の中には、いわゆるストックオクションだけで、毎年、1~2億円の利益をあげている人がいる。「すごいね」と話しかけると、「ぼくなんか、まだ少ない方だよ」と笑っていた。その知人は、今年40歳になったばかりである。

 こうした格差をながめていると、それは「格差」というより、「情報の差」ということになる。もっと言えば、「交流の差」ということになる。いかにして「質の高い人」とつきあうか。その差が、情報の差となり、格差となる。恩師の田丸先生も、会うたびに、私にこう言う。「質の高い人たちと、もっと交流しなさい」と。

 もちろん田丸先生は、金儲けのことで、そう言ったのではない。しかしそれは事実で、その世界でもトップクラスの人には、その人独特の雰囲気というものがある。会った瞬間に、オーラのようなものさえ感ずる。(私は、「オーラ」なるものは信じていないが……。)そうしたオーラは、本や雑誌を通しては、ぜったいに感ずることができないものである。

 ニュー・リッチと呼ばれる人たちは、こうした人脈を巧みにたどりながら、それを自分の利益につなげていく。

 では、どうすれば、その「質の高い人」と交流できるかだが、その第一の条件は、「今、住んでいる世界から、飛び出す」こと。飛び出して他流試合を重ねていくこと。するとそこにひとつの輪ができる。その輪の中に入ってしまえば、しめたもの。……といっても、その「輪」は、あとになってわかるもの。そのときは無我夢中で、その「輪」に気づくことはない。

 私のばあいも、20代のころは、たしかにその「輪」の中にいた。今でこそ留学といっても、珍しくも、何ともない。だれでもできる時代になった。しかし私の時代には、そうではなかった。あの人口300万人(当時)と言われるメルボルン市ですら、日本人の留学生は、私、1人だけだった。

 私の世話人になってくれたのが、現在の皇后陛下の父親の正田氏だった。(当時は、世話人がいないと、日本人は、正規の留学が認められなかった。)その正田氏とも、東京へ行くたびに、電話1本で、会うことができた。

 そんな中、札幌オリンピックのつぎの企画の仕事が、仲間のA氏のもとにころがりこんできた。A氏は、第一回日豪経済委員会給費留学生。私が、第二回日豪経済委員会給費留学生だった。メルボルン大学時代の私の友人のP氏も、仲間に加わった。

 私は、三井物産という会社をやめ、その仲間に加わった。当時、財界の大物であった、今里氏という人物が、スポンサーになってくれた。……とまあ、今から思っても、とんでもない世界に、私はいたと思う。

 その余録というわけでもないが、浜松に移り住み、ちょうどワイフが長男を妊娠したころのこと。アメリカからチョウ氏という、中国系アメリカ人が、私を何度か訪ねてきた。話を聞くと、何でも、今度、東京に遊園地(彼は「プレイ・グラウンド」という言葉を使った)を作ることになった。ついては、私に、その遊園地の副園長になってくれないか、というものだった。

 名前を聞くと、「ディズニーランドだ」という。が、私は、その世界のことをまったく知らなかった。私は浜松市の郊外にある、「P」という名前の遊園地を想像していた。だから、断った。「東京には、2度と戻りたくない」という思いも強かった。

 今のニュー・リッチの人たちにはかなわないが、当時の私は私で、結構、稼いだと思う。毎週のように外国へでかけ、いろいろな人に出会った。ビジネスもした。が、そのあといろいろと心境の変化もあって、ビジネスの世界からは遠ざかったが、だからといって、何も、負け惜しみを書いているのではない。

 先に書いたA氏は、外資系企業の社長を歴任している。P氏にしても、オーストラリアへ帰ってから起業に成功し、40歳そこそこの若さで、自分の会社を、オーストラリアでも、利益ナンバー・ワンの会社に育てあげている。

 ここで私がここで言う「自分の世界から飛び出す」「輪」というのは、そういう意味である。

 しかし、では、そういう世界が「幸福な世界」「私たちが求める世界」かというと、私は、そうではないと思う。お金を湯水のごとく使っても、変えられないものがある。変わらないものも、ある。それについては、また別の機会に書くことにして、ともかくも、ニュー・リッチをめざすなら、そういう「輪」の中に入る、ということになる。

 ただ、残念に思うのは、私が若いころには、格差といっても、知れたもの。が、今は、それがケタ外れになってきている。狂ってきている。冒頭であげた、「日本の論点‘08」には、こんな話が紹介されている。

 「高級外車の国内販売代理店に、1人の若い女性がフェラーリを買いたいと、現れた。現金で、2700万円をもってきたという。ところが店員は、すぐには売れないと答えた。フェラーリは注文が殺到し、3年待ちの状態だったからだ。そんなに待てないと、女性が別の業者に相談したところ、あと1000万円プラスしてくれれば、翌週に手配できるとのこと。彼女はためらうことなく、すぐに全額を支払った……」(P56)と。

 先日もテレビで、掃除機を1回ずつ、使い捨てにしているという女性を紹介していた。(掃除機そのものを、だぞ!)「ゴミ袋を取り替えることができないから」という理由で、そうしているのだという。

 フ~ンとうなっただけで、私は、そこで言葉を失った。


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