最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●インターネット

2007-11-21 07:57:32 | Weblog
●インターネットの世界

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インターネットの発明は、
第二の産業革命に匹敵する
ほど、この世界を変えつつ
ある。

(「第二の産業革命」になるか
どうかは、もう少し歴史の中で
熟成させてみないとわからな
いが……。)

一時は、ウィルスなどの出現で、
インターネット限界論も、
強く叫ばれた。が、今は、その声も
弱くなった。

インターネットには、それ以上の
パワーがある。

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●恐ろしいほどの高速性

 私が何よりも驚いているのが、その高速性である。昔は、こうだった。

 まず雑誌社から1本の電話が入る。「今度の雑誌の付録の原稿を書いてほしい」と。そのとき、同時に、おおまかな内容や字数が、告げられる。

 私はその原稿を書き、それを速達で送る。真夜中に郵便局へ走るのが、当時の日課のようにもなっていた。

 しばらくすると、原稿のゲラ刷りが送られてくる。私は、それにチェックを入れる。あるいは電話で返事をする。私が30歳くらいのとき、すでにFAXなるものはあるにはあったが、大きな機械で、ドラムを回しながら、送信するというものだった。

 が、今では、そうした作業が、瞬時にできる。書きあげる原稿の量にしても、比較にならない。現在の私でも、単行本の分量にして、(1600字詰め原稿用紙x100~120枚分程度)、月に、2~3冊分は書いている。

 しかもBLOG上で原稿を書くと、その1~2日後には、検索エンジンで検索できるようになる。

 BLOGだけでも、毎日、数百人以上、HPだけでも、毎日、数百人以上、さらに電子マガジンについては、毎号3000人以上もの人たちが、私の原稿を読んでくれていることになる。

 (現在BLOGは4誌、HPは6誌、マガジンは3誌、発行している。)

 これに検索エンジンを使って、HPの各ページなどにアクセスしてくれている人を含めると、その数は、膨大なものになる。おおざっぱな計算だが、月に、数万から、ばあいによっては、十数万人になるかもしれない。

 そういう作業が、たったひとりでできる。この8畳間という小さな部屋の中だけで、できる。

●質とマネー

 が、問題がないわけではない。多くの人は、「インターネットで流れる情報には、信頼性がない」と考えている。

 しかしこれについては、私は、過渡的なものではないかと思っている。インターネットの世界では、(私の原稿も含めてでの話だが……)、とても原稿にならないような原稿も、同時に、流されている。そういう原稿が、インターネットの質を落としているのも事実。

 が、このところ、つまりこの数年の間だけでさえ、質が変わってきた。あるパソコン雑誌(「週刊・アスキー」)の中で、こんなような記事を書いている人がいた。

 テレビができたころ、映画の制作にかかわる人たちは、「テレビは映画には勝ち目はない。画面がザラついていて、使い物にならない」と言っていたという。

 が、そのテレビも今では、格段の進歩を遂げた。つまり昔のテレビと映画の関係、そして今のインターネットと新聞、書籍の関係は、どこか似ている?

 「今の状態」だけを見て、インターネットを判断してはいけない。

 またつぎに、マネーの問題がある。

 昔は、つまりインターネットの世界に入る前は、どんな本を書いても、出版と同時に、最低でも、30~60万円の現金収入があった。しかし今は、ほとんどゼロに近い。多くの人は、「インターネットで得る情報は、タダ」と思っている。

 私にしても、書店での書籍の購入に、月、数万円以上も使っている。が、インターネット上での支払いには、何かしら、大きな抵抗感を覚える。できるだけタダですまそうという心理が、強く働く。

 これはどういう心理によるものか、私にもよくわからない。ときどき本を買ったあと、「こんな程度の情報なら、インターネットでいくらでも、タダで手に入るのに」と思うことがある。

 つまりインターネットでは、どうやって情報をマネーにつなげていくか、それが問題ということになる。(これも、私の個人的な問題なのかもしれないが……。)

 しかし全体としてみると、インターネットがもつ影響力には、ものすごいものがある。たとえて言うなら、野原を自由に走り回るブルドーザーのようなもの。今は、その過渡期だから、あちこちに不完全な部分があるかもしれない。が、やがてそれも解消されるだろう。

 私自身は、インターネットの未来を信じている。

(付記)●地域性について

 若いころ、私を知る人は、みな、こう言った。「君がしているような仕事は、東京でないとだめだ」「東京へ出てこい」と。

 私も、地方に住むことの限界を強く感じていた。そんなある日のこと。私が27~8歳くらいのときのことではなかったか。実名を出して恐縮だが、北海道の札幌にある、ハドソンという会社が、今で言う「エクセル」に似た、表計算のソフトを発売した。名前を「カルク」と言った。

 私はそれにとびついた。当時、私は、すでに何台かのパソコンをもっていた。が、何よりも驚いたのは、その会社が、札幌にある会社だったということ。「地方の会社でも、こんなことができるのだ!」と。

 しかし今から思うと、それがインターネットの始まりだったように思う。もちろん当時、インターネットはなかった。その前身である、(パソコン通信)なるものが、NEC系で始まったのは、私が35、6歳くらいのときのことではなかったか。

 最初は、カタカナ通信だけ。やがてひらがな通信、さらに漢字通信ができるようになった。私はそのつどパソコン販売店へ足を運び、パソコンを買い換えた。

 話が脱線したが、今では、こうして地方に住む私が、何らハンディなく、世界に向かって情報を発信できる。つまりインターネットが、社会構造そのものがもつ地域性を、完全に破壊してしまった。「破壊」というより、「垣根」の概念そのものをなくしてしまった。

 これもインターネットがもつ特性のひとつとして、頭に入れておかねばならない。

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