最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●心を開く(2)

2009-01-17 18:06:37 | Weblog
【心を開く】(補足)

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あなたは夫(妻)や、子どもに、心を
開いているか。
あなたの妻(夫)や、子どもは、あなたに
心を開いているか。

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●基本的信頼関係

心を開けない子どもというのは、いる。
2、3年、つきあっても、警戒心をゆるめない。
緊張感を解かない。
いつもそこにいて、一歩退いている。
親しくなろうと近寄っても、軽く拒絶してしまう。

原因は、乳幼児期の母子関係の不全ということになる。
いわゆる基本的信頼関係の構築が、うまくできなかった。
子どもは、(絶対的な安心感)の中で、基本的信頼関係を身につける。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
(絶対的な安心感)は、(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)で成り立つ。
子どもの側からすれば、「どんなことをしても許される」という安心感。
親の側からすれば、「子どもがどんなことをしても、許す」という寛大さ。
「許す」という意識さえもないまま、許す。
この2つがあってはじめて、子どもは基本的信頼関係を構築することができる。

●絶対的な安心感

こんな話を聞いた。
1歳なる弟が、父親と入浴中に、ウンチを漏らしてしまった。
「それでどうした?」と、私が6歳になる姉に聞いたら、姉はこう言って笑った。
「パパの体中にウンチがついた。それを見て、パパは笑っていた。
ママも風呂に入ってきて、いっしょに、笑っていた」と。
ここでいう(絶対的なさらけ出し)、(絶対的な受け入れ)というのは、そういうこと
をいう。

が、中には、幼い子どもがお茶をこぼしただけで、本気で叱る母親もいる。
「何度、言ったらわかるの!」と。
あるいは体罰を加える。

が、母親を責めても、意味はない。
母親自身も、何らかの心の傷を負っていることが多い。
そのため、母親自身が子どもに、心を開けない。
それが親から子どもに連鎖する。
さらに子どもから、つぎの孫へと連鎖する。

●心に病気をもった子ども

もちろん(心の病気)をかかえた子どもも、同じような症状を示す。
自閉症やかん黙症の子ども、など。
一般的に、情緒に問題がある子どもというのは、心を開かない。
開かないから、いわゆる(何を考えているか、わからない)タイプの子どもといった
症状を示す。

幼児のばあい、抱きあげてみると、それがわかる。
心を開いている子どもは、抱いたとき、
ぺたっと体をすり寄せてくる。
そうでない子どもは、まるで丸太を抱いたように
体をかたくする。

夫婦も、同じ。
呼吸があっているときは、たがいに抱き心地がよい。
そうでないときは、そうでない。

私の立場では、(情緒に問題がある)という診断はくだせないが、
(情緒に問題はないと思います)というような診断は許される。
簡単な診断法として、応用してみるとよい。

●すなおな子ども

ついでながら、幼児教育の世界で、「すなおな子ども」というときは、
つぎの2つをいう。

(1) 表情と、心の状態(=情意)が一致していること。うれしいときは、
うれしそうな顔をする。
悲しいときは、悲しそうな顔をする。
幼児のばあい、表情が豊かであればあるほど、よい。

(2)心のゆがみがないこと。ひがんだり、いじけたり、つっぱったり……
というのは、子どもにとっては、好ましいことではない。

で、心の開けない子ども(=あなた)は、どうするか。

●私を知るのは、むずかしい

が、この問題だけは、心の奥に、いわば本能のように刷り込まれているため、
解決するのは、容易なことではない。
そこで登場するのが、「自己認識能力」ということになる。
が、子どもにそれを求めるのは無理。
20代の若い人にも、無理。
30代、40代になってはじめて、人というのは、おぼろげながらに自分がわかって
くる。
そのとき「私」という人間の大半が、乳幼児期に作られたということに気づく。
が、それでも無理。
たいていの人は、「私は私」「幼児期なんてものは、私に関係ない」と、それを否定
してしまう。
この世界では、「私のことは、私がいちばん知っている」と思い込んでいる人ほど、
自分のことがわかっていない。

では、どうするか?

● まず、「私」を知る

(1) まず自分を静かに観察する……あなたはだれに対しても、心を開いて
いるか。開くことができるか。ありのままを、そのまますなおに表現できるか。

(2) 自分の過去を、静かに思い出す……両親の豊かな愛情に恵まれ、あなたは
子どものころ、ありのままの自分をさらけ出すことができたか。あるいは反対に、
いつも無理をしていなかったか。いい子ぶっては、いなかったか。

(3) 私がここに書いたことを参考に、自分の心の中をさぐってみる……知識は
それ自体が、自分を知るための武器となる。

そして私の中の(私)に気がつけば、時の流れに身を任す。
時間が解決してくれる。
1年や2年では無理かもしれないが、5年とか10年後には、解決してくれる。

●補足

これはあくまでも私のばあいだが、私は相手が外人だと、すなおに心を開くことが
できる。
とくに相手がオーストラリア人であったりすると、話しかけた直後には、10年来の
友人のような話し方ができる。

私のワイフがそれに気づいた。
「あなたって、外人だと平気で話しができるのね」と。

少し前だが、こんなこともあった。
いつものようにビデオを借りにビデオショップに行ったときのこと。
ショップの前に、車が不法駐車してあった。
と、そのとき、車の持ち主がそこへ戻ってきた。
相手は白人の男性だった。
私はすかさず、笑いながら、「ここは、車の駐車場ではありませんね」と声を
かけた。
相手も、笑いながら、「アイム・ソリー」と言って、その場を去った。

が、おかしなことに、相手が日本人だと、私はそれができない。
同じ日本人のはずなのに、緊張してしまう。
相手が男性なら、なおさら、である。

なぜ私が、そうなったか?

それにはあの留学生活が大きく関係している。
私は、行きたくて、行きたくて、オーストラリアへ渡った。
オーストラリアへ渡るとき、私はまさに天にも昇るような気分だった。
言うなれば、私は心を全開にして、オーストラリアへ渡った。
それが今でも、私の中に生きている!、ということになる。

●補足(2)

相手が自分の子どもでも、「こわくて何も話せない」という親は、多い。
こんなことがあった。

ある母親が私のところに来て、こう言った。
「うちの子は、進学校を話題にしただけで、怒ってしまいます。先生のほうから、
息子(中3)がどう考えているか、聞いていただけませんか」と。

親子でも、どこかで歯車が狂うと、たがいに心が開けなくなる。
会話も、途絶える。
「断絶」という状態も、そこから生まれる。

そのためにも、親は、子どもの横に立つ。
友として、横にたつ。
もしあなたが、権威主義的な家庭に育ったらなら、なおさら、横に立つ。
努めて子どもの友になるつもりで、横に立つ。
親意識など、クソ食らえ(尾崎豊)。
親風を吹かしたり、親の権威を振りかざすのは、百害あって一利なし。
あなたが親風を吹かせば吹かすほど、親の権威を振りかざせば振りかざすほど、
あなたの子どもは心を閉ざす。
あなたの子どもは、あなたから遠ざかる。
しかしそれほどさみしい親子関係は、ない。

● 補足(3)

あなたはどんなとき、だれといるとき、いちばん心が安らぐか。
気をつかわないで、好き勝手なことができるか。
そういう人が近くにいれば、あなたはその人に対して、心を開いていることになる。
相手も、あなたに心を開いていることになる。

が、もしそういう人が一人もいない……というのであれば、まず心を開く練習を
したらよい。
私のばあい、ものを書くことで、それを練習した。
思ったことを書く。
考えたことを書く。
ありのままを書く。

心を開けば、体は、あとからついてくる。
あなたが変われば、まわりの人たちも、変わってくる。


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