最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●金権教

2008-12-05 12:06:40 | Weblog
●仏壇が入る

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今日、私の家に仏壇が入った。
金仏壇といって、金箔が張りめぐらしてある。
私の家の宗派では、その金仏壇を使う。
見た目には、豪華な仏壇である。
ひょっとしたら、私の宗派は、もとは、公家(くげ)専用?

いや、そんなはずはない。
宗祖は、親鸞である。
どうして親鸞を宗祖とする宗派が、こんな豪華な
仏壇を使うのだろう。

ともかくも、何となく一人前になった感じがしたのは、
子どものころから仏壇を見て育ったせいかもしれない。
家も仏壇があって、一人前?
心のどこかで、ふと、そう思った。

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●心の余裕

心の余裕は、お金の余裕と似ている?
ありあまるほどのお金をもっている人は、多少の損失など、気にしない。
昔から『金持ち、喧嘩せず』という。
おおらかに構えて、ハハハと笑ってすます。
(今の私のように……。←これはウソ。)

一方、その日の生活費にこと欠くような人は、当然のことながら、
お金にうるさい。
こまかい。
お金では幸福は買えないが、お金がないと、不幸になる。
「貧乏」といっても、それには限度がある。
食べ物もじゅうぶん買えないとなると、ことは深刻。
また1か月や2か月なら、何とか耐えられるが、1年、2年となると、
そうはいかない。
それが10年もつづいたりすると、ものの考え方そのものが、ゆがんでくる。
そういう意味で、貧乏は、幸福の大敵。

では心の余裕は、どうか?

恩師の田丸謙二先生は、いつもこう言っている。
「レベルの高い人と交際しなさい」と。

先生の言葉には、2つの意味がある。
ひとつは、自分を高めるため。
もうひとつは、心に余裕をもつため。

わかりやすい例で、説明してみよう。

たとえば音楽。
ときとしてすばらしい音楽に出会ったりすると、聴いているだけで
涙がポロポロとこぼれたりする。
それだけで心がシャワーか何かで、洗われていくかのように感じたりする。
崇高な気分になることもある。
このばあいは、すばらしい音楽が、自分を高めたことになる。

同時に、どういうのがすばらしい音楽で、またどういうのが
そうでないかを知ることができる。
音楽を聞き分けることができるようになる。
つまりこれが(心の余裕)ということになる。
重要な問題と、つまらない問題を、的確に判断できるようになる。
つまらない問題は、つまらない問題として、処理できるようになる。

こんなことがあった。

ある法事に顔を出したときのこと。
1人の女性(65歳くらい)が、孫娘に、お茶を出させていた。
一見ほほえましい光景に見えたが、孫娘の横で、その女性はこう言っていた。
「いいこと、お茶碗の絵柄は、相手の人に向けて出すのよ」と。

今どき、そんなことをこまごまと言う人がいるということ自体、
信じられない。
また絵柄といっても、安っぽい、印刷物。
茶碗12個で、1000円程度。
そんな茶碗に、絵柄もなにも、ない。
私はそれを聞いて、思わずフフと笑ってしまった(失礼!)。

「絵柄」というのは、それなりの絵柄をいう。
一客、数十万円もするような茶碗なら、そういうこともあるかもしれない。
そのおかしさがわからなければ、こう言いかえてもよい。

「自動販売機で買ってきたコーヒーなどを人に渡すときは、
ブランド名を相手側に向けて渡すのよ」と。

心の余裕のない人というのは、そういう人のことをいう。

では、どうするか?

心の余裕をつくるためには、日ごろから、音楽に親しんだり、
本を読んだりする。
いつも新しい情報に接し、見聞を広めていく。
レベルの高い人といっても、そうは出会えるものではない。
そのかわりとして、文化や芸術がある。
それ自体は、何の利益ももたらさないが、利益がないからこそ、
価値がある。

反対にこんな人を考えてみればよい。
朝から晩まで、考えることといえば、小銭を稼ぐことだけ。
他人のために働くとしても、どこか打算的。
他人の目を意識して、そうする。
このタイプの人は、当然、心の余裕がない人ということになる。

言うなれば、心の余裕というのは、いざというときのための
心の貯金のようなもの。
その貯金があれば、いざというとき、動ずることなく、そのことに
対処できる。
そうでない人は、そうでない。
『浅瀬に仇波(あだなみ)』というのは、そういう人をさして言う。
つまりささいなことで、大騒ぎする。

もし今、あなたが平和で豊かな生活を楽しんでいるなら、今こそ、
心の余裕を作るときと考えたらよい。
けっして享楽的になったり、その余裕を浪費するようなことをしては
いけない。
(その点も、お金と似ているが……。)
……とまあ、偉そうなことを書いてしまったが、これは私の努力目標
でもある。

この先、何があるかわからない。
田丸謙二先生は、先日、私にこう言った。
「年を取れば取るほど、健康は不可逆的に悪くなります」と。
60歳を過ぎれば、肉体の健康にせよ、精神、脳みその健康にせよ、
今よりよくなることなど、ありえない。
そうなったとき、自分をどう維持するか。
余裕をもって、それに対処できるか。
それとも狼狽(ろうばい)し、あわてふためくか。
これは私たちにとって、たいへん深刻な問題と考えてよい。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●権威主義(家意識、金権教)

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実は、私も、若いころは権威主義者だった。
「男は上、女は下」「夫は上、妻は下」と。
しかしこうした権威主義は、オーストラリア
では通用しない。
留学時代を通して、粉々に粉砕されてしまった。

で、今、郷里へ帰るたびに、いまだに権威主義が、
のさばっているのを知る。
たった数歳年上というだけで、年長風を吹かす。
そこでふと、こんなことを考える。

もし私があのままこの郷里に残っていたら、
私は今でも権威主義者のまま、愚かな行為を
繰り返しているだろう、と。

それは私にとっては、ぞっとするほど、
恐ろしいことでもある。

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●大きな家

親戚が集まった席で、こんな話が出た。
その人の消息を聞くと、「あの人は、○○市で、大きな家を建てなさった」とか、
「今は、郊外に立派な家を建てて、そこに住んでおられる」とか、など。

郷里では、家の大きさが、その人のステータスになっているらしい。
(家の大きさ)が、何かにつけて、話題になる。

……といっても、その感覚が理解できないわけではない。
私の体のどこかにも、そういう感覚が染みついている。
遠い遠い昔の(シミ)かもしれないが、たしかに、それは残っている。
私も子どものころ、大きな家にあこがれた。

しかし家の大きさで、その人の価値が決まるわけではない。
実に愚かでバカげた発想だが、そういう世界にどっぷりとつかっている人には、
それがわからない。
「あの人は偉い」と、「偉い」という言葉を平気でそれに添える。

(たとえば土地区画整理か何かの対象になって、莫大な補償金を手にして大きな家を
建てる人も、少なくない。
私が住んでいるこのあたりにも、そういう人は、多い。
そういう人も、はたして「偉い」というのか。)

(家意識)というのは、それをいう。
(家父長意識)も、そこから生まれる。
まさに権威主義の始まりである。

で、そういうとき、私の頭の中で、バチバチと火花が飛ぶのがわかる。
脳みそがショートする。

●金権教

金権教も似たようなもの。
私のばあい、幸か不幸か、学生時代、世界中から集まった皇族、王族の連中と
寝起きを共にした。
ふつうの金持ちではない。
その国の大使館の館員が、常時護衛につくような金持ちである。
そういう金持ちたちを見ているから、今、多少の金持ちを見ても、驚かない。

友人のP君にしても、今は、レーシングカー・チームをもち、世界中を
飛び回っている。
先日、彼のBLOGを見たら、イギリスで、一台1億1000万円もする、
ロータスEを、10台まとめて購入したとある。
そういう人を、金持ちという。

どうせ金権教を信奉するなら、その程度の金持ちになったらよい。
が、もしそれが無理というのなら、金権教など、早めに捨てたほうがよい。
多少の小銭を集めたくらいで威張っている人を見ると、笑えてくる。

(家意識)も似たようなもの。

話をつづけるが、私の隣の部屋にいた、ディヨン君(偽名だった。本名は
ソルマルディ君)は、現在、ジャカルタの1の1で、王様をしている。
当時は王子だったが、そういう人が(家意識)をもつなら、話はわかる。
そこらの人が、自意識過剰のまま、家意識にこだわるから、おかしい。

が、私の郷里では、いまだにその(家意識)が、残っている。
そしてそれが時折、顔を出す。
私はそういう人たちの話に、どう反応したらよいのか。

一方、恩師の田丸謙二先生の家は、鎌倉市の郊外にある。
今度娘さん夫婦が、隣に家を新築して同居することになったという。
が、少なくとも今現在は、古い、ペンキがはげたような家である。

世界国際触媒学会の会長なども歴任し、天皇陛下とテニスをするような
先生でも、そんな家である。
もし私の郷里の人たちが見たら、「みすぼらしい家」と思うにちがいない。
しかしそう思う方が、バカ。
本物の世間を知らない。
少しは自分に恥じたらよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
家意識、金権教)


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