最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●9月11日

2008-09-11 07:22:12 | Weblog
●BLOGへのコメント(感情論)

私のBLOGに対して、このところ辛らつなコメントが、多くなった。
今日は、「あなたも、~~という本を一度は読んでから、ものを書いたほうが
よい」とか、「日本に対しての内政干渉は許さない。総理大臣がY神社を参拝
して、何が悪い」(G-Blog)とかなど。

こうした感情論には、どう反論したらよいのか?

私のほうは、実名を公表して書いている。
しかしコメントを寄せる人は、無記名。
どこのだれかが、まったく、わからない。
だから不気味(?)。

しかしこのところ、削除するのもめんどうになり、そのままにしてある。
「勝手にどうぞ」というレベルを超えて、最近では、まったく気にしない。
そんなことをいちいち気にしていたら、BLOGに記事など書けない。

(興味のある人は、私のBLOGをのぞいてみてほしい。)

さらに中には、何が気に食わないのか、執拗に攻撃してくる人もいる。
しかしそれもそのまま。
「そんなに気に食わなければ、読まなければいい」と私は、思うのだが……。

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感情論といえば、こんなのがある。
少し前、毒入りギョーザ事件があった。
私は記事を書いた。
それについて、「やっぱり中国人は、信用できない。あいつらもともと
そういう人種なのだ」というようなコメントがつけられた。

しかし日本人だって、同じようなことをしている。
産地偽造などは、朝飯前。
ここ数日は汚染米が、問題になっている。
何でもその業者は、農薬で汚染された米を、キロ7円で仕入れて、
300円で売っていたという(タブロイド紙)。

こういう事実に対して、先のコメントを書いた人は、どう反論するのだろう。
「やっぱり日本人は、信用できない。俺らはもともとそういう人種なのだ」
とでも言うのだろうか。

つまり一貫性がない。
ないから、感情論ということになる。
言うまでもなく、道徳の完成論は、(1)公平性、(2)視野の広さで決まる(マズロー)。
感情論には、この2つとも欠ける。


●交通事故、ワースト・ワン

統計のとり方によってもちがうが、「人口10万人あたりの人身事故発生率では、
1159件と、この浜松市が政令都市の中では、2年連続で、ワースト・ワンに
なった」(中日新聞・9・10)と。

2位が静岡市。
3位が福岡市。
4位が北九州市とつづく。

私が見ても、ここ浜松では、運転の仕方が、めちゃめちゃ。
黄信号は、浜松では、注意信号ではない。
「アクセル踏め踏め信号」。
しかも、だ。
この浜松では、赤信号になっても、止まる人はいない。
隣の信号が青になるまで、走る。
隣の信号が青になっても、隣の車が走り出さないなら、まだ、走る。

さらに交差点などの停止線で、きちんと止まる人はいない。
たいてい数メートル以上手前か、あるいは、停止線を越えて、横断報道の上で
止まる。

オーストラリアの友人がこう言った。
「日本人は、どうしてこうまでロジカルでないのか?」と。
交通ルールを守らないことをさして、そう言った。

だからワースト・ワン!

そこで教訓。
この浜松市へ来たら、交通ルールなど、ないものと思ったらよい。
信号など、信用してはいけない。
たとえ青信号になっても、自分で左右の安全を確かめながら、走る。

さらにおかしな上下意識が強く、自転車や、100~200万円程度の
小型車は、浜松では、「車」ではない。
安い車で、へたに信号や速度制限を守って走っていると、うしろからプープーと
クラクションを鳴らされる。
(ちなみに私の車は、TOYOTAのビッツ。大衆車。)

浜松中央署は、「浜松は外部から来る車が多いから、交通事故が多い」と説明している。
が、それはどうかな?
国道1号線が通っていることを理由にしたいのだろうが、国道1号線沿いでは、
人身事故はほとんど起きていない。

最近になって、つまりここ1、2年は、交差点に立つ警察官をときどき見かけるように
なった。
が、それ以前は、まったくなかった。
もっと早くから、それをしてほしかった。
それがワースト・ワンの理由。

少なくとも赤信号になってから突っ走る車くらいは、検挙してほしい。
自転車に乗っている私など、おそろしくてならない。


●教育投資、日本、最下位

「経済協力開発機構(OECD)は、9日、加盟各国の国民総生産(GDP)に
占める教育への公財政支出割合について調査結果を発表。
日本は、前年よりも0・1ポイント減少し、3・4%で、データ比較が
可能な28か国中で、最下位だった(2005年度)」
(以上、中日新聞・08年9月10日)と。

こうした事実を、いったい、日本人のどれだけが知っているだろうか。
わかりやすく言えば、この日本では、教育費は、親の負担ということになっている。
大学生をみれば、それがわかる。

しかもこの日本には、奨学金制度がない。
アメリカでもオーストラリアでも、そしてほかの欧米諸国でも、親のスネを
かじって大学へ通っている学生など、ほとんどいない。
みな、民間企業などが提供する奨学金を得ているか、自分で借金をしながら、
通っている。
「意識」そのものが、ちがう。

だから自分の子どもが大学へ通うようになると、世の親たちは、爪に灯をともすよう
にして、学費を捻出する。
現実は、きびしい。
その数字が、3・4%。

ちなみに「調査結果によると、28か国の平均は、5・0%。

1位……アイスランド(7・2%)
2位……デンマーク(6・8%)
……
下位3か国は、日本のほか、スロバキアとギリシア」(同紙)と。

また「教育費全体に対する私費負担の割合は、日本は31・4%。
韓国、アメリカにつづき、3番目に多い」(同紙)とも。

昔は、『子、育ち盛り、親、貧乏盛り』と言った。
今は、『子、大学生、親、貧乏盛り』と言う。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

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