●教育と政治(Political Apathy itself is to be ashamed.)
++++++++++++++
教育と政治は分離する。
当然のことである。
私も、子どもたち(生徒たち)と
接するときは、政治の話は、
いっさい、しない。
してはならない。
しかし教師であるなら、当然、
政治に関心をもつべきである。
それが教育の場でないなら、
政治の話をして、当然。
意見を述べて、当然。
子どもの未来を考えていくと、
その向こうに(政治)がある。
政治抜きに、子どもの未来を
語ることはできない。
が、この日本には、おかしな
偏見が蔓延している。
高校生あたりに「6か国協議を
どう思う?」と問いかけても、
即座に、「ダサイ!」とはねのけられて
しまう。
あるいは政治的に無関心である
ことが、(常識的な人間の条件?)と
思われている。
しかしこんなバカげた民主主義国家
が、どこにある?
税金の使われ方すら知らない国民が、
どこにいる?
私が12年前に書いた原稿を、
もう一度読んでみてほしい。
++++++++++++++
●無関心な人たち
英語国では、「無関心層(Political Apathy)」というのは、それだけで軽蔑の対象になる。
非難されることも多い。
だから「あなたは無関心な人だ」と言われ
たりすると、その人はそれをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それに猛烈に反発したりする。
一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)ということになっている。
だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さない。
関心もない。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。
ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。
ほとんどの子どもは、「セ
イジ……」と言いかけただけで、「ダサ~イ」とはねのけてしまう。
(実際、どの部分がど
のようにダサイのか、私にはよく理解できないが……。
ダサイ」という意味すら、よく理
解できない。)
● 政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
● 社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
● あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。
今のこの日本が、
その結果であるといってもよい。
これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。
では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。
● 文部省からの三通の通達
日本の教育の流れを変えたのが、三通の文部省通達である(たった三通!)。
文部省が19
60年に出した「文部次官通達」(六月二一日)、「高校指導要領改定」(一〇月一五日)、それに「初等中等局長通達」(一二月二四日)。
この三通の通達で、中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、生徒会活動から、政治色は一掃された。
さらに生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞいて、
禁止された。
当時は、安保闘争の真っ最中。こうした通達がなされた背景には、それなり
の理由があったが、それから40年。
日本の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」
に改造された。その結果が、「ダサイ?」ということになる。
しかし政治的活力は、若い人から生まれる。
どんな生活であるにせよ、一度その生活に
入ると、どんな人でも保守層に回る。
そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、そ
れである。構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう10年以上になるが、結局は、ほとんど何も改革されていない。
このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きく
なる。
いや、すでに、日本は、現在、にっちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれている。
あとはいつ爆発し、崩壊するかという状態である。
それはさておき、ここでもわかるように、たった三通の、次官、局長クラスの通達で、日本の教育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。
そしてその恐ろしさを、どうか理解してほしい。日本の教育は、(日本人の心も)、こういう形で、中央官僚の思うが
ままにあやつられている。
+++++++++++++
もちろん、極右であることも、極左であることも、
望ましいことではない。(否定はしないが……。)
ものごとは、常識を基点にして考える。
あるいは常識の上に常識を重ねながら、考える。
私たちが何よりも警戒しなければならないのは、
「極端化」である。
「先鋭化」ともいう。
とくに政治の世界では、警戒した方がよい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●教育の結果
つまり私たち日本人が、こうまでおとなしくなってしまったのは、「教育」が原因ということ。
ここに「教育」のもつ、「力」というか、「恐ろしさ」がある。
今のあなた自身を振り返ってみればよい。
あなたはなぜに、そうまで従順なのか。
従順であるのが悪いというのではない。
しかし「牙(きば)」を抜かれてしまった。
あなた自身がつまり、「教育」の結果ということ。
もっとも今は、デモをして声を張り上げるような時代ではない。
(ときとばあいによっては、大切だが……。)
今は、こうしてネットを通して、意見を発表する。
世論を動かしていく。
ツイッター(Twitter)で、国が動く時代である。
『時事用語』(成美堂)の第1ページを読んで、そんなことを考えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 文部省通達 たった3通の通達 牙を抜かれた日本人 デモ禁止 教
育と政治)
2012/01/12改
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
++++++++++++++
教育と政治は分離する。
当然のことである。
私も、子どもたち(生徒たち)と
接するときは、政治の話は、
いっさい、しない。
してはならない。
しかし教師であるなら、当然、
政治に関心をもつべきである。
それが教育の場でないなら、
政治の話をして、当然。
意見を述べて、当然。
子どもの未来を考えていくと、
その向こうに(政治)がある。
政治抜きに、子どもの未来を
語ることはできない。
が、この日本には、おかしな
偏見が蔓延している。
高校生あたりに「6か国協議を
どう思う?」と問いかけても、
即座に、「ダサイ!」とはねのけられて
しまう。
あるいは政治的に無関心である
ことが、(常識的な人間の条件?)と
思われている。
しかしこんなバカげた民主主義国家
が、どこにある?
税金の使われ方すら知らない国民が、
どこにいる?
私が12年前に書いた原稿を、
もう一度読んでみてほしい。
++++++++++++++
●無関心な人たち
英語国では、「無関心層(Political Apathy)」というのは、それだけで軽蔑の対象になる。
非難されることも多い。
だから「あなたは無関心な人だ」と言われ
たりすると、その人はそれをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それに猛烈に反発したりする。
一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)ということになっている。
だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さない。
関心もない。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。
ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。
ほとんどの子どもは、「セ
イジ……」と言いかけただけで、「ダサ~イ」とはねのけてしまう。
(実際、どの部分がど
のようにダサイのか、私にはよく理解できないが……。
ダサイ」という意味すら、よく理
解できない。)
● 政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
● 社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
● あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。
今のこの日本が、
その結果であるといってもよい。
これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。
では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。
● 文部省からの三通の通達
日本の教育の流れを変えたのが、三通の文部省通達である(たった三通!)。
文部省が19
60年に出した「文部次官通達」(六月二一日)、「高校指導要領改定」(一〇月一五日)、それに「初等中等局長通達」(一二月二四日)。
この三通の通達で、中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、生徒会活動から、政治色は一掃された。
さらに生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞいて、
禁止された。
当時は、安保闘争の真っ最中。こうした通達がなされた背景には、それなり
の理由があったが、それから40年。
日本の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」
に改造された。その結果が、「ダサイ?」ということになる。
しかし政治的活力は、若い人から生まれる。
どんな生活であるにせよ、一度その生活に
入ると、どんな人でも保守層に回る。
そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、そ
れである。構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう10年以上になるが、結局は、ほとんど何も改革されていない。
このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きく
なる。
いや、すでに、日本は、現在、にっちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれている。
あとはいつ爆発し、崩壊するかという状態である。
それはさておき、ここでもわかるように、たった三通の、次官、局長クラスの通達で、日本の教育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。
そしてその恐ろしさを、どうか理解してほしい。日本の教育は、(日本人の心も)、こういう形で、中央官僚の思うが
ままにあやつられている。
+++++++++++++
もちろん、極右であることも、極左であることも、
望ましいことではない。(否定はしないが……。)
ものごとは、常識を基点にして考える。
あるいは常識の上に常識を重ねながら、考える。
私たちが何よりも警戒しなければならないのは、
「極端化」である。
「先鋭化」ともいう。
とくに政治の世界では、警戒した方がよい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●教育の結果
つまり私たち日本人が、こうまでおとなしくなってしまったのは、「教育」が原因ということ。
ここに「教育」のもつ、「力」というか、「恐ろしさ」がある。
今のあなた自身を振り返ってみればよい。
あなたはなぜに、そうまで従順なのか。
従順であるのが悪いというのではない。
しかし「牙(きば)」を抜かれてしまった。
あなた自身がつまり、「教育」の結果ということ。
もっとも今は、デモをして声を張り上げるような時代ではない。
(ときとばあいによっては、大切だが……。)
今は、こうしてネットを通して、意見を発表する。
世論を動かしていく。
ツイッター(Twitter)で、国が動く時代である。
『時事用語』(成美堂)の第1ページを読んで、そんなことを考えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 文部省通達 たった3通の通達 牙を抜かれた日本人 デモ禁止 教
育と政治)
2012/01/12改
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司