最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●忠臣蔵?

2008-12-12 07:52:11 | Weblog
●今、どうして「忠臣蔵」?

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毎年12月になると、どうしていつも忠臣蔵?
昨日(12月11日)も、NHKテレビは、
それについての特集番組を流していた。

忠臣蔵といっても、ただの復讐劇ではないか。
いつになったら、そのおかしさに、日本人は
気がつくのだろう?

以前書いた原稿をさがしてみた。

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●忠臣蔵論

 浅野さん(浅野内匠頭)が、吉良さん(吉良上野介)に、どんな恨みがあったかは知らないが、ナイフ(刀)で切りかかった。傷害事件である。が、ただの傷害事件でなかったのは、何といても、場所が悪かった。

浅野さんが吉良さんに切りかかったのは、もっとも権威のある場所とされる松之大廊下。今風に言えば、国会の中の廊下のようなところだった。浅野さんは、即刻、守衛に取り押さえられ、逮捕、拘束。

 ここから問題である。浅野さんは、そのあと死刑(切腹)。「たかが傷害事件で死刑とは!」と、今の人ならそう思うかもしれない。しかし三〇〇年前(元禄一四年、一七〇一年)の法律では、そうなっていた。

が、ここで注意しなければならないのは、浅野さんを死刑にしたのは、吉良さんではない。浅野さんを死刑にしたのは、当時の幕府である。そしてその結果、浅野家は閉鎖(城地召しあげ)。今風に言えば、法人組織の解散ということになり、その結果、四二九人(藩士)の失業者が出た。自治体の首長が死刑にあたいするような犯罪を犯したため、その自治体がつぶれた。

もともと何かと問題のある自治体だった。わかりやすく言えばそういうことだが、なぜ首長の交代だけですませなかったのか? 少なくとも自治体の職員たちにまで責任をとらされることはなかった。……と、考えるのはヤボなこと。当時の主従関係は、下の者が上の者に徹底的な忠誠を誓うことで成りたっていた。今でもその片鱗はヤクザの世界に残っている。親分だけを取り替えるなどということは、制度的にもありえなかった。

 で、いよいよ核心部分。浅野さんの子分たちは、どういうわけか吉良さんに復讐を誓い、最終的には吉良さんを暗殺した。「吉良さんが浅野さんをいじめたから、浅野さんはやむにやまれず刀を抜いたのだ」というのが、その根拠になっている(「仮名手本忠臣蔵」)。そうでもしなければ、話のつじつまが合わないからだ。

なぜなら繰り返すが、浅野さんを処刑にしたのは、吉良さんではない。幕府である。だったら、なぜ浅野さんの子分たちは、幕府に文句を言わなかったのかということになる。「死刑というのは重過ぎる」とか、「吉良が悪いのだ」とか。もっとも当時は封建時代。幕府にたてつくということは、制度そのもの否定につながる。自分たちが武士という超特権階級にいながら、その幕府を批判するなどということはありえない。そこで、その矛先を、吉良さんに向けた。

 ……日本人にはなじみのある物語だが、しかしオーストラリア人にはそうでなかった。一度、この話が友人の中で話題になったとき、私は彼らの質問攻めの中で、最終的には説明できなくなってしまった。ひとつには、彼らにもそういう主従関係はあるが、契約で成りたっている。つまり彼らの論理からすれば、「軽率な振るまいで子分の職場を台なしにした浅野さん自身に、責任がある」ということになる。

 さてあなたなら、こうした疑問にどう答えるだろうか。彼らにはたいへん理解しがたい物語だが、その理解しがたいところが、そのまま日本のわかりにくさの原点にもなっている。「日本異質論」も、こんなところから生まれた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 忠臣蔵 忠臣蔵論)

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