最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●ヒルの思い込み外交  ●子どもの依存性

2008-12-12 07:18:14 | Weblog
● C・ヒル(アメリカ国務省国務次官)の希望的憶測(思い込み外交)

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「あと2週間で成果が出る」
「今月の終わりには、返事がくる」
「今度の会談で、解決する」と。
C・ヒルは、今まで、何度、そういう希望的憶測を
述べたことか。

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結局、12月8日から始まった今回の6か国協議は、何ら進展のないまま、休会。
だとするなら、それに先立つあの米朝会談(シンガポール)は、何だったのか。
C・ヒルは、「有意義な会談だった」「成果が出る」と、ひとりではしゃいでいた。

だいたい、一介の外交官が、大統領もしくは、映画スターにでもなったかのように、
マスコミを前にしてペラペラと話す。
そのおかしさを、まず私たちが知るべき。

検証方法についても、事前会談では、「別枠の秘密文書にする」と、C・ヒルは
言っていた。
日本にとっては、とんでもない話である。
いや、その前に、C・ヒルは、「検証は、口頭で了解済み」と、さかんに言っていた。
その言葉の責任は、いったい、だれがとるのか。

成果もないまま、また成果も期待できないまま、希望的憶測だけで、「成果があった」
「成果が期待できる」と。
この繰り返しだけで、5年以上も浪費してしまった。
産経新聞は、「(ヒルの)一方的な思いこみだった」として、
つぎのように伝える(12月12日)。

『米政府は日本側の反対を振り切るかたちで、指定解除に踏み切ったが、サンプル(試料)
採取など、肝心の部分に関しては「口頭了解」にすぎなかった。

 日本の首席代表の斎木昭隆外務省アジア大洋州局長も訪米して、ヒル国務次官補(東ア
ジア・太平洋担当)にこの点について直接、懸念を伝えた。ヒル次官補はニューヨークで
の米朝協議などを通じて、合意に自信を示していたが、結果的には一方的な思い込みだっ
た』と。
つまり妥協に妥協を重ね、譲歩の譲歩を重ねた結果、『同盟国(=日本)との
信頼関係よりも、目先の成果を優先して失敗するという教訓を残したといえそうだ』
(同紙)と。

この5年以上のもの間、何が進展したのか?
K国がしたことは、ガラクタ(ジャンク)と化した、ヨンビョンの核開発関連施設を
爆破してみせただけ。
韓国に亡命したF氏(元K国高官)は、K国は別の場所で核開発をつづけているはず
と発言している。
一方、その間、C・ヒルがしたことといえば、(あの親北派のノ前大統領と
手を組んで)、原油、マネー、食糧、音楽、それに(時間)を、K国に与えただけ。
この中でも(時間)が、いちばん重要。

この5年間で、K国は核兵器開発を、どこまで進めたことやら?
4、5年前には、「核兵器をもっているかどうかわからない」という状況だった。
しかし今は、「5~6発はもっている」というのが、常識化している。
それをふまえてK国は、「我々を核保有国として認知しろ」とまで言い出している。

さらに馬鹿げたことに、交渉の過程で、C・ヒルは、この日本を脅した。
「K国援助に加われ。さもなければ、K国を、テロ支援指定国家のリストから
はずす」と。
結果的にみると、C・ヒルは、K国をリストからはずし、日本を孤立させて
しまった(08年10月)。
もちろん最近に至るまで、拉致問題を話し合った形跡は、ゼロ。
成果も、もちろんゼロ。
むしろ日本に向かって、「なぜイラン航空の支店が東京にあるのか!」と、
日本にかみついたことさえある。

おバカというか、本人は、何様のつもりでいるのだろう。
繰り返すが、C・ヒルは、ただの役人ではないか!

一方、私たち日本人は、拉致問題を第一に考えている。
「たかが拉致」などと言ってほしくない。
そこに至る過程というものがある。
日本が拉致問題を取りあげるたびに、「拉致問題はない!」と、K国側は、会談中、
席を蹴って出るような演出までしてみせた。
(日本のA新聞社も、片棒を担いでいたぞ!)

が、たしかにK国は、日本人を拉致していた!
小泉=金xx会談で、金xxはそれを認めた。
何人かの拉致被害者たちは、日本へ帰ってきた。
まともな神経の持ち主だったら、まず、自分たちのウソを恥じるだろう。
その(まともな神経)すら、K国の官僚たちにはない(?)。
その拉致問題は、Y・めぐみさんのニセ遺骨問題で、頂点に達した。
私たち日本人の(怒り)も、頂点に達した。
そういう(怒り)を、C・ヒルはまったく理解していない。

6か国協議は休会した。
が、それは同時に、C・ヒルの外交的失敗の総決算でもある。
今朝(12月11日)の朝刊によれば、「K国が一番デーン
としているんだから、変な話」(外務省幹部談話・中日新聞)とある。

そう、何もかもおかしい。
K国もおかしいが、C・ヒルもおかしい。
その(おかしさ)の上に、6か国協議がある。

K国など、本気で相手にしてはいけない。
みんなで無視するのがいちばんよい。
しかし今となっては、それも手遅れ。
あのC・ヒルのおかげで……。

Be ashamed, C. Hill! You are the loser!

当のC・ヒルは、閉会式を待たずして、アメリカに帰った。
「米朝の2か国協議はもうしない」(北京空港で)と。

なお日本に本部を置くC総連は、その機関紙に、「今に見ておれ!」という
文言を載せたという(12月11日)。
C総連の家宅捜査を受けての発言だが、こうした感情的な表現は、きわめて珍しい。
珍しいだけに、私たちは警戒心をゆるめてはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司

●依存性をつけさせる指導法

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これは進学塾での話。
その進学塾では、生徒が依存性をもてばもつほど、
経営は安定する。
そのためにどうすればよいか、進学塾の経営者は
いつも考えている。
あるいは無意識のちにも、過去のやり方を踏襲する。
わかりやすくいえば、「この塾をやめたら成績が
さがる」という恐怖心をもたせる。
さらに「この塾をやめたら、目的の学校には
入れない」という恐怖心をもたせる。
たとえば三者面談などを通して、意図的では
ないにせよ、数字を並べて、子どもを脅す。
親を脅す。

子どもも親も心理的に不安な状態にあるから、
そのままそれを信じてしまう。
その手法は、カルト教団が信者を獲得する
方法に、たいへんよく似ている。

が、進学塾にしてみれば、それでよいとしても、
子どもにとっては、そうでない。
仮に目的の中学校へ入学できたとしても、
そのあと、そこでプツンしてしまう。
目的の高校へ入学できたとしても、そのあと、
プツンしてしまう。

が、これもカルト教団の信者の心理とよく似ている。
その教団の従順な信者である間は、それなりに
幸福感や充実感を覚えるかもしれない。
しかしカルト教団から離れたとたん、心理的にも、
たいへん不安定な状態になる。
(実際には、一度カルト教団に入信してしまうと、
それから離れるのは、容易なことではない。)

ここでいう(依存性)というのは、それをいう。
では、どうするか?

指導するとしても、依存性をもたせるのは、最小限に。
たとえば私は、小学校の高学年にもなると、いつも
生徒たちには、こう言う。

「自分で勉強しなさい」
「わからないところがあったら、もってきなさい」と。

さらに効果的にするために、小学3、4年生になったら、
小学校5、6年生の間に座らせて、好きな勉強をさせる。
つまりこうして順送りに、(勉強グセ)を、上級生から
下級生に伝える。

この方法は、イギリスのカレッジで、ふつうにされている
方法である。

こうして子どもに依存心をもたせないよう、ついでに、
自学自習の方法を身につけさせる。

しかしこの方法は、進学塾にとっては、まことまずい。
この指導法では、月謝は取れない。
また親たちにも受けが悪い。
「ていねいに教えてくれない」とか「先生は遊んでいる」とか、
言う。
「わからないところがあったら、もってきなさい」という
教え方は、一見、子どもには、たいへん不親切な教え方に
見える。
それはわかるが、では、いわゆる(手取り足取り教育)が、
はたしてそれでよいかというと、けっして、そうではない。
ここに書いたように、子どもに依存心を植えつけてしまう。

むしろ指導法としては、いつか生徒が独立するように、
「こんな先生に習うくらいなら、自分でしたほうがまし」と
思わせるようにしむける。
私はそれを勝手に、「卒業」と呼んでいる。
自分で勉強する方法を身につけた子どもは、あとは自分の
力で伸びていく。
それこそ、(真の力)ということになる。

が、この方法を試しても、伸びない子どもというのは、
たしかにいる。
それこそ、あれこれ指示を与えないと、鉛筆をもつことさえ
しない。
「好きな勉強をしていいよ」と励ましても、何もしない。
時間ツブシ(無駄なことをして、時間をつぶす)、
フリ勉(勉強しているフリだけをする)、
時間殺し(簡単な問題だけを、繰り返しする)などがうまい。

一度こうした症状が、小学4~5年生くらいまでに出てくると、
そのあと、その子どもが伸びるということはまず期待できない。
大切なことは、子どもがそうならないよう、幼児期から
注意する。
またそれが幼児教育のひとつということになる。

方法としては、「勉強するのは楽しい」「おもしろい」という
意識だけをみながら指導する。
その意識があれば、それでよし。
「覚えた、覚えない」「できるようになった、ならない」は、
この時期、ほとんど意味がない。
だから、昔から、こう言う。
『好きこそ、もののじょうずなれ』と。
英語では『Happy Learners learn Best(楽しく学ぶ子は、よく学ぶ)』
という。

教育はここから始まり、ここで終わる。
ついでに依存心は、子どもを従順にするが、それは子ども本来の
姿ではない。


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