最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●散歩  ●老後

2009-01-02 20:06:27 | Weblog
【散歩】

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「運動不足」。
この言葉がこのところ、恐ろしいものに
聞こえるようになった。

運動不足イコール、不健康。
不健康イコール、病気へとつながっていく。

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●冬の山荘

今日は、山荘のまわりを散歩した。
距離は、ぐるりと一周して、4~5キロ。
山坂はあるが、「歩こう会」の基準では、初心者コースということになる。
ゆっくりとあるいて、1時間。
ふだんなら、運動にならない運動である。

が、こうした山の散歩は、冬場しかできない。
少し暖かくなると、ハチやヘビが出る。
今はイノシシの季節だが、イノシシとなら、まだ対峙できる。
まっすぐイノシシに向かって、杖を向ければよい。
あるいは棒で払えばよい。

しかし相手がハチのばあいは、打つ手がない。
ヘビもこわい。
だから山の散歩は、冬場だけ。
もっともこのあたりでは、冬といっても、どこかまだ秋の風情(ふぜい)が
残っている。
枯れた木々の間で、まだ葉も落とさず、冬の陽光を浴びて、黄金色に輝いている
のもある。
それに少し歩くと、背中がほんのりと熱くなってくる。
寒さも、消える。
冬というよりは、晩秋。
ここ浜松では、このまま冬らしい冬もなく、やがてすぐ春になる。

村道から脇道へそれる。
そこからさらに進むと、杉林。
「すごい落ち葉ね」とワイフが、数度、同じセリフを繰り返す。
私は杖でその落ち葉を適当に払いながら、先へ進む。
大木が、根をむきだしにしたまま、一列に横に並んでいる。
その横を、カサカサと、大きな音を立てて、歩く。
深々とした感触。
それを足で左右に払う。
波を切るような爽快感。

山道は、谷の下にあるUさんの庭端のところで、再び、通りに出る。
「下りるのは楽だけど……。帰りがたいへんだね」と私。
杖を持ちなおす。
腹に力を入れなおす。

この4日間で食べたものといえば、おかゆ一杯と、スープ一皿。
それに今日になって、やっと焼いた秋刀魚(さんま)一匹と、ご飯を茶碗に半分。
出てくる(力)もない。
それにしてもひどい二日酔いだった。
三日酔いが、そのまま四日酔いになってしまった。

●悲壮感

とにかく運動をするしかない。
私の年齢になると、楽しむというよりは、そこに悲壮感が漂うようになる。
数日も運動をサボっていると、そのまま体がサビついてしまう。
頭のサエも消えてしまう。
文が書けなくなってしまう。

「あと9年。何とか、9年はがんばる」と私。
しかしこのところ、その自信がなくなってきた。
ときどき「まだ9年もあるのかア」と思ったり、「無理かもしれない」と思ったりする。
とくにここ数日は、今まで経験したことのない厭世気分に包まれた。
二日酔いの症状のひとつという。
ふと「このまま死んでしまったら、楽だろうな」と思う。
やはり厭世気分(?)。

が、それに負けたら、おしまい。
少しぐらい調子が悪くても、そこは気力。
気力で、自分を立てなおす。
ということで、あえて、今日は散歩に出た。

歩きながら、うしろから、ワイフが何度も「あなた、だいじょうぶ?」と
声をかけてくれる。
が、それに答えて、返事のしようがない。
何と答えたら、よいのか。
だいじょうぶなわけがない。

……が、ともかくも、無事散歩は終わった。
山荘へ戻ると、細い息が、ハーハーと喉を鳴らしているのがわかった。
足は宙に浮いたような感じ。
軽いめまいもある。

途中、私とワイフは、自分の畑からいくつかのミカンをもぎとった。
まったく野生のままのミカン。
そのためサルも手を出せない。
固くて、皮もめくれない。
そのミカンを、山荘の横のイスに座って、食べた。

食べながら、「やはり散歩は無理だったかな」と、思った。
弱気な自分が顔を出した。
しかしそれはワイフには、言わなかった。

●一羽の鳶(トンビ)

白い雲の間に、最初に黒い小さな点を見つけたのは、私だった。
ワイフは、長いすに座り、反対側の空に消える飛行機を、目で追いかけていた。
私はそれを飛行機と思った。
が、飛行機にしては、小さすぎる。
それに今は、真冬。
肌を刺すような冷気が、谷底から枯れた草木を揺らしている。
上空は、もっと冷たいはず。

「トンビかなあ?」と言うと、ワイフも、「そうねえ……」と。
しかし確信はもてなかった。
私はぼんやりとその黒い点をながめていた。
高さは、その横のM山とくらべても、600メートル近くはある。
そんな高いところを、鳶が飛ぶだろうか。
ぽっかりと浮かんだ白い雲の下あたりを、ゆっくりと右や左に飛んでいた。

「あんなところから餌をさがしているのかしら?」とワイフ。
「まさか!」と私。
二日酔いの後遺症だと思うが、まだ頭のを振ると、胸の奥がむかつく。

私「トンビも、自分を試しているのかもしれないよ」
ワ「かもめのジョナサンみたいね」
私「トンビは、頭がいいから、そういうことを考えてもおかしくない」
ワ「自分の限界を知りたいのね」と。

と、そんとき、その黒い点が、M山の方向に向かって、急に動き出した。
風に乗ったというよりは、急降下だった。
ものすごいスピードだった。

私「あれじゃあ、時速100キロは出ているよ」
ワ「速いわねえ……」
私「今度は、スピードに挑戦しているみたい」
ワ「あら、やっぱりトンビだった」
私「トンビだな」と。

天空を真一文字に横切ったあと、鳶は、M山の頂上あたりで、ゆっくりと小さな
円を描いたあと、M山の向こう側へ、消えた。

それを見届けたあと、ワイフがこう言った。
「部屋に入って、お茶でものみましょう」と。
私はイスから立ち上がると、ワイフのうしろにつづいた。

●山荘

山荘へ入ると、日本間にあるコタツに電源を入れた。
もってきたミニ・パソコンを開いた。
台所で、ワイフがお茶をわかす音がする。
静かな夕刻。
穏やかな夕刻。

私はたった今見かけた、鳶のことを書く。
しかし集中力がつづかない。
眠い。
体がだるい。
指が重い。
タイプミスがつづく。

「たった4日なのに……」と、私。
そう、たった4日間、パソコンに向かっていなかっただけ。
が、もうこんな状態。
脳みそがサビつくのは、本当に早い。

気がつくと、いつの間にかワイフは、お茶を飲むのをやめ、となりで
スヤスヤと眠っていた。
こたつのふとんを、目一杯自分のほうに引き寄せていた。

何もかもいっしょにやってきた、ワイフ。
すっかりバーさん顔になってしまった、ワイフ。
そう思いながら、横のふとんをもちあげて、ワイフにかけてやる。

……ここまで書いたとき、村のチャイムが5時を知らせた。
「あら、もう5時……」と独り言を言ったあと、大きなあくびを1度したあと、
ワイフは、今度は、本当に居眠りモードに入ってしまった。
こうなると、あと1~2時間は、起きない。

「晃子へ、今日は、散歩につきあってくれて、ありがとう!」。

P.S.

明日は、散歩の距離を、2倍に延ばすぞ!
明後日は、そのまた2倍!
我ら、ヤング・オールド・マンは、絶対に負けない!


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++はやし浩司

●老化の確認

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こんなことは、50代のころにはなかった。
しかし60代になると、だれと会っても、
まず老化の確認から始まる。

「この人は、だいじょうぶかな?」と。

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というのも、認知症にしても、ある日突然、
人はそうなるのではない。
徐々に、徐々に、しかも少しずつ、10年単位という
長い時間をかけて、そうなる。

それに認知症といっても、千差万別。
定型はない。
程度の差もある。

たとえば話し方が、妙にかったるくなる人。
反応が鈍くなる人。
繊細な会話ができなくなる人。
ときどきぼんやりする人。

さらにおかしな行動を見せるようになる人もいる。

がんこになったり、わがままになったり……。
家の中に引きこもってしまう人もいる。
見苦しいまでにケチになったり、こまかいことを言う人もいる。
が、本当にこわいのは、そのことではない。

加齢とともに、それまでその人を隠していた仮面がはずれる。
自分を飾ろうという気力そのものが、弱くなる。
とたん、その人の(地)が、表にそのまま出てくる。
モロに出てくる。
そのとき、それなりの人格が備わっている人は、恐れることはない。
しかしそれが備わっている人は、少ない。

「60歳を過ぎたら、円熟の境地に達する」というのは、ウソ。
自分がその年齢に達してみて、それがわかった。
むしろ、この年齢を境に、あさましいほどまでに貪欲になる人がいる。
一片の哲学ももちえず、「世間体」という渦の中で、自分を見失う人もいる。

ウソだと思うなら、電車や観光バスの中で、ゲラゲラ、ギャーギャーと
騒ぎまくる、あのオバチャンたちを見ればよい。
大半の人たちは、みな、ああなる。
油断すると、みな、ああなる。
ああなったあと、それぞれがボケ老人の道へと入っていく。

だからというわけでもないが、久しぶりに会ったりすると、まず、
「この人は、だいじょうぶかな?」と思うところから、会話が始まる。
「どこかおかしいところはないかな?」とも。

だからといって、そういう人たちを、どうこう思うわけではない。
差別するわけではない。
私自身だって、おかしい(?)。
おかしくない人は、いない。
現に、昨日やおとといの私は、「死んでも構わない」と思っていた。
うつ病と診断されても、おかしくない状態だった。

大切なことは、それぞれの(おかしさ)を認めあいながら、接すること。
相手がかったるい話し方をするなら、こちらも、それに合わせて、かったるく
話せばよい。
繊細な会話ができないなら、こちらも、それをしなければよい。
相手に合わせて、おおざっぱな話をして、それですませばよい。

そう言えば、今年の正月、小さな事件が起きた。

親戚のG氏から年賀状が届いた。
私の家が喪中であることは、よく承知のはず。
最初は、「まちがいかな?」と思ったが、しかしG氏は昔から、冠婚葬祭には
うるさい人。
まちがえるはずはない。
で、よくよく思い出してみると、葬儀の席でも、法要の席でも、どこか妙な
行動が気になった。
会話そのものが、間延びしたような感じ。
ア~~ウ~~、と。
反応も鈍かった。
僧侶の読経に合わせて、何かしら踊るようなしぐさをして見せた。
それにもらった香典も、会食1食分にもならないような、小額だった、などなど。

だからいって、G氏があぶない……ということではない。
先にも書いたように、多かれ少なかれ、私たちの年代は、みな、あぶない。
G氏を批判しても、意味はない。
まさに「明日は、わが身」。
4、5年後には、私も、同じようなことをするようになるかもしれない。
非常識なことをしながら、それが非常識とも、わからなくなる(?)。
つまりこうして相手の脳みその中身を確かめながら、つき合う。
そしてその人はその人として、そっと暖かく見守る。

それが私たちの年代ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

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