最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●ただの人

2009-06-11 07:14:16 | Weblog



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『ただの人(Das Mann)』

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「(ハイデッガーは)、自分の未来に不安をもたず、
自己を見失って、だらだらと生きる堕落人間を、
ひと(das Mann)と呼びました」(「哲学」宇都宮輝夫・
PHP)と。

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●堕落人間

 堕落人間(ハイデッガー)は、いくらでもいる。
ここにも、そこにも、あそこにも……。
年齢が若いならともかくも、60歳代ともなると、言い訳は通用しない。
いまだに「老後は孫の世話と、庭いじり」と言っている人が多いのには、驚かされる。
「晴耕雨読」というのも、そうだ。
そういうバカげた老人像を、いつ、だれが作り上げた?

 私の知人に、公的機関の副長職を、満55歳で定年退職したあと、以後、30年近く、
庭いじりだけをして過ごしている人がいる。
30年だぞ!
年金だけで、毎月30数万円。
妻も公的な機関で働いていたから、2人の年金を合わせると、相当な額になる。

 ここで「庭いじりだけ」と書いたが、本当に庭いじりだけ。
子どもはいない。
孫もいない。
近所づきあいもしない。
まったく、しない。
もともと農家出身だったらしく、裏には、100坪前後の畑ももっている。
そのくせ周囲の家にはうるさく、隣の家にある木の葉が落ちてきただけで、樋(とい)が
つまると、その家に苦情の電話を入れたりする。

 最近、私はそういう老人がいるのを知ると、腹の底から怒りがこみあげてくるように
なった。
加齢とともに、その怒りは、ますます大きくなってきた。
ねたみとか、ひがみとか、そういう低次元な怒りではない。
人気として許せないというか、そういう次元の怒りである。
が、そういう私の気持ちを、あのハイデッガーは、みごとに一言で表現してくれた。
『ただの人(das Mann)』と。

●生きがい

 世の中には、恵まれない老人はいる。
が、その一方で、恵まれすぎている老人もいる。
その知人にしても、介護保険制度が始まって以来、週に2回、在宅介護を受けている。
……といっても、どこか具合が悪いということでもない。
ときどき見かけるが、夫婦で庭の中を、歩き回っている。
元役人ということで、そういう制度の使い方は、よく心得ているらしい。

 その知人をよく知る、同年齢のX氏は、こう皮肉る。
「あれじゃあ、まるで、毎月30数万円の税金を投入して、庭の管理をしてもらって
いるようなものですナ」と。

 が、うらやましがるのは、ちょっと待ってほしい。
いくら年金がそれだけあるといっても、また庭いじりができるといっても、私なら、
そんな生活など、数か月も耐えられないだろう。
何が「晴耕雨読」だ。
自分がその年齢になってみてはじめてわかったことがある。
それがこれ。
「老人をバカにするにも、ほどがある!」と。

 私たち老人が求めるものは、「生きがい」。
わかりやすく言えば、「自分を燃焼させることができる仕事」。
晴れの日に、畑を耕して、それがどうだというのか?
雨の日に、本を読んで、それがどうだというのか?
「だから、それがどうしたの?」という質問に、答のない生活など、いくらつづけても
意味はない。
ムダ。
そういう生活をさして、「自己を見失って、だらだらと生きる」という。

 私はその知人に、こう言いたい。
「お前らのような老人がいるから、ぼくたちは肩身の狭い思いをしているのだ」と。
若い人たちは、そういう老人を見て、老人像を作ってしまう。
誤解とまでは言えないが、しかし懸命に生きている老人まで、同じ目で見てしまう。
だから腹が立つ。

 いいか、老人たちよ、よく聞け。
あのクラーク博士はこう言った。
『少年よ、野心的であれ!』と。
本当は少しちがった意味で、「Boys, be ambitious」と言ったのだが、同じ言葉を、
私はそうした老人たちに言いたい。

『老人よ、野心的であれ!』と。
この意見は、少し過激すぎるだろうか?

(付記)

「少年よ、大志を抱け」で検索してみたら、6年前に書いた原稿が見つかった。
そのまま掲載する。

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●納得道(なっとくどう)と地図

●納得道

 人生には、王道もなければ、正道もない。大切なのは、その人自身が、その人生に納得
しているかどうか、だ。あえて言うなら、納得道。納得道というのなら、ある。

 納得していれば、失敗も、また楽しい。それを乗り越えて、前に進むことができる。そ
うでなければ、そうでない。仮にうまく(?)いっているように見えても、悶々とした気
分の中で、「何かをし残した」と思いながら生きていくことぐらい、みじめなことはない。
だから、人は、いつも自分のしたいことをすればよい。ただし、それには条件がある。

 こんなテレビ番組があった。親の要請を受けて、息子や娘の説得にあたるという番組で
ある。もともと興味本位の番組だから、それほど期待していなかったが、それでも結構、
おもしろかった。私が見たのは、こんな内容だった(〇二年末)。

 一人の女性(二〇歳)が、アダルトビデオに出演したいというのだ。そこで母親が反対。
その番組に相談した。その女性の説得に当たったのは、俳優のT氏だった。

 「あなたが思っているような世界ではない」「体を売るということが、どういうことかわ
かっているの?」「ほかにしたいことがないの?」「そんなにセックスがしたいの?」と。

 結論は、結局は、説得に失敗。その女性は、こう言った。「私はアダルトビデオに出る。
失敗してもともと。出ないで、後悔するよりも、出てみて、失敗したほうがいい」と。

 この若い女性の理屈には、一理ある。しかし私は一人の視聴者として、その番組を見な
がら、「この女性は何とせまい世界に住んでいることよ」と驚いた。情報源も、情報も、す
べて、だれにでも手に入るような身のまわりにあるものに過ぎない。あえて言うなら、あ
まりにも通俗的。「したいことをしないで、あとで後悔したくない」というセリフにしても、
どこか受け売り的。そのとき私は、ふと、「この女性には、地図がない」と感じた。

 納得道を歩むには、地図が必要。地図がないと、かえって道に迷ってしまう。しなくて
もよいような経験をしながら、それが大切な経験だと、思いこんでしまう。私がここで「条
件がある」というには、それ。納得道を歩むなら歩むで、地図をもたなければならない。
これには若いも、老いもない。地図がないまま好き勝手なことをすれば、かえって泥沼に
落ちてしまう。

●地図 

 人生の地図は、三次元で、できている。(たて)は、その人の住んでいる世界の広さ。(横)
は、その人の人間的なハバ。(深さ)は、その人の考える力。この三つが、あいまって、人
生の地図ができる。

 (たて)、つまり住んでいる世界の広さは、視点の高さで決まる。自分の姿を、できるだ
け高い視点から見ればみるほど、まわりの世界がよく見えてくる。そしてそこには、知性
の世界もあれば、理性の世界もある。それをいかに広く見るかで、(たて)の長さが決まる。

(横)、つまり人間的なハバは、無数の経験と苦労で決まる。いろいろな経験をし、その中
で苦労をすればするほど、この人間的なハバは広くなる。そういう意味で、人間は、子ど
ものときから、もっと言えば、幼児のときから、いろいろな経験をしたほうがよい。

 が、だからといって、人生の地図ができるわけではない。三つ目に、(深さ)、つまりそ
の人の考える力が必要である。考える力が弱いと、ここにあげた女性のように、結局は、
低俗な情報に振りまわされるだけということになりかねない。

 で、もう一度、その女性について、考えてみる。「アダルトビデオに出演する」というこ
とがどういうことであるかは別にして、……というのも、それが悪いことだと決めてかか
ることもできない。あるいはあなたなら、「どうしてそれが悪いことなのか」と聞かれたら、
何と答えるだろうか。この問題は、また別のところで考えるとして、まず(たて)が、あ
まりにも狭い。おそらくその女性は、子どもときから低俗文化の世界しか知らなかったの
だろう。テレビを通してみる、あのバラエティ番組の世界だ。

 つぎのこの女性は、典型的なドラ娘。親の庇護(ひご)のもと、それこそ好き勝手なこ
とをしてきた。ここでいう(横の世界)を、ほとんど経験していない。そう決めてかかる
のは失礼なことかもしれないが、テレビに映し出された表情からは、そう見えた。ケバケ
バしい化粧に、ふてぶてしい態度。俳優のT氏が何を言っても、聞く耳すらもっていなか
った。

 三つ目に、(深さ)については、もう言うまでもない。その女性は、脳の表層部分に飛来
する情報を、そのまま口にしているといったふう。ペラペラとよくしゃべるが、何も考え
ていない? 考えるということがどういうことなのかさえ、わかっていないといった様子
だった。いっぱしのことは言うが、中身がない。

 これでは、その女性が、道に迷って、当たり前。その女性が言うところの「納得」とい
うのは、「狭い世界で、享楽的に、したいことだけをしているだけ」ということになる。

●苦労

 納得道を歩むのは、実のところ、たいへんな道でもある。決して楽な道ではない。楽し
いことよりも、苦労のほうが多い。いくら納得したからといって、また前に別の道が見え
てくると、そこで悩んだり、迷ったり、ときにはあと戻りすることもある。あえていうな
ら、この日本では、コースというものがあるから、そのコースに乗って、言われるまま、
おとなしくそのコースを進んだほうが得。楽。無難。安心。納得道を行くということは、
そのコースに背を向けるということにもなる。

 それに成功するか、失敗するかということになると、納得道を行く人のほうが、失敗す
る確率のほうが、はるかに高い。危険か危険でないかということになれば、納得道のほう
が、はるかに危険。だから私は、人には、納得道を勧めない。その人はその人の道を行け
ばよい。私のようなものが、あえて干渉すること自体、おかしい。

 が、若い人はどうなのか。私はこうした納得道を歩むというのは、若い人の特権だと思
う。健康だし、気力も勇気もある。それに自由だ。結婚には結婚のすばらしさがあるが、
しかし結婚には、大きな束縛と責任がともなう。結婚してから、納得道を歩むというのは、
実際問題として、無理。だから納得道を歩むのは、若いときしかない。その若いときに、
徹底して、人生の地図を広げ、自分の行きたい道を進む。昔、クラーク博士という人が、
北海道を去るとき、教え子たちに、『少年よ、野心的であれ(Boys, be ambitious!)』と言
ったというが、それはそういう意味である。

 私も若いときには、それなりに納得道を歩んだ。しかしそのあとの私は、まさにその燃
えカスをひとつずつ、拾い集めながら生きているようなもの。それを思うと、私はよけい
に、子どもたちにこう言いたくなる。「人生は、一度しかないのだよ。思う存分、羽をのば
して、この広い世界を、羽ばたいてみろ」と。つまるところ、結論は、いつもここにもど
る。

 この「納得道」という言い方は、私のオリジナルの考え方だが、もう少し別の機会に、
掘りさげて考えてみたい。今日は、ここまでしか頭が働かない。
(03-1-10)


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●  テロ支援国家?(Is North Korea a Terrorists’ Support Nation?)

To: Ms. H. Clinton, the Secretary of the United States of America,

Please remember that, first of all, North Korea is not a “Terrorists’ Support Nation”.
It is NOT. North Korea is a “Terrorists’ Nation” itself.
Now you feel terrified and something which is terrifying you by the ICBM’s with nuclear
weapons and can understand how we feel about North Korea.
We have pointed out many times in these past five years, the mistakes made by C. Hill
and then we hope you would not repeat the same mistakes as C. Hill did through the
6-nation conference.

ニュースを読んで、いろいろ考える。
その一。
アメリカのクリントン国務長官が、K国を
テロ支援国家に再指定するかもしれないと
言い出した。

テロ支援国家?
とんでもない!
あの国は、テロ支援国家ではない。
テロ国家そのもの!

「あのね、クリントン国務長官、
K国はテロ支援国家ではありませんよ。
テロ国家そのものですよ。
日本を脅し(terrified)、韓国を脅している。
今度はアメリカを脅している。
先のミサイル発射で、日本人は、どれほど
恐怖を感じたことか
つぎは核兵器。
私たちは直接的な恐怖を感じています。
だから、K国は、テロ支援国家ではありません。
テロ国家そのものです。
指定するなら、(テロ国家)そのものと指定してください」。

大切なことは、C. Hill国務次官補がした愚かなまちがいを、繰り返さないこと。
あのC. Hillは、独断と偏見で、極東アジア情勢をめちゃめちゃにしてしまった。
聞くところによると、「私が極東問題を解決してみせる」と、自ら国務省内部で
名乗り出て、あの地位に就いたとか。

その結果が今。
C. Hill氏の息子氏は、韓国のH社製の車を乗り回している。
大の韓国びいきということは、そのことでもわかる。
(ついでに、たいへんな日本嫌いということも、漏れ伝わってきている。)
それはわかるが、しかし当時の大統領は、あのノ氏。
K国の代弁者(スポークスマン)とまで揶揄(やゆ)された、あのノ氏。
結局は、C. Hill氏も、「太陽政策」とやらに乗せられただけ。
つまり、K国にだまされた。
よいように扱われた。
今ごろそれがわかっても、遅いが……。

++++++++++++++++++H.Hayashi

●韓国のみなさんへ

 あんな国を、本気で相手にしてはいけない。
相手にしても意味はない。
アジアどころか、世界でも最貧国のあんな国を、本気で相手にして、どうなる?

 ここ数日、韓国の新聞記事を呼んでいると、勇ましい好戦ばかりが目立つ。
まるで戦争ゲームでも楽しんでいるかのよう。
それもそのはず。
韓国の軍隊は、完全に近代化している。
兵隊の動きを、宇宙から、ひとり残らず、すべて監視している。
かたやK国の軍隊は、終戦直後の日本のまま。
どうあがいても、K国に勝ち目はない。
(だからこそ、核兵器に最後の望みをかけているということにもなるのだが……。)

が、しかしそれでも戦争はしてはいけない。
この話は、勝つとか、負けるとか、そういうレベルの話ではない。
K国は戦争を突破口に、自分たちの悪政を正当化しようとしている。
それがわかったら、あんな国に手を出してはいけない。
そんなことは、ほんの少しだけ想像力を働かせてみれば、わかること。

 韓国とて、無事にすまない。
K国が崩壊すれば、そのまま朝鮮半島は大混乱。
その収拾をするだけでも、たいへん!
戦後処理となると、さらに、たいへん!
核兵器が使われるようなことにでもなれば、それこそ取り返しのつかないことに
なる。
もちろん韓国経済は、奈落の底に。
日本経済も、奈落の底に。

 だったら、ここはK国の友邦国である中国に責任を取ってもらえばよい。
またそういう道筋を立てる。
韓国や日本が、あえて火中の栗を拾う必要はない。
言い換えると、K国問題は、中国問題と考える。
中国が動かないかぎり、K国は動かない。
中国も、そのことを、いちばんよく知っている。

 だからK国が仮に局地的な攻撃をしかけてきても、韓国は、そして日本も、
ノラリクラリと、それをかわせばよい。
そのつど国際社会に訴えていき、その一方で、中国を締めあげればよい。
「あなたの責任で、K国を何とかしろ!」と。

 韓国の国益、そして日本の国益、その第一は、韓国や日本を戦場としないこと。
身勝手とか、臆病者と言われても、気にすることはない。
もともとあんな国、本気で相手にする必要はない。
あんな国を相手に、正義を貫いても意味はない。
その価値もない。

 そう言えば、この日本でも敵地攻撃論が台頭してきた。
「攻撃されれば、反撃する」と。
こういうおバカがいるから、いつまでたっても、戦争は終わらない。
報復が報復を呼び、やがて戦争は泥沼化する。
で、その結果、犠牲になるのは、いつも一般の民衆。

 韓国も日本も、引けるところまで、身を引く。
さらに身を引く。
またさらに身を引く。

今こそ、私たちは、その忍耐力が試されている。
その忍耐力こそが、韓国、ならびに日本の平和と安全を守る。
けっしてうかつに手を出してはいけない。
手を出せば、それこそK国の思うツボ。
そのままK国のワナにかかる。
「待ってました!」とばかり、K国は、韓国や日本に攻撃を拡大してくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
K国のミサイル迎撃反対 ICBM迎撃反対)
(2009年6月8日朝、記)


Hiroshi Hayashi++++++++June09++++++++++はやし浩司

●認識の甘さ(Overly Optimistic Diplomacy)

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中朝国境付近でK国側に身柄を拘束された、
アメリカ人記者、2人の判決が出た。
「12年の労働教化刑(懲役刑)という。

判決はともかくも、この事件の発端は、2人の
記者の認識の甘さと考えてよい。
報道によれば、2人は一度、K国内に侵入している。
手引きをしたのが、K国側のスパイだったという。
そして中国側に一度出たところで、身柄を拘束
された。
もしそうだとするなら、2人は
まんまとワナにはまったとみてよい。

その結末が、12年の労働教化刑!

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●C・ヒル氏

 この事件を最初に知ったとき、私がまず感じたのが、認識の甘さ。
「アジア情勢をナメている」というか、「甘く見ている」というか。
その心情は、アメリカの前国務次官補のC・ヒル氏のそれと相通ずる。

 あのC・ヒル氏は調子に乗って、ニューヨーク・フィルをピョンヤンまで
連れてくるようなことまでした。
が、K国は、そんな国ではない。
そんな国でないことは、私たち日本人なら、みな、知っている。

 2人の記者への同情心は、残念ながら、私たちには、ほとんどない。
2人の記者は、中朝国境へ向かう前、アメリカ人牧師に警告されていた。
その牧師は一度身柄を拘束されたが、命かながら、K国を脱出した。
そういう経験の持ち主である。
そういう牧師の警告を無視して、2人は、K国領土内に侵入した。

 つまり日本人の拉致問題とは、基本的には、異質の問題である。
入りたくて入ったアメリカ人記者と、行きたくもないのに、誘拐された
日本人被害者。
同じように同情しろというほうが、無理。
そればかりか、その意図が不明。
私には、ハネあがった2人の記者が、自分の名声のために、K国にノコノコと出かけて
いったようにしか思えない。
あのC・ヒル氏のように!

 時事通信は、つぎのように伝える。

【ソウル8日時事】

『K国中央通信は8日、K国の中央裁判所(最高裁に相当)が、拘束中の米国人女性記者
2人に対し、12年の労働教化刑を言い渡したと伝えた。オバマ米政権がK国の核実験を
受け、テロ支援国再指定検討など制裁強化の動きを見せている中、米国への挑発を強めた
形だ。今後、米国は身柄解放に向け、K国との交渉を働き掛ける方針だが、難航するとみ
られる。

(中略)

 判決を受けたのは、米ケーブルテレビ局のローラ・リン、ユナ・リー両記者。2人は3
月17日、中朝国境地帯で脱北者問題を取材中に捕らえられ、その後、「不法入国と敵対行
為」などの罪で起訴。K国中央通信は6月4日に「裁判を4日午後3時から始める」と異
例の事前報道を行っていた。

 今後の日程は明らかとなっていないが、これで判決が確定する可能性が高い。K国の刑
法では、朝鮮民族敵対罪は5年以上の労働教化刑で、特に、事案が重大な場合は、10年
以上としている』(ヤフー・ニュース・09年6月9日)。

 同情はしないが、不幸な事件である。
オバマ大統領も、それをよく知っている。
が、これがもし拉致であったとしたら……。
アメリカのカルフォルニアに在住している女子中学生が、拉致され、K国に連れて
行かれたとしたら……。
オバマ大統領は、海兵隊を派遣してでも、その中学生の奪還を試みるだろう。
またそういうことでもしないかぎり、アメリカの世論は、納得しないだろう。

 あのC・ヒル氏にいたっては、リップサービスだけで、拉致問題について本格的に
話し合った形跡は、ゼロ。
そればかりか、「拉致問題を棚上げして、K国援助に加われ。さもなければ、K国を
テロ支援国家指定から解除する」とまで言い切った。
そして事実、2日をおかないで、電撃的に、指定から解除してしまった。
「日本ロビーが動き出す前に……」と。
 
 こうした認識の甘さは、オバマ大統領にもあるのではないか。
いまだに「話し合いを重視」とか、何とか、夢のようなことを口にしている。
C・ヒル氏がしたのと同じ失敗を繰り返そうとしている。
結局は、彼らは、アジアのことは何もわかっていない。
私には、そうとしか、思えないのだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

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