最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●無事、すむ!

2009-04-06 08:47:16 | Weblog
●4月5日(K国による、テポドンミサイル発射実験の日に)

●無事、すむ(?)

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「食事に行こう」と外に出て、そのまま
バスに乗って、街まで出た。
「映画をみよう」と言って、そのまま
映画館へ向かった。
見たのは、『ウォッチマン』。
奇想天外な、メチャメチャな映画だったが、
結構、おもしろかった。
星は4つ弱。
ワイフは3つ。
それで、★★★。
長い映画で、途中で眠くなってしまった。
あとで聞いたら、ワイフも眠くなったという。
(最初、20~30分は、何がどうなっているか、
よく理解できなかった。)

ところでうしろの席に座ったブラジル人カップルが、
途中からおしゃべりを、し始めた。
ペチャペチャと。
英語もわからない。
日本語もわからない。
字幕を懸命に見ている私たちにしても、わかりにくい映画だった。
きっとブラジル人カップルには、何がなんだか、
さっぱりわからなかったのでは……?
たがいに推理し、説明しあっていたのではと思う。

同情して、私たちはだまって、映画を見つづけた。

映画館を出たとき、何ごともなかったかのように、
街はいつものように動いていた。
そこにはいつもと同じ、夕暮れの風景があった。
それを見て、「ホ~~~ッ」と、ため息。
本当に今日は、何ごともなくすんで、よかった。

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●緊迫した一日

夕刻のテレビを見ていたら、東北地方の人たちが、こう言っていた。
「被害がなくてよかった」と。

しかしもし日本が、どんな形であれ、迎撃ミサイルを発射していたら、
K国は、ノドンによる報復を日本に対してしていただろう。
彼らには彼らの論理がある。
日本人の私たちから見れば、おかしな論理かもしれないが、それが
彼らの論理である以上、それを理解して対処するしかない。

そしてもしノドンによる報復攻撃を受けていたら、日本は大惨事以上の
大惨事になっていた。
東北地方の人たちには悪いが、「被害がなかった」という程度では、
すまなかったはず。
韓国の某軍事評論家は、10~20発のノドンミサイルを、日本に
撃ち込むだろうと予測していた(韓国誌)。
韓国の大統領たちが、地下シェルターへ作戦本部を移していたことでも、
それがわかる。

ともかくも、私は、ホ~~~ッ。


●心の余裕

……というわけで、私はこの数日間、神経がピリピリしていた。
そのこともあって、睡眠時間が短くなっていた。
ずっと頭が重かった。
昨夜は、1か月ぶりに、熟睡剤の世話になった。

で、神経がピリピリしていると、心に余裕がなくなる。
やさしい心が消える。
何でも、けんか腰になる。
しかしこれはよくない。

昨日も、豊橋で、浜松行きの電車に乗り換えたとき、こんなことがあった。
名古屋方面から来た電車は、たいてい一度、豊橋駅で、今度は浜松行きに
乗り換える。

私とワイフが電車に乗り込んだ、その直後のこと。
合い向かいの席が、二列あった。
その1つには、小学5年生くらいの男の子が座っていた。
チョコンとそこに座っている……という感じだった。
駅ではうしろに並んでいたと思うが、乗客のすき間をくぐり抜け、
先にそこに座ったらしい。
私とワイフはその会い向かい席に座ろうとした。
と、そのときうしろから声がした。

「そこは私たち家族が座ります」と。
母親の声だった。
私は、即座に、「それは断ります」と答えた。

それを聞いて、母親はあわてたらしい。
私たちの肩越しに、「どうして席を取っていないの!」と、
その男の子を叱った。
男の子は席を立ち、私たちのうしろへ走った。
代わりに、小学2年生くらいの女の子が、男の子がいた席に座った。

うしろから親子が口論する声が聞こえてきた。
何を言っているか、よく聞こえなかった。
しかし喧嘩に近い、声だった。
母親が男の子を叱った。
それに対して、父親が、母親をなじった。
雰囲気としては、そんな感じだった。

私は「まずいことをしたな」と思った。
しかし私たちがその親子に席を譲るのも、これまたおかしな話。

電車が動き出すころ、女の子の横に、父親が座った。
父親のほうは、むっとした表情だった。
気まずかった。
私は無視した。
が、私は、その女の子が気になった。
私の顔を切り刻むように、にらみつけていた。
鋭い視線だった。
それがずっと、つづいた。

私はことの詳細を、その女の子に説明してやろうかと何度も思った。
一度、心の中で練習した。
「あのね、お嬢さん……。あなたは誤解していると思いますよ……」と。
が、やめた。
女の子は、私たちに席を横取りされたと思っているらしい。

こうして電車は、浜松の1つ手前の駅に着いた。
その家族は、そこで電車を降りた。
緊張感が、スッと消えた。

私「席を譲ってやればよかったね」
ワ「あんな喧嘩をするとは、思っていなかったわ」
私「男の子が、母親に叱られていたよ」
ワ「そうみたいね」と。

しかしそれにしても余裕のない母親だった。
席を取らなかったことくらいのことで、子どもを叱るとは!
いや、そういう母親だから、男の子は、機敏な行動が取れなかったの
かもしれない。
ふつうならそういうとき、持ち物をポンポンと置いて、席を確保する。
親の過干渉が慢性的につづくと、子どもの動作が緩慢になることがある。
母親は、明らかに過干渉ママだった。

やさしい心を忘れたときというのは、そうなる。
私のほうにも余裕がなくなる。
だから思わず、「それは断ります」などと言ったりする。
誤解がないように念を押しておくが、私たちが座ろうとした
その席には、何もなかった。
男の子も何も言わなかった。
またうしろから母親の声がしたときには、私もワイフも、ほぼ
座りかけていた。

どうであるにせよ、あまり気分のよいできごとではない。
ささいなできごとだったが、そのこともあって、夜、床に
就いてからも気分が重かった。

自分の心の余裕のなさが、不愉快だった。


●床に座る

今日は日曜日。
映画館は、人で混雑していた。
で、そこで見かけた光景。
今の若い人たちは、床の上でも平気で座る。
座って、話し込んだり、菓子を食べたりする。
それはそれで、見慣れた光景になりつつある。
が、階段に座っている人たちもいた。
これには驚いた。

同じような光景を、私は、学生のころ、オーストラリアで見た。
40年近くも前のこと。
彼らは、平気で床の上に座った。
道路にも座った。
日本では考えられない光景だったので、私は心底、驚いた。
が、やがて、それは習慣のちがいと関係あるとわかった。

彼らの住居は、日本のように高床式になっていない。
床イコール、座る場所となっている。
だから床に座るということに、抵抗感がない。
また自然な形で、それができる。
が、この日本で、どうして?
階段などに座られたら、歩く人が迷惑する。

若い人たちの心の中までは見えないが、もしそういうことを、
(かっこいい行動)と思っているなら、それこそ自由のはき違え。
もう少し自分の頭で考えながら、行動してほしい。


●退職後の人たち

退職後の人たちの情報が、つぎつぎと入ってくる。
そういう人たちを、おおまかに分けると、おおむね、つぎのようになる。

(1) 道楽型(旅行三昧、趣味三昧の生活をする)
(2) ゴロゴロ型(何もしないで、家でゴロゴロする)
(3) 挑戦型(若いころできなかったことに、再挑戦する)
(4) 隠居型(息子夫婦などと同居。孫の世話などをする。)
(5) 奉仕型(何かのボランティア活動に精を出す。)
(6) 仕事型(そのまま関連の仕事をつづける。)
(7) 運動型(健康のためと称して、あらゆるスポーツをする。)

もちろんこれらの混合型というのも、ある。
しかし主にどれか、ということになると、たいてい1つに絞られる。
またどれがよいとか、悪いとかいうことではない。
人、それぞれ。
それぞれの人が、それでハッピーなら、それでよい。

ただ言えることは、どこかで「統合性の確立」をめざさないと、
老後もつまらないものになるということ。
統合性の確立というのは、(すべきこと)を見つけ、それに自分を
一致させていくことをいう。
(したこと)ではない。
(すべきこと)である。

私たちはみな、何かの義務をもって、この世に生まれている。
義務の内容は、人によって、みなちがう。
退職後は、その義務を果たす。
単純に考えれば、ボランティア活動ということになる。
が、これは一朝一夕には、できない。
「退職しました。明日からゴビ砂漠へ行って、柳の木の苗を
植えてきます」というわけにはいかない。
そんな取って付けたようなことをしても、長つづきしない。
使命感も生まれない。

で、老後というのは、みな、平等にやってくる。
例外はない。
その老後の準備をするのは、50代では遅すぎる。
エリクソンは、「40歳から……」と説く。
「40歳は人生の正午」と。
しかし実際には、40歳でも、遅すぎるのでは?

若いころからの積み重ねがあってはじめて、老後に統合性の確立が
できる。
しかも統合性の確立は、無視、無欲でなければならない。
何らかの利益につなげようと思ったとたん、統合性は霧散する。

で、私自身は、どうなのか?
私はだいじょうぶなのか?
またどの「型」に当てはまるのか?

が、私はまだ退職状態ではない。
あと9年は、現役でがんばる。
そのときまだ頭と体がだいじょうぶなら、さらにもう少し、がんばる。
統合性の確立がうまくできるかどうかについては、本当のところ、自信はない。
ないが、あえて言うなら、今、こうして文章を書くようなことが、
老後の生きがいになりそう。
少しでも多く、ものを書いて、若い人たちの役に立ちたい。


Hiroshi Hayashi++++++++APRIL・09++++++++++++はやし浩司

●風力発電

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浜松の北に、三岳山(みたけさん)という山がある。
標高550メートル前後と聞いている。
三つの岳になっているから、「三岳山」という。
その真ん中の岳の頂上には、昔、城があったという。
今は、「三岳城址」となっている。

その三岳山の右隣の山に、巨大な風力発電の羽が見えるようになった。
はじめて見たときは、ギョッとした。
で、数か月前ころから、私とワイフは、「一度、行ってみよう」と
話し合った。

で、数日前、そこへ行ってきた。

車で行くときは、つぎのようにする。

(浜松市内)→(姫街道)→(引佐町)→(引佐町のセブンイレブンを右折)
→(そのまま三岳城址をめざす)→(三岳城址のふもと)→(さらに
直進)→(やがて右手に巨大な風力発電の羽が見えてくる。)

とにかく驚く。
度肝を抜かれるほど、大きい。
羽の長さだけでも、一枚、20メートルはあるのでは?
高さも、40~50メートル?
飛行機の翼のよう。
それが三枚、風車(かざぐるま)のように回る。
現在、5基まで完成している。
興味のある人は、一度、行ってみたら?
ただし今は、工事中とかで、許可がないと、近くには行けない。
私たちは特別に許可してもらったが……。
みなが押しかけたら、断られるかも。

私たちはそれを見ながら、弁当を食べた。
その間中、「すごいなあ」「すごいね」を、惜しみなく連発した。

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