第三の軍師 2009-10-01 | 三国志 いったい・・・いつになったら、孫呉の 天才的策略家・魯粛子敬 を登場させてくれんの? 真・三国無双。 次は出るか? レックリでも活躍したし、そろそろキャラ化されてもいいんじゃないのかなぁ・・・ ・・・が、 間違っても 孔明と周瑜の間でオロオロ なんてキャラにはしないでよね・・・・・!! で、こんなの作ってみました。 司馬ィ、諸葛亮に続く、第三の軍師!! こんな感じでいかがでしょう (←イイわけない。) ・・・・・・・・・・ 広 い 心 でお願いします(はははっ。笑) それにしても私の色彩センスはどうしようもないです・・・(;一_一) もしも風にさそわれたら・・・ポチッと #マンガ « 倦怠期におけるアニバーサリ... | トップ | 祝福の気持ちをこめて。 »
10 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 魯粛! (甘羽) 2009-10-01 17:40:16 新しい魯粛ですねっ!どこからそんなに発想が出てくるんでしょうか?(笑)私の魯粛のイメージは演義しかないので、とっても新鮮です!いや、もう魯粛これでいいですよ。(笑) 返信する 薔薇の君と呼んで差し上げたいです。 (瑠璃) 2009-10-01 22:51:53 すごいです…子敬どののイメージが一変しました。 演義はキリのいいところで、現在一旦お休み中なのです…周瑜さまが身罷った後ももちろんですが、終盤に入るとまた読み進まないんですよねー そろそろ関羽が陸遜と呂蒙にハメられるところなんですが、直前で別の本に浮気しております。 でも、つゆだくさんの記事を読んだ後で演義を再開したら、キャラのイメージが違って見えるかもしれないです(笑)。 返信する 魯粛!! (quetal) 2009-10-01 23:49:09 おお、魯子敬!つゆだく様の魯粛は耽美系なのですね(*^▽^*)無双は演義ベースなので、豪放な魯粛は難しいかもですね(汗後、問題は実際に軍を動かした形跡が関羽との荊州領有を巡っての一度くらいしかないため、ゲームのストーリーにし辛そうです(でも小喬とかがおkなら大丈夫かな?)正史魯粛の常識外れの豪胆さはすごいですね。周瑜との米蔵の件含め、散財話とか主君・孫権を脅したり、漢は滅ぶから後に帝位に就けとか。何より、権の意向も仰がず、劉の降伏で突如、放浪の身になった劉備に「呉は同盟を望んでいる」と嘘をつき、単独で結んだこと。曹操への対応という国の一大事をを独断で決めちゃいました。Σ(゜Д゜)赤壁決戦を権に決意させたのは、周瑜の弁のためですが、土台を作ったのは紛れもなくこの人ですね。間違いなく三國志きっての才人の一人であり、狂人です(笑周瑜死後はまた、長く語っちゃいそうなので略(;´Д`)周瑜は、演義でも優秀な司令官として描写されていますが(それを負かす諸葛亮を引き立てるためですが)、魯粛はホントにお人よしなだけで、最も正史と演義のギャップがある人物かもしれません。絵は、袁術から離反し、孫策の下へ正に駆け付けようとする周瑜が魯粛を訪れたシーン。周瑜にとっては策の覇業のために人材を求め、魯粛はどの勢力に仕えるかの思案を重ねていた時分。二人の軍略は劉備を巡ってズレることになりますが、この時、共に若い二人はどんな未来を描いていたのでしょうか?想像するとわくわくします。 返信する >甘羽さん (つゆだく) 2009-10-02 13:15:53 いつもコメントありがとうございます魯粛は・・・正史を知る前は、どういう人、という認識も持ってなかったです(ひどい)ただの脇役・・・とか、その程度にしか(周瑜の家来?とか思ってたかも・・・)正史の魯粛を知って以来、ワタシの脳内魯粛はこんな感じです (それもどうかと。笑) 返信する >瑠璃さん (つゆだく) 2009-10-02 13:21:37 薔薇の君(笑)当時の中国に薔薇があったかはともかく、無双ですし・・・笛や扇でさえ武器になるんだから(けん玉とか…三味線?とかも。笑)魯粛が薔薇を武器にしたっていいじゃないかと(よくないか)今後の演義読み・・・、ゼヒ魯粛をこの顔で想像していただきたいです(と無茶振りをするつゆだく。笑) 返信する >quetalさん (つゆだく) 2009-10-02 14:47:45 もう…こんな妄想にコメントくださって(笑)ありがとうございます!耽美系・・・(笑)無双シリーズの孫呉軍団はもう、この路線しかないんじゃないでしょうか。正史魯粛の、豪放…というか、太い…というか・・・ぶっちゃけ図々しい()部分を、こういう感じでイメージしてますね、ワタシ(笑)そういえば確かに、演義の周瑜はまだ一応「できる指揮官」でしたね。それに比べたら魯粛の扱いこそ極悪非道なのかも・・・>権の意向も仰がず・・・そう!そうなんですよね!あんなことしていいんですか?!(笑)なんでも好きなようにしていい、って予め言われてきたんでしょうか…それとも、劉(の兵力)を孫呉に引き込む(ぼったくる?笑)ということの中にはすでに「劉備軍も含める」という条項が入っていたんでしょうか?それなら「あーあ、じゃせめて劉備軍だけでも持って帰るか」ってとこで、それだと、トップの意向も確認せず、ってほど大変なことでもないのかな・・・もし・・・いきあたりばったり、行き掛けの駄賃的に劉備一行に声をかけて、とかだったら・・・ホントに怖いヤツですよね?(笑)帰ってきて「劉備と同盟することにしましたから」って聴いた孫権が「ぇぇぇー・・・・おれ…聴いてないんだけど・・・」となってたりして(笑)そりゃ張昭だってむかつきますよねぇ・・・でもそっちの方が面白いなぁ>2人の軍略は劉備を巡ってズレることになりますが・・・これは…どうなんでしょうね。周瑜は劉備を警戒していましたしね…。「あれは煮ても焼いても喰えない毒持ちの魚、さっさと始末した方がいい。飼おうなんてもってのほか」という周瑜の評価(?)は間違ってなかったわけですよね。でも魯粛はその意見には同意せず、劉備を利用する線で行ったわけで・・・孫権も魯粛寄りだし・・・周瑜、心配だったでしょうね・・・・(あ、また周瑜至上主義が。笑)私としては、二人の意見が食い違っていった、というより、魯粛のは「次善の策」として進行させていた、と思いたいです・・・。周瑜なら蜀侵攻は成功させられると思うが、一応保険として?みたいな。「子敬、お前、信用してないわけ?」「まさか!保険ですよ、保険。」「・・・私的にはいたく気に食わないんだが?」「気にしない気にしない。あなたが成功したらそん時に殺せばいいんです」「・・・(鬼・・・)」とかそんな話だったらいいなぁ…って。妄想はともかく。結局のところ魯粛は劉備のヤバさを甘く見た、ってことなんでしょうか????利用するつもりが思った以上にとんでもない男だった、みたいな…。でも、「してやられた」とはいうけど、魯粛が死んでなかったらわかんないですよね。関羽にもガツンとくらわして(笑)、劉備と諸葛亮に引き下がらせたり・・・。劉備に蜀を領有させはしたけど、当初の予定通り、曹魏との喧嘩は劉備に任せてその間に地道に国力をあげて、いいタイミングで手のひらを返す・・・・(うーん実に孫呉っぽい!笑)そういう予定だったんですよね?あーあ・・・魯粛が死ななかったらなぁ・・・あ・・・ホントだ。長くなってしまいましたネ… コメ欄なのに 返信する ごめんなさい!めちゃ長いです!m(_ _)m (quetal) 2009-10-03 02:10:44 ●荊州事情江夏の宿敵・黄祖を周瑜が208年にやっと滅ぼせたことや、周瑜が後に荊州水軍7万と分析・彼が曹操迎撃に与えられた軍が三万ということから、少なくとも荊州の国力は揚州と拮抗していたのでしょう。孫権、魯粛の当初の認識としては「劉表から代が変わったのに乗じて、宿敵の荊州と融和し、その大きな国力を背景に曹操への盾になってもらおう」というものだったのだと思います。ところが、粛が荊州に向かう間に、劉はあっさり曹操に降伏、劉備は敗走。(しかも益州の劉璋は親曹操の意思を示す始末で四面楚歌)。劉備との同盟はこの時点で、単なる盾ではなく、曹操に帰順するか否かを示す国の存亡問題になったはずです。その決断を一人でなしちゃったんですから(´Д`。)魯粛が帰ってきたとき、孫権や後の降伏論者は「兵力と領土に期待したはずなのにおまけ(劉備)だけ連れてきて、直接曹操と敵対する羽目になっちまった(゜д゜)ポカーン」って感じになったのではないでしょうか(笑もっとも、軍務に疎い魯粛の行動は国の方針を決めるには不十分で、そこから歴戦の将軍・周瑜が論理的に権・降伏論者を説き伏せる流れに移るわけですが。●>二人の軍略周瑜は征蜀の達成は己の将才を欠いて達成できないと考え、後継者として異見の魯粛を推薦しました。それに応え、魯粛は己の軍略を信じ、周瑜が矢傷を受けてまで手に入れた南郡(江陵)をあっさり劉備に貸与します。個人的には、二人がお互いに譲れない天下の描き方を持ち、なおかつそれを互いに認め合っていた証左では?と推測してしまいます(*´▽`)●>してやられた魯粛の軍略は長期的な指針。長江流域の安全を保ち、隙あらば領土得て孫権を帝位に導くこと。魯粛は自分には周瑜のような軍才がないことを冷徹に分析していたのだと思います。彼の力は外交。荊州民と孫家との関係は長年、頗る悪かったため江陵は維持できないと踏んで、『敢えて』劉備に貸しを作ったのでしょう。そのおかげで関羽に強く迫ることが可能になり、多少の小競り合いはあったものの正当に長沙・桂陽を得ることができました(江陵・襄陽で劉・曹を対峙させたまま)。「してやられた」とも言えないかもしれません。惜しむらくはつゆだく様の言うとおり、やはり寿命ですかね。●周瑜ブログなので周瑜の天下二分の計は短期的な指針。①赤壁の被害か内部事情か、対外的軍事活動に出ない曹操②曹操との緊張を孕んだ馬超③荊州南部を抑え、まだ力を蓄え始めたばかりの劉備④外部に張魯・内部に不穏を抱える劉璋そういった一時的な状況が続くうちに電撃的に行軍、策を全て成功させようというものです。極めて厳しい状況ですが(ある意味で呉が天下を狙うには最後の機会か?)、瑜は怜悧な現実主義者なので、勝算はあると信じていたのでしょう。それにしても、否が応にも自分の命一代で天下に臨みたいという峻烈な思いが滲み出ています。音楽や風情に優れた周瑜らしく、シビアの中にも詩的情熱や切なさが漂っていますね。つゆだく様なら、きっとそこに亡き孫策への思いを感じ取るのではないでしょうか? 返信する >quetalさま (つゆだく) 2009-10-03 03:18:20 さすがです・・・その理路整然さ、感動します!!どうしてそんなに上手にまとめられるんでしょうか(笑)前に、言われてましたが・・・quetalさんの孫家評こそ聞きたいですよ!!ワタシ!!もう、いつも勉強させていただき・・・ありがとうございます>否が応にも自分の命一代で天下に臨みたいという・・・鋭いです。完全に読まれてます、ワタシ(笑)quetalさんは私の萌えツボをよくご存じで・・・周瑜のそういうところに堪らないロマンを感じるんですよね・・・。ホントは、周瑜さまそんなに慌てないでって言いたいです。この機を逃したら、という現実はわかりますが・・・、自分の命の期限が近い事を自覚していたんでしょうか・・・。生きているうちに、夢に挑戦しておきたい、と思ったんでしょうか。正直、女の考えとしては「とにかく休んで、病気を治してくれてたら」と思わずにはいられません。生きててくれれば・・・どのようにでも対応出来たんじゃないのか?と。まあ、こういうこと考えても無駄なんですけど(笑)それにそういう周瑜だからこそ、憧れずにはいられないのかもしれないし・・・。ああ、ジレンマ!!・・・ホントに右脳の三国志ですね~、ワタシのは。もう、左脳の三国志はお任せして、ワタシはそれにせっせと萌えさせていただくことにします(こら。笑)quetalさんがくださったこの一文、わたくし「脳内周瑜ドラマオンエア(目はハート)」状態ですよもう・・・当分の間この「一文」でご飯三杯はイケそうです(笑) 返信する Unknown (ソンゴスキー) 2009-10-21 18:34:05 こんにちわ、私もよく友人と酒を飲みながら、次に無双で追加されるであろう武将を予想して楽しんでいます。妥当な線では、演義で知名度の高い魯粛、あるいは程公なんですが、個人的希望では徐盛、潘璋とか、あと姜維OKなんだから諸葛格とか(めっちゃ性格悪いインテリで)wquetalさんの書き込み、まったく同感です。すばらしいですね。周瑜はあの段階で、益州攻略が可能なタイミングが今しかないこと、そしてそれが可能なのは自分しかいないと解っていたから、多少無理があっても実行に移そうとしたんでしょうね。孫権は周瑜に匹敵する胆力、才略、気宇の大きさを継いでいるのは陸遜だと評しましたが、陸遜が兵権を継いだころには、益州攻略などできる状況に無いわけで、もし陸遜がもっと早くその頭角を現していたら状況は変わっていたかも?と妄想しちゃいますw周瑜があくまで孫呉の力(+馬超?)によって曹操に対抗する計画だったのに対し、魯粛はあくまで曹操以外の連合で曹操に対抗しようとしてたのかもしれません。魯粛の力でももしかしたら益州攻略は可能かもしれませんが、成功したにしても時間と兵力の消耗はかなりのものになるでしょう。その間に曹操が力を回復してしまったら、まったく意味がありません。だったら既存の勢力による連合で、これ以上曹操の勢力を広げないようにするほうが合理的ですもんね。荊州は劉備が長く住んでいたので、民もなついてるからそこを統治させる。劉璋とは同じ劉氏だし劉備を利用していればよしみを結びやすいですから。魯粛はそんな考えだったのかも?ま、私の妄想ですけどねw 返信する >ソンゴスキー様 (つゆだく) 2009-10-22 09:37:16 いやぁ、お酒を飲みながら三国志話、いいですね~!(間違っても蜀派のファンとは飲めませんけど…笑。なんででしょう。魏派とは楽しく話せる気がします。狭い私)こうしていろんな方の魯粛語りを読んでいますと、魯粛の行動というのが物凄い謎だということがうかがえますね。(笑)周瑜の方針を、明確かつ断固としている、とするなら、魯粛の戦略はすごく分かりにくい(私には)というか、フレキシブル、って感じなんでしょうか・・・。(ほんとに判らん。)実際にどういうつもりだったのか、なんてのは結局誰にもわからないわけですけどそこを色々と想像できるところが魯粛の面白いところなんでしょう・・・ね?(笑) 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
どこからそんなに発想が出てくるんでしょうか?(笑)
私の魯粛のイメージは演義しかないので、とっても新鮮です!
いや、もう魯粛これでいいですよ。(笑)
演義はキリのいいところで、現在一旦お休み中なのです…周瑜さまが身罷った後ももちろんですが、終盤に入るとまた読み進まないんですよねー
そろそろ関羽が陸遜と呂蒙にハメられるところなんですが、直前で別の本に浮気しております。
でも、つゆだくさんの記事を読んだ後で演義を再開したら、キャラのイメージが違って見えるかもしれないです(笑)。
つゆだく様の魯粛は耽美系なのですね(*^▽^*)
無双は演義ベースなので、豪放な魯粛は難しいかもですね(汗
後、問題は実際に軍を動かした形跡が関羽との荊州領有を巡っての一度くらいしかないため、ゲームのストーリーにし辛そうです(でも小喬とかがおkなら大丈夫かな?)
正史魯粛の常識外れの豪胆さはすごいですね。周瑜との米蔵の件含め、散財話とか主君・孫権を脅したり、漢は滅ぶから後に帝位に就けとか。
何より、権の意向も仰がず、劉の降伏で突如、放浪の身になった劉備に「呉は同盟を望んでいる」と嘘をつき、単独で結んだこと。曹操への対応という国の一大事をを独断で決めちゃいました。Σ(゜Д゜)
赤壁決戦を権に決意させたのは、周瑜の弁のためですが、土台を作ったのは紛れもなくこの人ですね。
間違いなく三國志きっての才人の一人であり、狂人です(笑
周瑜死後はまた、長く語っちゃいそうなので略(;´Д`)
周瑜は、演義でも優秀な司令官として描写されていますが(それを負かす諸葛亮を引き立てるためですが)、魯粛はホントにお人よしなだけで、最も正史と演義のギャップがある人物かもしれません。
絵は、袁術から離反し、孫策の下へ正に駆け付けようとする周瑜が魯粛を訪れたシーン。周瑜にとっては策の覇業のために人材を求め、魯粛はどの勢力に仕えるかの思案を重ねていた時分。二人の軍略は劉備を巡ってズレることになりますが、この時、共に若い二人はどんな未来を描いていたのでしょうか?想像するとわくわくします。
魯粛は・・・正史を知る前は、どういう人、という認識も持ってなかったです(ひどい)
ただの脇役・・・とか、その程度にしか(周瑜の家来?とか思ってたかも・・・)
正史の魯粛を知って以来、ワタシの脳内魯粛はこんな感じです (それもどうかと。笑)
無双ですし・・・笛や扇でさえ武器になるんだから
(けん玉とか…三味線?とかも。笑)
魯粛が薔薇を武器にしたっていいじゃないかと(よくないか)
今後の演義読み・・・、ゼヒ魯粛をこの顔で想像していただきたいです(と無茶振りをするつゆだく。笑)
耽美系・・・(笑)無双シリーズの孫呉軍団はもう、この路線しかないんじゃないでしょうか。
正史魯粛の、豪放…というか、太い…というか・・・ぶっちゃけ図々しい()部分を、こういう感じでイメージしてますね、ワタシ(笑)
そういえば確かに、演義の周瑜はまだ一応「できる指揮官」でしたね。それに比べたら魯粛の扱いこそ極悪非道なのかも・・・
>権の意向も仰がず・・・
そう!そうなんですよね!あんなことしていいんですか?!(笑)
なんでも好きなようにしていい、って予め言われてきたんでしょうか…
それとも、劉(の兵力)を孫呉に引き込む(ぼったくる?笑)ということの中にはすでに「劉備軍も含める」という条項が入っていたんでしょうか?
それなら「あーあ、じゃせめて劉備軍だけでも持って帰るか」ってとこで、それだと、トップの意向も確認せず、ってほど大変なことでもないのかな・・・
もし・・・いきあたりばったり、行き掛けの駄賃的に劉備一行に声をかけて、とかだったら・・・
ホントに怖いヤツですよね?(笑)
帰ってきて「劉備と同盟することにしましたから」って聴いた孫権が
「ぇぇぇー・・・・おれ…聴いてないんだけど・・・」となってたりして(笑)そりゃ張昭だってむかつきますよねぇ
・・・でもそっちの方が面白いなぁ
>2人の軍略は劉備を巡ってズレることになりますが・・・
これは…どうなんでしょうね。周瑜は劉備を警戒していましたしね…。
「あれは煮ても焼いても喰えない毒持ちの魚、さっさと始末した方がいい。飼おうなんてもってのほか」という周瑜の評価(?)は
間違ってなかったわけですよね。
でも魯粛はその意見には同意せず、劉備を利用する線で行ったわけで・・・孫権も魯粛寄りだし・・・
周瑜、心配だったでしょうね・・・・(あ、また周瑜至上主義が。笑)
私としては、二人の意見が食い違っていった、というより、魯粛のは「次善の策」として進行させていた、と思いたいです・・・。
周瑜なら蜀侵攻は成功させられると思うが、一応保険として?みたいな。
「子敬、お前、信用してないわけ?」
「まさか!保険ですよ、保険。」
「・・・私的にはいたく気に食わないんだが?」
「気にしない気にしない。あなたが成功したらそん時に殺せばいいんです」
「・・・(鬼・・・)」
とかそんな話だったらいいなぁ…って。
妄想はともかく。
結局のところ魯粛は劉備のヤバさを甘く見た、ってことなんでしょうか????利用するつもりが思った以上にとんでもない男だった、みたいな…。
でも、「してやられた」とはいうけど、
魯粛が死んでなかったら
わかんないですよね。
関羽にもガツンとくらわして(笑)、劉備と諸葛亮に引き下がらせたり・・・。
劉備に蜀を領有させはしたけど、当初の予定通り、
曹魏との喧嘩は劉備に任せて
その間に地道に国力をあげて、いいタイミングで手のひらを返す・・・・(うーん実に孫呉っぽい!笑)
そういう予定だったんですよね?
あーあ・・・魯粛が死ななかったらなぁ・・・
あ・・・ホントだ。長くなってしまいましたネ… コメ欄なのに
江夏の宿敵・黄祖を周瑜が208年にやっと滅ぼせたことや、周瑜が後に荊州水軍7万と分析・彼が曹操迎撃に与えられた軍が三万ということから、少なくとも荊州の国力は揚州と拮抗していたのでしょう。
孫権、魯粛の当初の認識としては
「劉表から代が変わったのに乗じて、宿敵の荊州と融和し、その大きな国力を背景に曹操への盾になってもらおう」というものだったのだと思います。
ところが、粛が荊州に向かう間に、劉はあっさり曹操に降伏、劉備は敗走。(しかも益州の劉璋は親曹操の意思を示す始末で四面楚歌)。
劉備との同盟はこの時点で、単なる盾ではなく、曹操に帰順するか否かを示す国の存亡問題になったはずです。その決断を一人でなしちゃったんですから(´Д`。)
魯粛が帰ってきたとき、孫権や後の降伏論者は
「兵力と領土に期待したはずなのにおまけ(劉備)だけ連れてきて、直接曹操と敵対する羽目になっちまった(゜д゜)ポカーン」って感じになったのではないでしょうか(笑
もっとも、軍務に疎い魯粛の行動は国の方針を決めるには不十分で、そこから歴戦の将軍・周瑜が論理的に権・降伏論者を説き伏せる流れに移るわけですが。
●>二人の軍略
周瑜は征蜀の達成は己の将才を欠いて達成できないと考え、後継者として異見の魯粛を推薦しました。それに応え、魯粛は己の軍略を信じ、周瑜が矢傷を受けてまで手に入れた南郡(江陵)をあっさり劉備に貸与します。
個人的には、二人がお互いに譲れない天下の描き方を持ち、なおかつそれを互いに認め合っていた証左では?と推測してしまいます(*´▽`)
●>してやられた
魯粛の軍略は長期的な指針。長江流域の安全を保ち、隙あらば領土得て孫権を帝位に導くこと。魯粛は自分には周瑜のような軍才がないことを冷徹に分析していたのだと思います。彼の力は外交。荊州民と孫家との関係は長年、頗る悪かったため江陵は維持できないと踏んで、『敢えて』劉備に貸しを作ったのでしょう。そのおかげで関羽に強く迫ることが可能になり、多少の小競り合いはあったものの正当に長沙・桂陽を得ることができました(江陵・襄陽で劉・曹を対峙させたまま)。「してやられた」とも言えないかもしれません。惜しむらくはつゆだく様の言うとおり、やはり寿命ですかね。
●周瑜ブログなので
周瑜の天下二分の計は短期的な指針。
①赤壁の被害か内部事情か、対外的軍事活動に出ない曹操
②曹操との緊張を孕んだ馬超
③荊州南部を抑え、まだ力を蓄え始めたばかりの劉備
④外部に張魯・内部に不穏を抱える劉璋
そういった一時的な状況が続くうちに電撃的に行軍、策を全て成功させようというものです。極めて厳しい状況ですが(ある意味で呉が天下を狙うには最後の機会か?)、瑜は怜悧な現実主義者なので、勝算はあると信じていたのでしょう。それにしても、否が応にも自分の命一代で天下に臨みたいという峻烈な思いが滲み出ています。音楽や風情に優れた周瑜らしく、シビアの中にも詩的情熱や切なさが漂っていますね。つゆだく様なら、きっとそこに亡き孫策への思いを感じ取るのではないでしょうか?
その理路整然さ、感動します!!どうしてそんなに上手にまとめられるんでしょうか(笑)
前に、言われてましたが・・・quetalさんの孫家評こそ聞きたいですよ!!ワタシ!!
もう、いつも勉強させていただき・・・ありがとうございます
>否が応にも自分の命一代で天下に臨みたいという・・・
鋭いです。完全に読まれてます、ワタシ(笑)quetalさんは私の萌えツボをよくご存じで・・・
周瑜のそういうところに堪らないロマンを感じるんですよね・・・。
ホントは、周瑜さまそんなに慌てないでって言いたいです。
この機を逃したら、という現実はわかりますが・・・、自分の命の期限が近い事を自覚していたんでしょうか・・・。
生きているうちに、夢に挑戦しておきたい、と思ったんでしょうか。
正直、女の考えとしては「とにかく休んで、病気を治してくれてたら」と思わずにはいられません。
生きててくれれば・・・どのようにでも対応出来たんじゃないのか?と。まあ、こういうこと考えても無駄なんですけど(笑)
それにそういう周瑜だからこそ、憧れずにはいられないのかもしれないし・・・。ああ、ジレンマ!!
・・・ホントに右脳の三国志ですね~、ワタシのは。
もう、左脳の三国志はお任せして、ワタシはそれにせっせと萌えさせていただくことにします(こら。笑)
quetalさんがくださったこの一文、わたくし「脳内周瑜ドラマオンエア(目はハート)」状態ですよもう・・・
当分の間この「一文」でご飯三杯はイケそうです(笑)
妥当な線では、演義で知名度の高い魯粛、あるいは程公なんですが、個人的希望では徐盛、潘璋とか、あと姜維OKなんだから諸葛格とか(めっちゃ性格悪いインテリで)w
quetalさんの書き込み、まったく同感です。すばらしいですね。
周瑜はあの段階で、益州攻略が可能なタイミングが今しかないこと、そしてそれが可能なのは自分しかいないと解っていたから、多少無理があっても実行に移そうとしたんでしょうね。
孫権は周瑜に匹敵する胆力、才略、気宇の大きさを継いでいるのは陸遜だと評しましたが、陸遜が兵権を継いだころには、益州攻略などできる状況に無いわけで、もし陸遜がもっと早くその頭角を現していたら状況は変わっていたかも?と妄想しちゃいますw
周瑜があくまで孫呉の力(+馬超?)によって曹操に対抗する計画だったのに対し、魯粛はあくまで曹操以外の連合で曹操に対抗しようとしてたのかもしれません。
魯粛の力でももしかしたら益州攻略は可能かもしれませんが、成功したにしても時間と兵力の消耗はかなりのものになるでしょう。
その間に曹操が力を回復してしまったら、まったく意味がありません。だったら既存の勢力による連合で、これ以上曹操の勢力を広げないようにするほうが合理的ですもんね。
荊州は劉備が長く住んでいたので、民もなついてるからそこを統治させる。劉璋とは同じ劉氏だし劉備を利用していればよしみを結びやすいですから。
魯粛はそんな考えだったのかも?
ま、私の妄想ですけどねw
(間違っても蜀派のファンとは飲めませんけど…笑。なんででしょう。魏派とは楽しく話せる気がします。狭い私)
こうしていろんな方の魯粛語りを読んでいますと、魯粛の行動というのが物凄い謎だということがうかがえますね。(笑)
周瑜の方針を、明確かつ断固としている、とするなら、魯粛の戦略はすごく分かりにくい(私には)というか、フレキシブル、って感じなんでしょうか・・・。(ほんとに判らん。)
実際にどういうつもりだったのか、なんてのは結局誰にもわからないわけですけど
そこを色々と想像できるところが魯粛の面白いところなんでしょう・・・ね?(笑)