あるマーケティングプロデューサー日記

ビジネスを通じて出会った人々、新しい世界、成功事例などを日々綴っていきたいと思います。

あるプロデューサーとの出会い2

2007-10-09 23:19:23 | 出会い
Tさんは、ハーバード大学とスタンフォード大学で1年ずつ遊学した後、日本に帰国し、友人のつてで代々木のアメリカンハイツに出入りするようになります。本場アメリカで学んだ英語力が買われての採用でした。

当時、敗戦後の駐留米軍将校の居住地だったアメリカンハイツはアメリカそのものでした。

それだけに出入りする日本人への身元調査も相当厳しく、Tさんはこんなエピソードを語ってくれました。

「倉敷の実家に、興信所みたいな人が訪ねて来て根堀り葉堀り聞くんだよ。だから、友達が心配して“お前、東京で何か悪いことしたのか?”って。でも、こっちは何の覚えもない。後から考えると、アメリカンハイツに出入りする日本人を徹底的に身元調査していたんだね。当時の米軍は強大な権力を持っていたから、日本の警察を動かすことはわけなかったよ」

Tさんのアメリカンハイツでの生活は快適そのものだったそうで、ある意味特権階級でした。

「軍人といっても将校クラスだから、マナーもしっかりしている。僕の仕事は物資の配達なんだけど、彼らは気前よくチップもくれた。あの中の生活は、まるで別世界だった。当時僕はアメリカ軍のワッペンのついた軍用ジャンバーにジーンズ姿で早稲田に通っていたから、かなり風変りな学生だった。まわりの奴には、相当怪しいと思われてたね(笑)。今でも忘れられないのは、渋谷の駅前のロータリー前に米軍将校に高級車で送ってもらった時。まわりの人は、こいつ何者なんだ?って目で見ていたよ」

物資の配達係だったTさんは、当然役得にも預かります。当時人気があったのは、流通ルートに乗っていないお酒でした。

「ジョニ黒なんかを手にしてバーにいくと、ママなんかはビックリするわけ。だって当時手に入らない高級ウィスキーを若造が持っているわけだから、“アナタ、そのお酒どうやって手に入れたの!”って感じだよね。もうどんなコでも、ご自由に状態(笑)。当時駆け出しの女優やモデルと、朝までボーリングしたこともあったよ」

自由奔放な学生時代を送ったTさんは、当時かなり羽振りが良かっただけに普通の就職で満足できるはずもなく、大学卒業後マーケティングプロデューサーとしての道を歩み始めます。

つづく

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