尾崎コメント
なぜ水俣病裁判事例から学ぼうとしないのか?
マスコミは真実の報道という役割放棄をしているのではないか?
福島の真の復興を真面目に考える方々にはぜひ, 津田敏秀教授(岡山大学大学院環境生命科学研究科)の以下のご意見を読んでいただきたいです。
意見趣旨
水俣病裁判でも、ようやく疫学研究への理解が進む感がありますが、福島第一原発事故を巡る福島県の県民健康調査、福島県立医大による論文発表などを見ると、疫学的方法論に対する無理解は増幅すらしているように見えます。
福島原発事故では放射性ヨウ素が放出されたことは明らかで、甲状腺がんの多発との疫学的因果関係は疑わざるを得ません。しかし、県民健康調査の検討委員会は調査で明らかにもかかわらず、放射線被ばくとの関連は「認められない」と矛盾したことを言っているのです。
また、先月には福島県立医大の主任教授が、甲状腺がん患者の生体試料を用いた自らのヒトゲノム研究において、「原発事故による被ばくの健康影響は考えられないと言える」(福島民報)といった研究結果を記者発表していました。
これも臨床研究からの根拠の検証を重要視するEBM(科学的根拠に基づいた医学)に全く反するもので認められません。
--------以下本文-----聖教新聞 2023年11月7日-------------------
〈社会・文化〉 疫学研究から考える公害被害 津田敏秀
1-決定論では判断できない因果関係
2-EBM(科学的根拠に基づいた医学)は人のデータを重要視
3-“個の判断には限界”は誤り
公害問題の原点とされる水俣病。
今年9月には、水俣病被害者救済法(特措法)の対象から漏れた近畿在住の元熊本県民らを原告とする訴訟の判決が大阪地裁であった。
原告全てを水俣病患者と認めた判決では、疫学的因果関係が法的因果関係を判断する基礎資料になった。疫学研究が公害被害の解明に果たす役割について、岡山大学大学院環境生命科学研究科の津田敏秀教授に聞いた。
水俣病裁判の特異性
高度経済成長期に日本で発生した公害病の中で、現在も集団訴訟が続く水俣病の裁判には他の公害裁判と異なる点がいくつか挙げられます。
その一つに、水俣病では医学的根拠について19世紀の医学がいまだ踏襲されていることがあります。
日本は近代医学をドイツから学びましたが、当時ドイツの医学研究は実験医学が中心で、その特徴は病気が特定の原因から発生し、決まった条件に従って進行するという決定論です。
しかし、公害病では、病因物質への曝露状況や症状の現れ方は個々に異なります。従って、0%か100%で判断する決定論的医学では、公害病の診断に必要な因果関係の定量的な判断はできません。
一方、他の公害病では、患者を集団として扱い、事例を数量化し統計学を用いて被害を認定することで、患者の救済につなげています。その元になったのは、後述する20世紀の医学、科学的根拠に基づいた医学(EBM)です。
19世紀の医学のままに病因物質の特定や認定基準に固執するなどし、患者の救済を先送りしてきたところに水俣病裁判の特異性があると私は考えています。
また、水俣病は食中毒事件であるにもかかわらず、食品衛生法が適用されず被害が拡大したことも解決を遅らせた理由の一つです。
厚生省の全国食中毒事件録(1956年)には「水俣湾内産魚介類」を原因食品とする食中毒事件が発生していると記されています。
食中毒事件であれば、その時点で食品衛生法に義務付けられた調査が行われ、漁獲禁止や販売禁止等の対策が実行されますが、水俣病は1960年代後半には公害病とされ、調査も行われず、不毛な病像論に終始していったのです。
臨床研究から根拠を検証
水俣病裁判では、原告が水俣病の範囲に入るのかどうかという「診断」の議論ばかりされて、原因食品の曝露と症状との因果関係は議論されませんでした。
一方、曝露の有無や患者数の系統的調査から、医学的根拠を導くのが疫学的方法論です。
病因物質は直接的原因ではなく、人のデータを基にした指標(原因確率等)を直接的証拠として因果関係の定量的な判断を行うのが疫学的方法論なのです。
1992年、アメリカ医師会が発表した「EBM宣言」とされる文書には「根拠に基づいた医学は、直感、系統的でない臨床経験、病態生理学的合理づけを、臨床判断の十分な基本的根拠としては重要視しない」とあります。
「直感、系統的でない臨床経験」とは、昭和52年判断条件に象徴される認定基準であり、「病態生理学的合理づけ」とはメチル水銀が原因の神経障害というメカニズム。
しかし、それらは「臨床判断の十分な基本的根拠としては重要視しない」と言っています。
続いて、文書は「臨床研究からの根拠の検証を重要視する」と述べています。
臨床研究とは「人を対象とする」もので、重要視するのはそこから得られる「根拠の検証」、臨床研究で集められたデータを基に分析された結果です。
まさに疫学的方法論から導かれる結果が医学的根拠であることを示しているのです。
これが20世紀の医学の常識です。
私は水俣病の全文献に当たり、四肢末端に感覚障害を有する患者が原因食品の曝露に関して極めて高い原因確率があることを明らかにし、これまでの判断条件が医学的に誤っていると、医学的根拠を添えて水俣病裁判の意見書として提出しました。
今回の判決でも同内容の意見書が基礎資料の一つになっています。
疫学は集団の統計的特徴に基づくもので、個々の健康障害の判断には限界があるとの批判がありますが、これも誤りです。アメリカ疫学雑誌のコメンタリー(評論)には、個人の健康状態を理解するために疫学を利用することが勧められています。
無理解、矛盾した発言は今も
水俣病裁判でも、ようやく疫学研究への理解が進む感がありますが、福島第一原発事故を巡る福島県の県民健康調査、福島県立医大による論文発表などを見ると、疫学的方法論に対する無理解は増幅すらしているように見えます。
事故後、始められた福島県の甲状腺検査では、甲状腺がんが事故前に比べ数十倍のオーダーで子どもたちに多発していることが分かりました。
小児期の被ばくについて、国際がん研究機関は「原子炉事故や核兵器の爆発によるヨウ素131などの短寿命放射性ヨウ素」を発がん性ありとするグループに分類しています。
これは疫学研究で十分な根拠に基づいた分類です。
福島原発事故では放射性ヨウ素が放出されたことは明らかで、甲状腺がんの多発との疫学的因果関係は疑わざるを得ません。
しかし、県民健康調査の検討委員会は調査で明らかにもかかわらず、放射線被ばくとの関連は「認められない」と矛盾したことを言っているのです。
また、先月には福島県立医大の主任教授が、甲状腺がん患者の生体試料を用いた自らのヒトゲノム研究において、「原発事故による被ばくの健康影響は考えられないと言える」(福島民報)といった研究結果を記者発表していました。
これも臨床研究からの根拠の検証を重要視するEBMに全く反するもので認められません。
つだ・としひで 1958年生まれ。岡山大学助手などを経て現職。医師・医学博士。疫学、環境医学、因果推論など専攻。著書に『医学者は公害事件で何をしてきたのか』『医学と仮説 原因と結果の科学を考える』『医学的根拠とは何か』などがある。