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★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

田舎町とビートルズ

2025年07月20日 12時47分17秒 | ビートルズ
 私の故郷は、九州の田舎の漁村で炭鉱町だ。

 家から歩いて3分の海岸、その横には炭鉱の石炭を積み出す小さな港があった。 
 小学生の頃の夏休みには、家から海パン一丁で海まで泳ぎに行ったものだ。

 折しも、照りつける夏の日射しのような高度経済成長のもと、田舎の時間はゆっくりと流れていた。
 
 中学生になってからは泳ぎにも飽きて、インドア派になった。
 1968年、中学2年でビートルズに出会った。
 
 当時流行りの、歌謡史の徒花グループ・サウンズ(GS)とは、ひと味もふた味も違う本格的な楽曲。 
 GSの話題で盛り上がる同級生たちの横で、ビートルズ・ナンバーを鼻歌で歌い、奇異の目で見られたものだ。

 田舎では、迫り来る廃業や閉山の噂もものかは、漁村や炭鉱は最後の光を放っていた。

 そんな辺境の田舎町で、その対極ともいうべき、初期のビートルズ・ナンバーを聴きまくっていた。
 私にとって、アメリカの象徴がコカ・コーラで、イギリスの象徴がビートルズだった。

 1969年1月には寒風の中、洋楽マニアの高校1年の先輩が予約していた『ホワイトアルバム』を、隣町のレコード店で受け取るのについて行った。
 先輩の家でコタツに入って、その『ホワイトアルバム』を何度も聴いた。

 ずっとシングル盤しか買えなかった私は、中学3年で初めて、英国盤『アビイ・ロード』を通販で購入した。
 これから先もっと活躍すると思っていたビートルズは、その数ヵ月後、私の高校入学の直前に解散した。

 それまでリアルタイムだったビートルズが過去のものになってしまった。
 それとシンクロするように、田舎町の漁村は寂れ、炭鉱は閉山した。
 
『アビイ・ロード』を聴くたびに、遠く離れた大阪の地で、九州の田舎町の、今はなき漁村や炭鉱の往時を思い出す。
 
 
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