羽根田治
『ドキュメント生還-山岳遭難からの救出』★★★
もはや何作目なのか分からず・・
ハマりにハマってしまったドキュメントシリーズ
今回「生還」にスポットをあてているから「遺体となって発見」がないから救いがある。
でも遭難は遭難
死と隣り合わせの極限状態を体験した人達
しかし大山での遭難!?その現場を歩いているからドキッとした。
さすがにそれはないと思っていたから冷や汗モノ。。
『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』
お次はこれかしら
---
*北アルプス 南岳
「このときは最初からちょっとおかしかったんですよ」
「春山と秋山は油断ならない」という認識があった。
それでも事故は起こるのである。
「たら」「れば」が通用しないのは、なにも勝負事の世界だけではない。
山では人一倍慎重だったはずの男が陥った、エアポケットのような落とし穴。おそらくは無意識的な行動だったのだろう、としか言いようがない。とにかく、ボタンは最初からかけ違えられていたのである。
「おかしい、やっぱり変だ」「でももうちょっと下ってみよう」――その際限ない繰り返し。山で道に迷う典型的なパターンである。
ビバーク中いちばん困ったのはトイレの問題だった。
「そんな冷たい世界に閉じこめられてしまっていたらどうしよう」
考えはどうしても悪いほうへいってしまう。
昨日のヘリはかなり遠くのほうを飛んでいたが、この日のヘリは自分のほうにまっすぐ向かってぐんぐん近づいてきた。
間違いなく気づいてくれたようだった。「助かった」という思いが、初めて沸き上がってきた。
*福島 飯森山
「うつくしま百名山」
登山口には登山者カードがあり、これに住所、氏名、年齢、電話番号、行程、それに「五時下山予定」と書き込んでポストに入れた。
「そのときはたまたま書いたんだよね。入れるときと入れないときがあるんです。なんとなく、気分ていえば気分だね、カード入れるのは」
“たまたま”という不思議
ヤブ蚊、光る虫、雨、雷、そしてクマの恐怖に悩まされながら過ごす夜は、ひどく長く感じられた。時計を見るたびに、「なんだ、まだこれしか時間が経っていないのか」と、重くため息が口をついて出た。結局、その夜は一睡もできなかった。
「これは幻覚だ」
「地図も持たず、下調べもせず、沢というより厳しい谷川を強引に下ったことは無謀、いや自殺行為にも等しいものであり、自己過信であったと反省の気持ち、途中からででももどる勇気があったならと後悔の念でいっぱいになりました。そして、どんな山でも気象の変化など自然界は厳しく、侮ってはいけないと、改めて今後の教訓にしなくてはとも思いました」
たしかに山の遭難事故のなかでも、「道を間違えて沢に迷い込み、その沢を下 ろ うとして滝や崖から落ちて死傷する」というケースは非常に多い。
引き金となったのは、やはり“酒”ではないだろうか。
「山ではよく、励ますつもりで『もうすぐですよ』とか言ったりするけど、実際にはけっこう時間がかかったりするでしょ。だからあんまり安直なアドバイスはしないで、『ちょっと大変だよ』ぐらいに言ったほうがいいかもしれないね。」
「犯罪者は現場に立ちもどるって言いますけど、やっぱり行ってみたいんです」
*北アルプス 西穂高岳
フラッシュが救った命
「待て、落ち着け、もっとよく状況を把握しろ」
「自分にしてみれば『まさかこんな場所で』っていうのがあったし、やっぱり遭難ていうのは考えたくなかったんでしょうね」
『あっ、落ちた』と。
落ちながら、『これはもうダメだな。あとは運にまかせるしかないな』
落ちていくときには声も出なかった。岩にぶつかりながら回転しているのがわかったが、自分ではどうすることもできなかった。
落下して数秒後に、軽いショックを受けて体が雪の斜面に投げ出されたのがわかった。一瞬、「ああ、助かった」と思ったが、今度は体が雪の斜面の上を滑り始めていた。今、滑り落ちていっている斜面の下はどうなっているのかわからない。もし滝か絶壁でも現われて、そこから投げ出されたら、もう助からない。それを思ったときに、初めて恐怖が全身を貫いた。
つけっぱなしにしていたラジオからは、自分に関する遭難のニュースは一度も流れなかった。それがいっそう不安を募らせた。
ヘリの音が聞こえたのは、昼も過ぎたころだっただろうか。ガスで機体は見えなかったが、ヘリは上空を旋回しているようだった。
「来たっ」と心のなかで叫んだ山本は、音のするほうへ向かって夢中でカメラのフラッシュを焚いた。
フラッシュを焚いて合図を送るというのは、その場で思いついたことだった。
「ほんと、あれは奇跡としか言いようがない。ふつう、あそこから落ちたら間違いなく死んでいるはずなんだから。でも、足の骨を折りながら安全な場所まで移動して三日間持ちこたえた精神力、とっさにカメラのフラッシュを焚いて自分のいる場所を知らせた機転はすごい。あれがなかったら、まず発見できなかっただろうな。絶対生きて帰るんだという執念だね」
その年末年始は、山での遭い難事故が続発していた。そのひとつひとつが、山本にとってとても人ごととは思えなかった。事故を伝えるニュースを病室のテレビで見ながら考えたのは、「今、この瞬間にも俺と同じ思いをしている人がいるのかなあ」ということだった。
「危ないところに魅力があるというのはたしかだと思います。だから僕が感じるのは、山のリスクを超えていくおもしろさといったところですかね」
「相手任せの山登りはしない」
*滋賀 岩菅山
十七日間の彷徨
「おい、あれは人間じゃないか」
「ええ、たしかに人ですよ」
オロク(死人)
「時間がかかるなあ」とは感じたが、まだ「おかしいな」とは思わなかった。
「自分ではコースどおりに歩いていたつもりだったんですけど、どこかで外れてしまったんでしょうね。それでもおかしいなとは思わなかったんですよ。登山道を外したと思っていたら、どこかの時点でもどろうとしていたでしょうからね」
とにかく、すべては時間的な余裕のなさから生じたことなのである。
翌日には下山できるものと思っていた。よもや十七日間も山のなかを彷徨うことになろうとは想像もしていなかった。
いったい自分が今どこにいるのか、まったく見当もつかなかった。
マスコミが報道したように、たまたまマヨネーズという高カロリー食品を持っていたから生き延びることができたというのは事実であろう。
沢のほとりにたたずんでいると、せせらぎの音が人の声や音楽が聞こえたりすることがあった。夫婦の登山者が山道を歩いてきたと喜んだら、それは錯覚であった。
山好きの父親に「山で食べられるうちは絶対に平気なんだ。ほんとうにダメになったときは食べ物がのどを通らなくなる」
指摘すべき問題点は装備についてである。いくら日帰り登山とはいえ、コンパス、ストーブ、ライターあるいはマッチ、ヘッドランプを持っていなかったのはお粗末と言われても仕方あるまい。まして雪のある時期のこと、万一のことを考えてツエルトや着替え一式ぐらいは持って当然である。
*南アルプス 仁田沢
カメラのシャッターが下りたままになったかのように、突如、すべては闇に包まれた。とにかく覚えているのはそこまでだ。
それはぐっすり眠ったあとの目覚めのようだった。
ガタガタと震えながら木の枝の間から空を見上げれば、一面に星が広がっていた。
「今日はダメだったけど、明日こそは見つけてもらわなければ」
「あれ、あんなところで釣りをしている人がいる」と思って大声で「助けてくれ」と叫ぶのだが、もちろん枯れ木がそれに応えるはずはない。しばらくして「ああ、枯れ木だったんだ」と気づいた。
「早く助けられたい」と願う気持ちが、幻覚を生んだのである。
<置かれた状況のもとで死を直感し、昨日、今日のうちにあきらめがしぜんに生まれたのか、あるいは、自分で気づいていない体力がまだ充分あって、絶体絶命の状態でないことは体はわかっているのか、悲しみや恐怖のようなものがわいてこない。泣き、もがき、叫ぶこともない。なにかを恨むこともない。ただ家族に対し、ひと言でいいから書いておきたいと思ったが、書くためにものもなにもない。このことだけは残念に思った。眠くなると、手についた雨水を目の周りに塗ってがまんした>
「ひと言書き残したとすれば、『すまなかった』という言葉でしょう」
動いていると、折れた骨が擦れてクキッ、クキッと音を立てた。それでも痛みはない。脳内に痛みを麻痺させる物質が出ているのだろう。移動しながら、ぼんやり思った。神様というのはうまく人間の体をつくったものだなあと。
「なにを考えても途中で終わっちゃうっていうか、深く考えられないんですね。こういう状態でだんだん衰弱していくんだろうなと思いました。救助が来ると信じていたんだけど、もし来なかったら、たぶんこのまま逝っちゃうかもしれないな、と」
いずれにしても、七日間の極限状を耐えさせたのは「必ず助けに来てくれる」という確信であり、それは事前に詳しい行動計画を家族らに知らせておいたとから生じている。そういう意味では、第三者への行動計画の提出がいかに重要かを再認識させられる一件であったといえよう。
「杖を持って歩くべきです、中高年登山者は。下るときに杖を使うことによって、筋肉の疲労度が違いますし、バランス保持も違ってきます」
加えて「道に迷ったら絶対谷を降りるな」「遭難したら動くな」
*大峰 釈迦ヶ岳
結局、登ったり下りたりを三時間ほども繰り返すうちに、どこにいるのかまったくわからなくなってしまった。時刻は午後三時。時間的にまだ早かったが、あまり動き回って体力を消耗するのはまずいと思い、樹林の斜面に平らになった場所を見つけてビバークの準備に入った。
不安な気持ちがなかったわけではない。が、それほど深刻なものではなかった。明日になればなんとかなるだろう、そう思いながら眠りについた。
沢にはたくさんのオタマジャクシがいた。食べられそうなものは、ほかに見当たらなかった。飢えをしのぐために、その網でオタマジャクシをすくって食べた。
「さすがに噛み切る勇気はありませんから、飲み込んでました。踊り食いですよ。その沢にはサンショウウオもいたのでトライしてみましたが、ダメでしたね。口に入れてすぐ、もどしてしまいました」
それからというもの、この網でオタマジャクシをすくうのが毎日の日課となった。
「人間、日ごろなんの気なしに暮らしているんですけど、国だとか地方自治体だとか、会社だとか家庭だとかに守られているんですよね。意識していないところで。そういった何重ものバリアで守られているということを、つくづく感じました。ところが、ああいう状況になると、まったく違う世界に放り出されたという感じがするんです。個人は無力だなあって思いましたね。だから早く人間の世界にもどりたいなあって」
死ぬか生き延びるかの確立は半々。
しかし不思議なもので、偶然というのは重なるときには重なるものである。
「同じ日に同じコースを歩いているほかの三人の方は迷わずに通過しているのに、私だけが迷ってしまったんですから、やはり注意力が足りなかったのだと思います。その伏線に、最終バスに間に合わせなければという気持ちがあったことは確かでしょう」
もうひとつの反省点は、道を間違えたあとのリカバリーのまずさだ。迷ったことに気づいて引き返そうとしたときに、下ってきた方向がわからなくなっていたのだから、漫然と行動していたと思われても仕方あるまい。
*北アルプス 槍ヶ岳
みぞれはいつしか雨に変わっていた。気温はかなり高いようだった。しとしとと降る、嫌な感じの雨だった。
真冬の2000メートル地点で雨に降られるというのは、そうそうあることではない。
「冬山は行き慣れたところ以外へは行かないという、自分なりの信念があったんです。単独行ですから、万一遭難したときを考えるとね。慣れたところであれば、どこに逃げ場があるとかわかりますから。」
事前の念入りな調査と万全の装備、そして無理のない計画。そこには遭難という危険因子が入り込む余地はないように思われる。だが、行動中にわずかな油断と判断ミスが生じた。そこからほころびは大きく広がっていくことになる。
「まさかそんな短時間の間に天気が激変するとは考えてもいませんでした」
雪に閉じこめられた暗闇のなか、朝を待ちながら思うのは、昨日のちょっとした油断のことばかりであった。
テントでは寒さが厳しかったので、この日は雪洞を掘ることにした。
とにかく救助を待つしかなく、持久戦に備えて雪洞内の居住性をよくするため、足を伸ばして横になれる程度にまで穴を広げた。
水分は雪を食べて補給したが最小限にとどめ、常に口の中がニチャニチャとする状態に保っていた。完全に渇きを癒すことよりも、雪を食べることによって体温が低下することを恐れたからだ。体温が下がっていくことを抑えられず死に至るという遭難のケースは、書物なので何度も目にしていた。だから絶対に体温を下げてはならない。始終それだけを心がけていた。
「たしかマタギの教えだと記憶しているんですが、本で読んで以来、ロウソクとマッチと新聞紙はどんな山行のときでも持っていくようにしていたんです。それが初めて役に立ちました。新聞紙は靴が濡れたときなどに水分を吸収させるために使うんです。そのときは使いませんでしたけど。ロウソクは灯にもなるし暖房の代わりにも使えるし。そのロウソクに火をつけるのも、マッチじゃないとダメなんです。ライターだと、気温が零度ぐらいになると火がつきませんから。マッチならどんなに気温が下がっても火がつきますからね。真っ暗闇な雪洞の中では、ほかの装備がいくらよくても、このロウソクとマッチがなければどうすることもできませんでした。だからロウソクとマッチを持っていたことが、私が生き残れた最大の要因だと思います」
だが、できるだけ節約しながら使っていても、ロウソクは日に日に短くなっていった。そしてもしロウソクが尽きてしまったら……。そのときは自分の命もなくなるときだろう と 思っていた。
両手の凍傷はかなりひどい状態になっていた。
松濤明『風雪のビバーク』
*丹沢 大山
「今から引き返したら、今日中に帰れないんじゃないか。だったらもうちょっとがんばって歩いて、下に下りたほうがいいだろう」
「このまま行っても大丈夫かなあ。もどったほうがいいんじゃないの」
夜の寒さは思いのほか厳しかった。焚き火を絶やさないように、女性三人が約二時間ごとに交代で火の番をした。くべる薪がなくなってきたら、ヘッドランプを点けて交代で拾いにいった。
「今からでも引き返していけば、大山の頂上まではもどれる。そうしたら確実に家に帰ることができるんだから」
疲労から幻覚を見るよう に なっていた。「あそこに人がいる」「あっちに道路がある」などと言っては、そちらのほうへ走っていってしまうのだ。
「そんなものはないから、お願いだから私たちといっしょに行動して」と泣いて説得した。このときがいちばん怖かったと、彼女は振り返る。
「私たち、どうなるんだろう」と言って泣いた。
誰かが不安に押しつぶされそうになったときには、ほかの者がそれを受け止めた。
優しく抱きしめながら、「大丈夫だから。絶対に帰ろうね」と励ました。
無情にもヘリは通りすぎていった。
「今まででいちばん近いところまで来たのに気付いてもらえず、すごくショックでした。遺書を書こうと思ったぐらい落ち込みました」
「これからはヘリをあてにせず、自分の力で下りよう」
場合によってはベテランゆえのプライドや面子が判断を間違った方向に導いてしまうことがある。「パーティのリーダーがベテランだから」と過信してすべてを任せきりにするのではなく、メンバーのひとりひとりがしっかり計画を把握し、もし山行中に「おかしい」と思ったことがあったら、それをはっきり指摘することだ。
---
写真は秋の大山
景色がちがって見える・・