江國香織
『左岸�』★★
どんより湿度100%な土曜の朝
恋愛初期って気分が高揚していてメールがくるだけでにっこり
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抱かれること、大切にされていると感じること。
特定の人とくり返しするセックスは安らかで甘美だ。
たいしたことじゃない。そばに自分以外の誰かがるだけで、そう思えることが不思議だった。
無口というのと、言う必要のあることを言わないのとは、全然別だ。
「因果はめぐる」
「夢はいつかかなう。待つ者には」
「あたしたち、いっぱい男泣かせてきたったいねえ」
と、言う。
「そうやねぇ」
泣かされもしたけど、ということは言わずにおいた。
一日の終わりに、一杯のお酒にできること――
8 再び、恋におちる
「連れだしてくれて、ありがとう」
人生もまた、ワインとおなじくらい驚きだと思う。
時間がたちすぎた、ということは、時間がすこしもたっていないということに、何てよく似ているんだろう。
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ユーミンの復讐に苦笑し、
サカナクションの夜の東側の歌詞に聴き入り、
あてどなくランダムに曲を聴いて静かに過ごす休日
江國香織
『左岸�』★★★
ハードカバーを新書で読んで、今回は文庫版で。
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結局のところ、ほんとうに必要なものなんてそんなにはないのだ。
「でもね、物事には準備する時間は与えられてないんだ」
さよなら、またね。
大切なのは、受け容れられ、望まれるということだった。家族とか、学校とか職場とか、そういう背景と一切関係ない場所で、自分が誰かに望まれるということ。心だろうと身体だろうと構わない。何をもったいぶる必要があるのだろう。
空気は全部つながっている、
好意に甘えることと利用することとはどう違うのだろう。
「あたしたち、利用しあってるんじゃない?」
「考えるより、まず、飛び込む。それが必要な場合もあるのよ」
誰一人、おなじ場所にとどまってはいられない。
「あのね、誰かが心の中で何を思っているか知りたいと思ったり、わかったと思ったりするのは想像力だわ。口にだされなかった言葉をくみとるために、必要なのはつねに想像力なのよ」
「シアワセだ」
知らなかったことを知ると、知る前よりすこし遠くに行かれる。
4 恋におちる
人の人生にはいろんなことが起こる。そして、それは外からは見えない。
幸福な驚きと幸福な安心、幸福な胸苦しさと、幸福な自信。
まるで二つの人生を持っているみたいだ。
知らなかったことがどんどん起こる。そして、誰一人ひとところにとどまっていられない。
こんなにしあわせで、どうしよう。足が竦んだ。そして考える。しあわせすぎると足が竦む。このごろいつもそうだ。
「家族は一緒に暮らすべきだよ」
人は、なんてあっけなく死んでしまうものだろう。
ほめ言葉は鵜呑にしてはいけない。
「わからないわ。どんな場所も、行ってみなくちゃ絶対にわからない」
――どんな職業でも、大切なのは実力と人格です。それがあれば、何も恐れることはない。
森山大道
『通過者の視線』★★★
「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」
過去が新しいという感覚は、カメラマンであれば当然の認識であろうし、未来が懐かしいという思いも、外界を撮りつづけていれば知覚されることである。つまり、去りし時代の記憶も、来るべき未知の時間や風景も、日常カメラと共に街路を体感する視界のそこここに、実感と予感を孕みつつ、びっしりと浮遊している。
未来はとめどなく現在に流れてきて、現在は瞬時にして過去へと流れ過ぎゆく。いまいう時間との交差なくして過去も未来もありえないし、逆に、過去と未来との照合なくしていまもありえない。過去とは、単に過ぎ去りし懐かしき日々ではないし、未来もまた、開かれた夢に領域ではない。
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写真は、多様な機能を受け持たされているが、つまるところ、人類のすべての記憶に関する資料ではないか。カメラは、網の目を縫う細胞のように、自然と人間と時間とがクロスする現場へと分け入ってゆき、無数の記憶を収集し次なる時間へと申し送るのだ。その過程で、写真はときに美しく、ときに哀しい。
写真とは想い出である
森山 ぼくは自己以外のものに結局興味がないのではないかという、短絡して言えばね。
光には影が、表には裏が、実には嘘がつきまにもどんなとうごとく、またどんな人間の内奥にも心の場末があるように、街には悪所が必要なのだ。
うすら明るく白っぽい部屋で、チラクラ瞬く冷たいモニターを眺めつつ、しっぽの長い鼠をちょこまか動かして、ペロペロとイメージを吐き出す光景など、やはり僕には考えにくい。
未来はとめどなく現在に流れてきて、現在は瞬時にして過去へと流れ過ぎゆく。いまという時間との交差なくして過去も未来もありえないし、逆に、過去と未来との照合なくしていまもありえない。過去とは、単に過ぎ去りし懐かしき日々ではないし、未来もまた、開かれた夢の領域ではない。
不可能な夢をみろ
善徳女王 再びハマってきた。
J.D.サリンジャー
訳 村上春樹
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』★★★★
以前は野崎さん訳で何度か読んでいたけど、どこか違和感を感じていた。
例えば「アクリー坊や」そんな表現など。
正直名作と言われていることが理解出来ていなかった。
おもしろみも特に感じられず。
それが今読むとクスッと笑える箇所が何度もあり、
あ やっとおもしろみを理解できるようになったんだなぁって。
この歳にして?(笑)
春樹の訳だと違和感も特に感じずするすると読み進めてしまった。
集中しちゃって電車で下車するのを危うく忘れるところだった。
読ませる新訳
http://www.hakusuisha.co.jp/topics/rye1.php
現実逃避?で秩父小旅行☆
その温泉でもぱらっと読んだ。
自然消滅かと思いきやキターーー!
C・D・B・ブライアン
訳 村上春樹
『偉大なるデスリフ』★★★★
結構なが~くゆっくり読む2
春樹が好きなのが何とな~く分かるような気がする。
どうしてもギャツビーに重ねてしまう。
私はハワイの場面が好き。
とくにココ↓
「なあ、おい、お前が来てくれてすごく嬉しいよ」
「まったくの話、僕も嬉しいよ」と僕は言う。「この二年っていうのもずっと会いたかった」
「俺もさ、兄弟」
そして僕らはホノルルの話をする。南国の楽園という風に頭の中で想像していたものと、その街の第一印象との落差について。「どうしてお前、『まったくの話』って言いつづけてるんだよ?」と兄は言う。
「兄貴だって『なあ、おい』って言いつづけてるよ」と僕は言った。
「そうだな、まったくの話」
「本当だよ、なあ、おい」
こちら発行が古いからなのか(平成2年8月15日印刷、25日発行)
装丁画像がないのでリアル写メ☆
「人間ですから絶対はありえませんよ」
あぁ苦しい。。