君どう=君はどう生きるか
同タイトルの本は未読ですが
どうタイトルとほぼ無縁な宮崎アニメを見て
見た人たちが言っていた
「ジブリ全部盛り」って言葉に納得してたsachiakiです。
どのシーンを見ても、あ、これはラピュタだ
これはナウシカだ、これはもののけ姫だ、
ここはハウルかな?あ、ここは千ちひだな〜
って感じで、
宮崎駿が描くのが好きなんだろうシーンの総決算で
大変満足度が高いものではありましたが、
じゃあ作品としてどうだった?と言われれば
う〜ん、まぁ新作が出てくれたのは嬉しいかな
って感じくらいだったかな。
その前の『風立ちぬ』の方がまだ
「生きるとはどういうことか」ってのを感じたかも。
でもなんていうか、ネタバレにもなるんだけど、
いつ崩れてもおかしくない積み木を重ねるのって
まさに人生というか、
私たちは常に薄氷を踏むような道を歩んでいて
いつだって崩れ落ちてしまっておかしくないのだから
自分自身の手で世界を作っていく時に
それについて気負ったりしなくてもいいし、
いつかは崩れてしまうことを前提で
ギリギリまで崩れない道を探すのも良いんだろうって
そんなことを思ってしまいました。
美しい幻想を見て悦に入るより
汚く苦しい世界でも自分の足で立って歩くことの大事さとか
そういうのも感じたかな。
それは千と千尋でも思ったけれど。
魔女の宅急便で最後にジジの言葉がわからなくなるキキと
同様のことが、君はどう生きるかにも反映されていたのだと思う。
現実はつまらないと思うことばかりだけど、
その受け取り方だって自分次第だし。
そういえば今日Webラジオの収録中の雑談にて
幸せな人を見ていると辛くなるって話が出てきて
私にはそういう感覚ないな〜って話して
まさに受け取り方は人ぞれぞれだなって思っていたところです。
陽キャな人たちが楽しそうにしている空間に
関わるのは「怖い」と思っても、
それを「憎い」と思ったことはないって感じ。
リア充爆発しろって言葉では使っちゃうけれど、
実際は幸せそうな人を見るとホッコリするし、
いつまでもお幸せにって思う。
人の幸せについて足を引っ張ろうって人が少なくなれば
もっと世の中良くなるんじゃないかな〜って思うけれど
でもその幸せのために誰かが犠牲になっているなら
そこは救われなくっちゃねっとも思う。
というわけで、がっつりと自分の生き様をどうする?
ってことを考えてしまったので
久しぶりに『哲学大図鑑』を引っ張り出して
自分の生き方、生き様はどの哲学者に近いだろうかと
パラパラとページを繰りながら考えてしまいました。
エピクロス好きなんだよな〜。
「隠れて生きよ」は自分の思うところと近いし。
齢50までにちゃんと自分の道をもう一度見つけられるかしら。
もしくは高村光太郎よろしく
僕の後ろに道はできていくのだろうか。
歩んで行くのは薄氷の道。
何度も踏み外している自分としては
ズタズタな道のりをこれからも作っていくし
そこを歩いていかないといけんのやろな。
考えて立ち止まっている暇もないから
とにかく歩め。なんだけど。
さて、今日は打ち合わせに次ぐ打ち合わせで
この後もあるのでこの辺にて。
それではまた。モイモイ