constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

「新しい中世」(論)の現在

2005年06月14日 | knihovna
田中明彦『新しい「中世」――21世紀の世界システム』(日本経済新聞社, 1996年)

冷戦というひとつの秩序の終焉を受けて、さまざまな秩序構想が提起されてきたなかで、参照頻度の高さを誇るのが「新しい中世」というイメージである。とくに自由民主制度と市場化の達成を尺度に世界を3つの圏域に区分し、それぞれの圏域におけるルールズ・オブ・ゲームの差異を指摘した点で、単なる未来予想にとどまらない射程を持っている。

現代の世界システムが「新しい中世」と呼べる段階にあるのかという認識の背景には、(1)冷戦の終焉、(2)アメリカの覇権の衰退、(3)相互依存の進展が指摘されている。つまりこの3条件が「新しい中世」(論)の妥当性を担保するものであるといえる。

「新しい中世」(論)を評価するに当たって、2つの道筋が考えられる。第1に、これら3条件に関する認識を不問にした上で、「新しい中世」という世界把握の有効性や妥当性を検討することができるだろう。第2の道筋は、そもそも「新しい中世」の存在論的基盤ともいえる3条件に関する認識自体の妥当性を問うものである。この2つの道筋は次のように言い換えることができる。つまり問題の認識や発し方はよいが、そこから導かれる結論(「新しい中世」イメージ)には問題がある「good question/wrong answer」という見方が第1の道筋だとすれば、第2のそれは「wrong question/wrong answer」、つまり導かれた結論に孕まれている問題の原因は、条件から結論へ至る過程/論理にある(だけ)のではなく、認識や設定自体にすでに問題点が内在しているという見方である。

以下では、第2の見方に依拠して「新しい中世」(論)について考えてみたい。先に述べたように「新しい中世」という世界システムが成立する条件として、3つが指摘されているわけであるが、1996年に執筆されたという本の性格を考慮した場合、(2)アメリカの覇権の衰退を取り上げて、アメリカの覇権は衰退したどころか、いっそう強化されているのではないかという疑問を呈することは、後知恵的解釈の誹りを免れない。現在では、アメリカを「帝国」と捉える議論が盛況であるが、すくなくとも1990年代半ばにあっては、「帝国」という言葉は、マルクス主義的意味合いが濃かったこともあって、ソ連崩壊の余波を受けて、限りなく死語に近い存在であった。したがってアメリカの覇権の衰退という「予測」が外れたことをもって、「新しい中世」(論)を批判することはあまり建設的とはいえないだろう。

ただこの点に関して、アメリカの覇権が強化されたとしても、現代の世界システムは「新しい中世」だと主張することは可能である。ただしその場合、比較参照する対象として、ヨーロッパ中世ではなく、アジア中世を念頭に置くべきだろう。ヨーロッパ中世が多元的な秩序イメージを想起させるとすれば、アジア中世、具体的には中華帝国を中心とした華夷秩序に、現在のアメリカの一極支配体制と多くの共通性を見出せるだろう。あるいは山下範久が提起する「新しい近世」という見方も、アメリカの覇権が存続している現代世界を、主権国家システムとは異なる秩序イメージで語ろうとする際に有用な視座を提示しているといえる(山下範久『世界システム論で読む日本』講談社, 2003年)。

アメリカの覇権の衰退をめぐる妥当性から「新しい中世」(論)の意義を論じることがそれほど発展性のないものだとすれば、ほかの2つの条件に関してはどのようにいえるだろうか。たとえば、相互依存の進展は、現在で言うところのグローバル化の進展に充当すると理解できる。現時点から省みたとき、1990年代を「グローバル化の時代」と呼ぶことに問題は感じられないように思われる。その意味で、相互依存の進展という条件あるいは認識に問題があるため、「新しい中世」(論)の有効性が減じられるという論理を持ち出すことはほとんど不可能であろう。

一方、冷戦の終結に関しては、これも相互依存の進展と同様に、一般的に受け入れられている見方であろう。つまり1989年のベルリンの壁崩壊に象徴される東欧諸国の共産党体制の解体から、1991年のソ連崩壊に至る経過、つまり冷戦の一方の当事者が舞台から降りた点を考えると、冷戦の終結という事実に疑問を投げかける余地は乏しい。

しかし冷戦の終結、あるいは冷戦自体には一元的な理解や認識を超えた多義性があり、時間的・空間的にみれば、その影響には当然ながら濃淡が見られる。その意味で、冷戦の終結といった場合に一般的に認識されるのは、米ソ冷戦、広げてもヨーロッパを「戦場」としての東西対立だろう。冷戦の主役は米ソであり、その主戦場は分断ドイツに象徴されるヨーロッパであったことは確かである。しかし、「新しい中世」(論)とそれが提起する3つの圏域、さらに「近代圏」の海に「新中世圏」に属する日本というアジアの状況を念頭に置き、日本の役割に対する政策提言を含む本の射程に注意を向けるならば、(東)アジア地域における冷戦の現出・展開・終結が、グローバルレベルにおける米ソ冷戦や、ヨーロッパの地域冷戦とどこまで共通性・関連性をもち、どれくらい独自の冷戦ゲームが繰り広げられたのかを考えてみる必要があるだろう。

しばしば指摘されるように、世界的にみれば冷戦は終結したが、アジアでは、朝鮮半島や中台問題を例に冷戦の「遺産」が現在においてこの地域の国際関係に大きな影響を及ぼしている点から、アジアにおいて冷戦は終わっていないともいえる。一方で、アジア冷戦の特質を米中対立に求めれば、すくなくとも1970年代のニクソン訪中を契機として、冷戦的なルールズ・オブ・ゲームの成立要件が消え、別の国際関係へと移行していったと見ることもできる。日本の論壇においても高坂正堯や永井陽之助といった「現実主義者」たちが1970年代に「冷戦の終結」を口にしていたことは、アジア冷戦の特質を正確に認識していた証左ともいえるだろう。

つまりアジア地域に関しては、「冷戦は終わっていない」という見方と「冷戦は1989年以前に終わっていた」という見方、この2つが存在している。とすれば、「新しい中世」(論)が前提とする「冷戦の終結」という認識は、アジア地域を念頭に置いた場合、全面撤回とはいかないまでも、修正される必要性が生じてくると思われる。たとえば後者の見方に立つならば、アジア地域における世界システムを考えるとき、「冷戦」を重要なメルクマールに含むことはそれほど意義が大きくないといえるだろう。それよりも、戦後アジアの国際関係を見たとき、圧倒的にアメリカの覇権/存在が横たわっていたことがその底流にあり、そこに吉見俊哉が指摘するようなアメリカニズムの受容と変容をめぐる政治が介在することで、米ソ冷戦やヨーロッパ冷戦とは異なる構図が成立する空間が出現したといえる(「冷戦体制と『アメリカ』の消費――大衆文化における『戦後』の地政学」『近代日本の文化史(9)1955年以後1・冷戦体制と資本の文化』岩波書店, 2002年)。

ここにおいて、アメリカの覇権の衰退に関して述べた点が、「冷戦」認識の検討を通って、再び浮かび上がってくる。すなわちアジア地域をみたとき、そこに現出している「新しい中世」は、ヨーロッパ中世よりも華夷秩序を基調とするようなアジア的な中世に範を求められる世界システムではないだろうかという点である。「新しい中世」(論)が主権国家システムの後に到来する秩序イメージの一つとして語られている現状において、「good question/wrong answer」的な把握を超えたより内在的な考察が要請されると同時に、そうした視座によってこそ著者がいうような「西洋中心的な思考」から脱却する道が切り開かれるように思われる。
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