智徳の轍 wisdom and mercy

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静慮に関係づけられた経典(ジャーナ・サンユッタ) 第一 ガンガー復誦 第一の清潔な状態・東

2004-10-06 | ☆【経典や聖者の言葉】




【一】第一 第一の清潔な状態・東(一)
一―二 「向煩悩滅尽多学男たちよ、そこで実に、これら四つの静慮がある。何が四つであろうか。
三 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
四 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
五 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
六 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
七 向煩悩滅尽多学男たちよ、これらが実に四つの静慮である」と。
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、ガンガー(大変速い河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。

  静慮に関係づけられた経典の第一の清潔な状態の経の終極である。
  同様に記憶修習の現象化も詳しくされるべきである(このように願望の基準まで詳しくされるべきである)。


【二】第二 東(二)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、ヤムナー(双子の河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【三】第三 東(三)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、アチーラヴァティー(すぐ必要とされる河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【四】第四 東(四)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、サラブー(沼地の存在)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【五】第五 東(五)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、マヒー(大地の河)河は東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。


【六】第六 東(六)
八 「向煩悩滅尽多学男たちよ、例として、種々の大きな河がある。つまり、ガンガー、ヤムナー、アチーラヴァティー、サラブー、マヒーである。それらはすべて東に下り、東に傾斜し、東に至る。向煩悩滅尽多学男たちよ、全く同様に、向煩悩滅尽多学男は四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、そして、どんな向煩悩滅尽多学男が、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのであろうか。
九 向煩悩滅尽多学男たちよ、ここに向煩悩滅尽多学男は、種々の愛欲からまさに遠離して、種々の不善の法則から遠離して、有熟考有吟味で、遠離から生じる喜と楽がある、第一の静慮を達成してとどまる。
 種々の熟考と吟味の静止により、心の中に落ち着きがあり、心の集中状態があり、無熟考無吟味で、サマディから生じる喜と楽がある、第二の静慮を達成してとどまる。
 そして喜の離愛著により、そして無頓着でとどまり、そして記憶修習し正智して、そして身によって楽を覚え、ちょうど聖人方が『無頓着で記憶修習を持つ楽の時を過ごす』と明かす、第三の静慮を達成してとどまる。
 そして楽の捨断により、そして苦しみの捨断により、まさに以前の種々の幸福と落胆の全滅により、不苦不楽で、無頓着による記憶修習の純粋がある、第四の静慮を達成してとどまる。
 向煩悩滅尽多学男たちよ、このように実に、向煩悩滅尽多学男は、四つの静慮を修習し、四つの静慮を真面目に行なうことによって、煩悩破壊に下り、煩悩破壊に傾斜し、煩悩破壊に至るのである」と。

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