智徳の轍 wisdom and mercy

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自由になれ

2005-02-03 | ☆【経典や聖者の言葉】
 すべての魂は潜在的には神聖である。
 目標は、内外の自然を制御して、内なる神性を現わす事である。
 このことをカルマ、礼拝、心の統御、または完全なる絶対なる神の叡智によって
  --これらのひとつ、または二つ以上、または全部によって--なし、自由になれ。
 これが宗教のすべてである。
 教義とか信条とか儀式とか書物、寺院等々は、第二義的な些末事だ。

七つの不衰退の法

2005-02-03 | ☆【経典や聖者の言葉】
六 そして、マガダの大臣である祭司ヴァッサカーラが去ってから間もなくして、覚者は長老アーナンダにこうお告げになった。「アーナンダよ、行きなさい。ラージャガハの近くにとどまっている向煩悩滅尽多学男達すべてを、奉仕堂に集めなさい。」
「かしこまりました、尊師よ。」
と、長老アーナンダは覚者にお応えし、ラージャガハの近くにとどまっている向煩悩滅尽多学男達すべてを、奉仕堂に集め、覚者がいらっしゃる所を訪れた。訪れると、覚者を礼拝して、傍らに立った。傍らに立って、長老アーナンダは覚者にこう申し上げた。
「尊師よ、向煩悩滅尽多学男出家教団が集まりました。尊師よ、今や覚者がちょうどよいとお考えになる時でございます。」
 そこで、覚者は座を立って、奉仕堂に赴かれた。赴くと、設けられた座にお座りになった。座られてから、覚者は向煩悩滅尽多学男達に、こうお告げになった。
「向煩悩滅尽多学男達よ、七つの不衰退の法を教え示そう。聴いて、よく作意しなさい。私は説こう。」
「かしこまりました、尊師よ。」
と、彼ら向煩悩滅尽多学男達は覚者にお応え申し上げた。そこで、覚者は次のようにお説きになった。
「向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達に、度々集会があり、大勢の集会がある限りは、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、和合して集まり、和合して励み、和合して出家教団のなすべきことをなしている限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、定められていないことを定めることがなく、定められたものを廃止することがなく、定められた学問の基礎に関して記憶実践して行動している限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、経験豊かで出家して久しい、出家教団の父であり、出家教団の顧問である、その向煩悩滅尽多学男の長老達を尊敬し、尊重し、敬重し、崇拝して、彼らの言うことは傾聴しなければならないと考えている限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、再生に導く渇愛が生起しても支配されない限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、森を座臥所とすることを熱望している限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達が、各自で記憶修習を働かせて、また、まだ来ていない神聖行を共にする温和な人が来ることを願い、既に来た神聖行を共にする温和な人が心安らかにとどまることを願っている限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 向煩悩滅尽多学男達よ、そして、これら七つの不衰退の法が向煩悩滅尽多学男達に存続し、向煩悩滅尽多学男達がこれら七つの不衰退の法に従って暮らしている限りは、向煩悩滅尽多学男達よ、向煩悩滅尽多学男達には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。」

【解説】
 ここにまた「和合」ということが出てきたが、仏教が衰退したのは、まさにこの「私達はマハー乗である。お前達はヒナ乗(劣乗)である」といったあたりからである。そして、上座部と大衆部との間に分裂が起き、そこから完全に仏教は衰退した。もうその段階で既に末法は始まったと見ていいのではないかと私は思う。
 「学問の基礎」というのは何かというと、例えば『南伝』でいえば『預流相応』や「五つの潜在性」などをしっかりと記憶し、実践するということである。ところが、仏教にマハーの乗とヒナの乗が出て、いろいろな見解が飛び出し、それによって混沌とし、いろいろな宗派ができ、その結果今どんどん衰退していっているのだと思う。
 最もエネルギーを強化し組織を活性化し、成功する方法というのは原則に返ることなのである。「原則に返れ」――これは私の大好きな言葉である。
 「顧問」とは、マハーカッサパやアヌルッダ、アーナンダ、ウパーリといった上座部の長老といわれていた人達のことである。ちなみに、大衆部が出てきて仏教を駄目にしたというのが私の見解である。
 「渇愛が生起しても支配されない」とは、別の言い方をすれば、「四念処観がしっかりしていれば」ということである。つまり、四念処というのは仏教修行の土台であり、それがしっかりしなくなると崩れていくのである。
 「森を座臥所とする」というのは、要するに人里を離れているということ、つまり一般人と交わらないということを言っているわけである。なぜならば、一般人と交わると無益徒労の会話をしなければならない。無益徒労の接待をしなければならない。無益徒労のお世辞を使わなければならない。付き合いをしなければならないからである。もちろん、托鉢や説法のために街まで行くことはあるが、生活の場はあくまでも森や山なのである。つまり、瞑想する場所、寝る場所が森という意味なのだ。
 これはオウム真理教も同じことが言える。私が富士や阿蘇に拠点を置いているのは、つまり、人里離れていなければならないからで、修行者は現世とまみえてはいけないのである。
 「各自で記憶修習を働かせて」とあるが、これもすごく大事なところである。これは、実は私がある部署が一時乱れたときに指示したことなのだが、そのとき私は「修行のときに、お互いがお互いに優しい言葉をかけなさい。励まし合いなさい」という言葉をかけた。要するに、「新しい法友に対して喜びを持つ」、あるいは、「今いる法友に対して喜びを持つ」ということは、その世界を広げていくのである。この反対が嫌悪である。そして、すべては心の現われだから、嫌悪は衰退を招き、このような和合の心は繁栄を招くのである。
 そして、この七つというのは、実はチァクラの数と対応している。一番目「集会」、二番目「和合」、三番目「記憶修習」、四番目「経験豊かで……」(尊敬・アナハタ)、五番目「再生に導く……」(智慧)、六番目「森を座臥所」(激しい修行)、最後が「神聖行……」(サハスラーラ)ということである。

大完全煩悩破壊経(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)

2005-02-03 | ☆【経典や聖者の言葉】


◆第一誦品

一 このように私は聞いた。
 あるとき、覚者はラージャガハのギッジャクータ山にとどまっておられた。そのとき、マガダ国の王でありヴェーデーヒーの子であるアジャータサットゥは、ヴァッジ族を攻撃しようとした。彼はこう言った。
「あの強力で威力あるヴァッジ族、私はヴァッジ族を全滅させてやる。ヴァッジ族を破滅させてやる。ヴァッジ族を災難と損失に陥れてやる。」
二 そこで、マガダ国の王でありヴェーデーヒーの子であるアジャータサットゥは、マガダの大臣である祭司ヴァッサカーラに、こう告げた。
「さあ、祭司よ、覚者がいらっしゃる所へ伺いなさい。伺ったら、私の名前で覚者の足元を頂礼し、病なく、健康で、お体は軽快で、お元気で、心安らかでいらっしゃるかを尋ねなさい。『尊師よ、マガダ国の王でありヴェーデーヒーの子であるアジャータサットゥは、覚者の足元を頂礼し、病なく、健康で、お体は軽快で、お元気で、心安らかでいらっしゃるかをお尋ねいたします』と。
 そして、こう言いなさい。
『尊師よ、マガダ国の王でありヴェーデーヒーの子であるアジャータサットゥは、ヴァッジ族を攻撃しようとしております。彼はこう言ったのです。
「あの強力で威力あるヴァッジ族、私はヴァッジ族を全滅させてやる。ヴァッジ族を破滅させてやる。ヴァッジ族を災難と損失に陥れてやる」』と。
 そして、覚者がお答えになったことをよく覚え、私に伝えなさい。真理勝者は決して、真理ではないことをおっしゃらないのだ。」
三 「承知いたしました。」
と、マガダの大臣である祭司ヴァッサカーラは、マガダ国の王でありヴェーデーヒーの子であるアジャータサットゥに応え、多くの威風堂々とした車を用意させ、自らも威風堂々とした車の一つに乗り、多くの威風堂々とした車を伴い、ギッジャクータ山に向かった。そして、車が通れる所までは車で進み、その後、車から降りて徒歩で進み、覚者がいらっしゃる所を訪れた。
 訪れると、覚者とお互いにあいさつし、親しみを込めた丁寧な賛辞を交わして、傍らに座った。傍らに座って、マガダの大臣である祭司ヴァッサカーラは、覚者にこう申し上げた。
「友ゴータマよ、マガダ国の王でありヴェーデーヒーの子であるアジャータサットゥは、友ゴータマの足元を頂礼し、病なく、健康で、お体は軽快で、お元気で、心安らかであるかをお尋ねします。
 友ゴータマよ、マガダ国の王でありヴェーデーヒーの子であるアジャータサットゥは、ヴァッジ族を攻撃しようとしております。彼はこう言ったのです。
『あの強力で威力あるヴァッジ族、私はヴァッジ族を全滅させてやる。ヴァッジ族を破滅させてやる。ヴァッジ族を災難と損失に陥れてやる』と。」
四 そのとき、長老アーナンダは覚者の後ろに立って、覚者を扇いでいた。そこで、覚者は長老アーナンダにこうお告げになった。「アーナンダよ、ヴァッジ族には、度々集会があり、大勢の集会があると、あなたは聞いたことがあるか。」
「尊師よ、ヴァッジ族には、度々集会があり、大勢の集会があると、私は聞いたことがあります。」
「アーナンダよ、ヴァッジ族に、度々集会があり、大勢の集会がある限りは、アーナンダよ、ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 アーナンダよ、ヴァッジ族は、和合して集まり、和合して励み、和合してヴァッジ族のなすべきことをなすと、あなたは聞いたことがあるか。」
「尊師よ、ヴァッジ族は、和合して集まり、和合して励み、和合してヴァッジ族のなすべきことをなすと、私は聞いたことがあります。」
「アーナンダよ、ヴァッジ族が、和合して集まり、和合して励み、和合してヴァッジ族のなすべきことをなしている限りは、ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 アーナンダよ、ヴァッジ族は、定められていないものを定めることはなく、定められたものを廃止することはなく、昔に定められたヴァッジ族の法に関しては記憶実践して行動すると、あなたは聞いたことがあるか。」
「尊師よ、ヴァッジ族は、定められていないものを定めることはなく、定められたものを廃止することはなく、昔に定められたヴァッジ族の法に関しては記憶実践して行動すると、私は聞いたことがあります。」
「アーナンダよ、ヴァッジ族が、定められていないものを定めることがなく、定められたものを廃止することがなく、昔に定められたヴァッジ族の法に関して記憶実践して行動している限りは、ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 アーナンダよ、ヴァッジ族は、そのヴァッジ族のヴァッジ大老達を尊敬し、尊重し、敬重し、崇拝して、彼らの言うことは傾聴しなければならないと考えると、あなたは聞いたことがあるか。」
「尊師よ、ヴァッジ族は、そのヴァッジ族のヴァッジ大老達を尊敬し、尊重し、敬重し、崇拝して、彼らの言うことは傾聴しなければならないと考えると、私は聞いたことがあります。」
「アーナンダよ、ヴァッジ族が、そのヴァッジ族のヴァッジ大老達を尊敬し、尊重し、敬重し、崇拝して、彼らの言うことは傾聴しなければならないと考えている限りは、ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 アーナンダよ、ヴァッジ族は、良家の婦人や良家の娘を力ずくで奪い、住まわせることはないと、あなたは聞いたことがあるか。」
「尊師よ、ヴァッジ族は、良家の婦人や良家の娘を力ずくで奪い、住まわせることはないと、私は聞いたことがあります。」
「アーナンダよ、ヴァッジ族が、良家の婦人や良家の娘を力ずくで奪い、住まわせることがない限りは、ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 アーナンダよ、ヴァッジ族は、内外にあるヴァッジ族のヴァッジ神殿を尊敬し、尊重し、敬重し、崇拝して、以前に与えられ、以前になされていた、その法にのっとった供養を破棄することはないと、あなたは聞いたことがあるか。」
「尊師よ、ヴァッジ族は、内外にあるヴァッジ族のヴァッジ神殿を尊敬し、尊重し、敬重し、崇拝して、以前に与えられ、以前になされていた、その法にのっとった供養を破棄することはないと、私は聞いたことがあります。」
「アーナンダよ、ヴァッジ族が、内外にあるヴァッジ族のヴァッジ神殿を尊敬し、尊重し、敬重し、崇拝して、以前に与えられ、以前になされていた、その法にのっとった供養を破棄することがない限りは、ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。
 アーナンダよ、ヴァッジ族には、供養値魂に対する法にのっとった守護と防御と保護がよく整えられていて、また、まだ来ていない供養値魂が王国に来ることを願い、既に来た供養値魂が心安らかにとどまることを願うと、あなたは聞いたことがあるか。」
「尊師よ、ヴァッジ族には、供養値魂に対する法にのっとった守護と防御と保護がよく整えられていて、また、まだ来ていない供養値魂が王国に来ることを願い、既に来た供養値魂が心安らかにとどまることを願うと、私は聞いたことがあります。」
「アーナンダよ、ヴァッジ族に、供養値魂に対する法にのっとった守護と防御と保護がよく整えられていて、また、まだ来ていない供養値魂が王国に来ることを願い、既に来た供養値魂が心安らかにとどまることを願っている限りは、ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。」
五 そこで、覚者はマガダの大臣である祭司ヴァッサカーラに、こうお告げになった。
「祭司よ、あるとき、私はヴェーサーリーのサーランダダ神殿にとどまっていたのだが、そこで、私はヴァッジ族にこれら七つの不衰退の法を説いたのである。祭司よ、そして、これら七つの不衰退の法がヴァッジ族に存続し、ヴァッジ族がこれら七つの不衰退の法に従って暮らしている限りは、祭司よ、ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰退することはないだろう。」
 このようにお説きになったとき、マガダの大臣である祭司ヴァッサカーラは、覚者にこう申し上げた。
「友ゴータマよ、不衰退の法のそれぞれを具足したとしても、ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰退することはないでしょう。ましてや七つの不衰退の法とあっては、言うまでもありません。
 友ゴータマよ、ヴァッジ族が、マガダ国の王でありヴェーデーヒーの子であるアジャータサットゥによって、外交手段や同盟の破壊によることなく、戦争で征服されることはないでしょう。
 さあ、友ゴータマよ、私達はこれで失礼します。私達は仕事が多く、多忙なのです。」
「祭司よ、今やあなたがちょうどよいと考える時です。」
 そこで、マガダの大臣である祭司ヴァッサカーラは、覚者の説かれた教えに歓喜し、感謝して、座を立って去ったのである。

【解説】
 この「七つの不衰退の法」については少し説明しておいた方がいいだろう。なぜならば、この法は、今の日本が間違いなく滅亡していくということをよく表わしていると考えるからである。
 一つずつ検討してみよう。この七つのうち、前半はすべて志気の統一、それからエネルギーの漏れのない状態をつくること、後半は逆にエネルギーを上から強めるということを表わしている。
 まず、「集会」であるが、なぜ集会があると繁栄し、衰退しないのかというと、第一に情報伝達が正確になるということ、二番目には志気が高まるということなのだ。つまり、一つの情報をもとに全体が動くようになるからである。
 第二番目の「和合」というのは、これはまさにエネルギーが漏れているか漏れていないかのチェックである。もし、内側で争っていれば、結局そこでエネルギーのロスがある。エネルギーのロスがあれば、繁栄がないということになる。
 だいたい、阿修羅と第二天界の戦いのときに、阿修羅が弱いのはそこなのだ。もともと阿修羅というのは、第二天界より力を持っているのだが、「俺が俺が」「我が我が」という感じでぶつかり合って和合がないから、内側でエネルギーを消耗してしまうのだ。
 第三番目の「定められていないものを……」。今の日本は、どんどんどんどん、定められていないものを定めていっている。自衛隊法についてもそうだし、まだなされていないが憲法改正の動きもある。これはまさに衰退の法なのである。
 五番目の「良家の婦人や良家の娘を……」。これも内なる反感を買わなくて済む法である。内なる反感とは何かというと、例えばここに将軍がいて、部下の妻とか娘とかを連れてきて自分のものとして住まわせるといったことで、これは当然反感を買う。これを内なる反感というのだが、こういうことによる漏れをなくすということである。
 そこで、今の日本をこの七つの法に照らし合わせて検討してみるならば、一番目の「集会は多く行なわれているか」という点については、政治的集会は行なわれていない。どちらかというと政治的なものは、敬遠させる方向へもっていっている。二番目の国民の中で和合があるかといったら、和合もない。三番目の法については、どんどん曲げられている。
 四番目の「大老」、これもそうで、日本を見ると、例えば政治家などだれも尊敬していない。
 六番目の「神殿」については、もう日本人は全然尊敬していない。七番目にいたっては、オウム真理教には供養値魂がいるのに、逆に叩きまくっているのだから、完全に破滅の法である。一つだけ、不衰退として引っかかるとしたら、五番目の「良家の婦女を力ずくで……」ということがないぐらいである。結局、日本の場合はこの七つの法をほとんど具足していないのだ。
 大体、破壊されていく場合は、内側の闘争で破壊されていく。まず集会がもたれなくなる。それから、上を尊敬しなくなる。強姦が行なわれるようになる。神々に対する信仰がなくなる。供養値魂、最上正覚者に対する供養がなくなる。
 そういう意味で、私は日本は衰退すると考えているのである。
 この七つの法を以前、サキャ神賢がヴァッジ族に説いたのである。そして、その法が守られている限り、ヴァッジ族は大丈夫であるとサキャ神賢は見たのである。