紺日わん倶楽部

日々の暮らしに彩りを

国立能楽堂 企画公演 「砧」

2012-03-17 | エンターテイメント



国立能楽堂


中庭

国立能楽堂で復興と文化ー東日本大震災から1年ーと銘うって企画公演が行われました。
1部 講演 語りきれないこと 鷲田清一
  -災害からの復興と文化の力-
2部 能・観世流
  「砧」 観世清和

鷲田清一氏は前大阪大学総長で現在は大谷大学教授をなさっている方。
講演内容は被災者側の心のケアと非被災者ができることを体験を踏まえながらお話しされました。
震災から1年たった今、できること
1.励ましの言葉がかえって人を傷つける。無言で助ける事の尊さ。
2.copresence(コプレゼンス)ただ其処にいるだけで。
3.希望を持つのではなく、待っていて受け止めるてくれる人がいると思うこと。

22年度の大阪大学総長式辞も参考までに。

何げなく「頑張ってね」とか置かれている立場や状況を「わかる、わかる」と言ってしまいがちだが、
言葉にできない心の傷が癒えぬまま現実の生活を何とか前向きに気丈にふるまっている方々に
これ以上がんばれとか、さも状況がわかったような軽々な言葉は、かえって人の心を深く傷つける。
ただ其処にいてくれる人がいるだけで安心し、落ち着き普段の自分を取り戻していける。
明るい希望を持てとか期待の大きすぎる望みは、成就できなかった時に「絶望」と化する。
家族、友人、知人 ありのままを受け入れてくれる人が、場が、あることを胸に生きぬく。

といった内容でした。

演目の「砧」に通じる 「待つ」ことの意味。
あらすじはこちら→をご覧いただくとして、
待ちわびすぎて「恨めしや~」「恨めしや~」と狂死し、なお癒えぬ怨念に幽霊になってあらわれる。
「邪淫の業」すなわち仏教的には執着そのものが罪であるとされる。
白装束の芦屋の某(なにがし)が妄執のために地獄の苦しみあることをしみじみと謡う場面。
右手の扇で床を打ち、左の手をすーと夫に向けるシーン。涙が出るほど美しい。
最後に夫が合掌すると、妄執がはれ、地謡によって「法華読誦の力にて、幽霊まさに成仏の道明らかになり、開くる法の華心、菩提の種となりにけり 」と謡われ、シテが成仏したところで能は終わる。
法華読誦が寺のお坊さんの読経のような錯覚に陥り、空気がふーと解放に向かう。お客も成仏。

静寂の中で始まり終わっていく、そして観客もあの世とこの世の現に身を任せ・・・・・
と静かに橋掛りに演者が引けて緞子が下りたその時、
ぱちぱちと拍手。半数くらいたでしょうか。
すーと静かにその場を退散するのが客のモラルと聞いていた私。拍手はしない。
素晴らしい演者、お囃子と地謡。真に感じ入り余韻楽しむ大切な時間。
帰りしな近くのやんごとなきご婦人にそーっと伺う。
「拍手がおこってましたが・・・・?」
「今までお能では経験したことないわね」と。
そして唐突に
「あなたお茶なさってるの?」
「着物の後ろ姿と風情でわかるわよ」
とうれしい一幕。
今日の私のツレは寝ないでずっと見入っていたらしい。
これにて閉幕致します。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新国立劇場 オペラ 「さま... | トップ | 2012年SS NEW デザイン »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。