次男が知的障がいがあるので、以前少しだけ勉強の為にと思い、福祉作業所で生活支援員の仕事(パート)をした事があります。
当時はまだ息子も中学3年生でしたが、複式学級の先生からは親の就労へ向けての意識を高めるお話しが頻繁にあり、作業所見学などもボチボチ始め出した頃でした。
福祉関連の言葉を知ることから始まり、市役所でもらうパンフレットを見ても
その仕組みが全く分からず、
福祉サービスって何? の疑問は膨らむばかりでしたから…。
じっさい作業所で働いてみるとわかることや感じること、疑問なことが沢山ありました。 そこで出会ったのが共生という言葉。
障がいの有る無しにかかわらず、共に生きよう
というスローガンで、福祉イベントなどで使われていたのですね。
私がこの言葉の使われ方に違和感を覚えるのはなぜだろう? なんかしっくりこない感じ…をずーっと考えてきました。
なぜかアールブリュットについて考える時と同じような質の違和感があります。
共生って、私が思い描くのは
人間と動物とか、人間と植物、人間と雑菌…ていう、人間とそれ以外の生き物が一緒に生きていく、かんじ。
障がい児(者)はあたりまえに人間だし、私の家族の1人なんです。
だから、一緒に生活してるのが自然なことな訳で…。
家族のなかのひとりひとりが、皆それぞれの人生を生きていく中で、時に環境が変化したり予期せぬ出来事に出会い、悲しみや絶望感に苛まれることがあって、その出来事や現象を社会の中で区分けされると、福祉・司法と分類されるのだけど、家庭の中では大切な家族に他ならない
だから私にとっては家族だから、共生!と声高に言われると頭の中が???だらけになってしまう…。 それはあえて障害者と健常者を線引きして区別ではなく差別しているようにも聞こえるのです。
できないことを補いながら、
できるような工夫をし、できることは最大限に生かしていく、そんな人間関係が家庭でも職場でも自然にできる環境で育まれたらいいなぁ〜。そこにはやっぱり愛がなくっちゃね
写真
家の庭で育っている草木やトカゲ、猫