意味深で暖かい静かな神回だったねー。
まさに「人間の時代」というタイトルに相応しい回。
何がスゴイか、って、結局、ゼーリエにしてもフリーレンにしても、1000年前のフランメの思惑のとおりに動いて、ともに「人間の時代」をもたらすのに貢献してしまっているということ。
ゼーリエは、フランメの遺言に従い、大陸魔法協会のドンとして君臨し続け、人間の魔法使いの育成に従事し、常に寿命の短さゆえ自分の高みに達する前に一生を終える人間のあり方に失望しつつ、それでも世代を重ねるごとに人間の才が伸びていることを実感しながらここまで来ているのに対して、
フリーレンはフリーレンで、こちらもフランメに諭された通り、魔族討伐のために、ひたすら魔力を隠す能力を研ぎ澄ますことに修練を重ね、その結果、ゼーリエからは「年の割に能力のない」魔法使いでありながらも、ヒンメルたちとともに魔王の討伐に成功を収めた。
その傍らでフリーレンは、フランメの自由な思考をなぞるように、民間魔法の収拾に努め、常に新たな魔法の可能性に対してオープンな鷹揚な姿勢を取り続けてきた。
言ってしまえば、ゼーリエは、魔法の何たるかを教え維持し続けるという伝統的権威の保全者としての役割を担い、対してフリーレンは、魔法のもつ潜在的可能性を実際に実現させる「民間=人間の魔法」の収集家、観測者として生きてきたことになる。
ゼーリエは自分こそが魔法の中心だという自負をもっているけれど、その実、弟子であった人間のフランメの願うままに振る舞ってきたわけだ。
つまり、死ぬことでフランメは、ゼーリエにもフリーレンにも、一種の「呪い」をかけたことになる。
その構図が、今回の話で明らかにされて、なんていうか、そのフランメの千年の未来を見据えた振る舞いに、なんだか爽快さを覚えてしまった。
うん、ものすごく良い回だよ。
ゼーリエは一人の天才・強者がいればそれで十分と思っているけど、それはまさに、エルフゆえの発想で、それに対して、フランメを師と仰いだフリーレンは、体はエルフ、心は人間、という存在として、人間の可能性を見続けてきた。
・・・といっても、フリーレンがその境地に達したのは、ヒンメルたちと出会い、彼らの死を経験したからなんだよね。
その意味では、ハイターの弟子、というか子どもであったフェルンは、きっとフリーレンにとっても重要な意味を持っているんだろうなと思う。
多分、フェルンは、フリーレンの目には、人間の可能性そのものに見えているのだろうね。
で、そのフェルンが、今回、ゼーリエからも見初められたwというのだからスゴイ。
まさに「人間の時代」を体現した存在がフェルンってことじゃんw
そのフェルンが、ゼーリエの誘いに対して、自分の師はフリーレンだと応えたのだから、これは痛快w
・・・ということで、前回までが第2次試験のダンジョン攻略で、確かに見ているとものすごいアクションの連続なので、おおお!と嘆息していたわけだけど、ただそれは見終わったらそれまでだったのだけど、
今回の話は、そうしたアクションシークエンスとしての第2次試験を描くことで、何が企図されていたのか、それが明らかになってすばらしかった。
しかも、その意図を誰が語るでもなく、ゼーリエとフリーレンの言動の対比でしめしてくるのだから。。。
いやー、脱帽だよ、これは。
にしても、そのゼーリエとフリーレンの二人から一目置かれるフェルンって・・・w
で、次回でどうやら終わりみたいだけど、これはもう落ち穂拾いのようなエピローグになるのだろうな。
間違いなく2期はやるだろうけど、とはいえ、時間は結構空いてしまうのだろうな。
ということで、ようやく禁じていた原作に手を出せるような気がするw
あー、しかし、ほんと、いい回だったなぁ。
まさに「人間の時代」というタイトルに相応しい回。
何がスゴイか、って、結局、ゼーリエにしてもフリーレンにしても、1000年前のフランメの思惑のとおりに動いて、ともに「人間の時代」をもたらすのに貢献してしまっているということ。
ゼーリエは、フランメの遺言に従い、大陸魔法協会のドンとして君臨し続け、人間の魔法使いの育成に従事し、常に寿命の短さゆえ自分の高みに達する前に一生を終える人間のあり方に失望しつつ、それでも世代を重ねるごとに人間の才が伸びていることを実感しながらここまで来ているのに対して、
フリーレンはフリーレンで、こちらもフランメに諭された通り、魔族討伐のために、ひたすら魔力を隠す能力を研ぎ澄ますことに修練を重ね、その結果、ゼーリエからは「年の割に能力のない」魔法使いでありながらも、ヒンメルたちとともに魔王の討伐に成功を収めた。
その傍らでフリーレンは、フランメの自由な思考をなぞるように、民間魔法の収拾に努め、常に新たな魔法の可能性に対してオープンな鷹揚な姿勢を取り続けてきた。
言ってしまえば、ゼーリエは、魔法の何たるかを教え維持し続けるという伝統的権威の保全者としての役割を担い、対してフリーレンは、魔法のもつ潜在的可能性を実際に実現させる「民間=人間の魔法」の収集家、観測者として生きてきたことになる。
ゼーリエは自分こそが魔法の中心だという自負をもっているけれど、その実、弟子であった人間のフランメの願うままに振る舞ってきたわけだ。
つまり、死ぬことでフランメは、ゼーリエにもフリーレンにも、一種の「呪い」をかけたことになる。
その構図が、今回の話で明らかにされて、なんていうか、そのフランメの千年の未来を見据えた振る舞いに、なんだか爽快さを覚えてしまった。
うん、ものすごく良い回だよ。
ゼーリエは一人の天才・強者がいればそれで十分と思っているけど、それはまさに、エルフゆえの発想で、それに対して、フランメを師と仰いだフリーレンは、体はエルフ、心は人間、という存在として、人間の可能性を見続けてきた。
・・・といっても、フリーレンがその境地に達したのは、ヒンメルたちと出会い、彼らの死を経験したからなんだよね。
その意味では、ハイターの弟子、というか子どもであったフェルンは、きっとフリーレンにとっても重要な意味を持っているんだろうなと思う。
多分、フェルンは、フリーレンの目には、人間の可能性そのものに見えているのだろうね。
で、そのフェルンが、今回、ゼーリエからも見初められたwというのだからスゴイ。
まさに「人間の時代」を体現した存在がフェルンってことじゃんw
そのフェルンが、ゼーリエの誘いに対して、自分の師はフリーレンだと応えたのだから、これは痛快w
・・・ということで、前回までが第2次試験のダンジョン攻略で、確かに見ているとものすごいアクションの連続なので、おおお!と嘆息していたわけだけど、ただそれは見終わったらそれまでだったのだけど、
今回の話は、そうしたアクションシークエンスとしての第2次試験を描くことで、何が企図されていたのか、それが明らかになってすばらしかった。
しかも、その意図を誰が語るでもなく、ゼーリエとフリーレンの言動の対比でしめしてくるのだから。。。
いやー、脱帽だよ、これは。
にしても、そのゼーリエとフリーレンの二人から一目置かれるフェルンって・・・w
で、次回でどうやら終わりみたいだけど、これはもう落ち穂拾いのようなエピローグになるのだろうな。
間違いなく2期はやるだろうけど、とはいえ、時間は結構空いてしまうのだろうな。
ということで、ようやく禁じていた原作に手を出せるような気がするw
あー、しかし、ほんと、いい回だったなぁ。