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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

魔法少女まどか☆マギカ 第9話 補足 マクスウェルの悪魔

2011-03-08 13:50:39 | まどマギ
QBが「悪魔」なのは、マクスウェルの悪魔の意味でだ、というのもどうやら可能なので、これもちょっと悪乗りしてみようw

マクスウェルの悪魔でいう状況って、

ここにぬるいお湯があります。
これを、熱いお湯と冷たい水に分けられますか、ってこと。

で、熱い=振動数の多い分子と、冷たい=振動数の少ない分子とを、
仕分ける目を持つのが「マクスウェルの悪魔」って言われていたはず。

で、これは不可能だといってるのが、エントロピーの法則。
つまり、熱いお湯と冷たい水を混ぜたら温いお湯として均一なものになりますね、ってこと。

で、この枠組で考えれば、

もともとは、願いも呪いも、希望も絶望も、楽観も悲観も、適度に混在させた状態で日々生活しているのが、人間の普通の状態だけど、

QBは、この状態に「魔法少女契約」というきっかけを与えることで、

願いと呪い、希望と絶望、楽観と悲観、・・・

を綺麗に仕分ける仕組みを作る。つまり、温いお湯から、熱いお湯の部分だけを切り出すことをまず行う。
その上で、その熱いお湯=願いに満ちた魔法少女を、冷たい水=呪いに溢れる魔女、に貶めることで、本来なら温い状態として、その場に留まってしまう熱量=エネルギーだけを、取り出すようにする。

で、こういう、いわばマクスウェルの悪魔、のようなことを、人間の感情について行ってしまっているのがQB、ということになる。
なので、QB=悪魔。

確かにこうみると、まどかが言うように、魔法少女=消耗品、だよね。
いわば燃料みたいなもの。

で、昨日も書いたように、この熱いと冷たいの間を揺れないように、とにかく感情に揺れが生じないように自制しているのが、ほむら、ということになる。

それで、こう考えてくると、例のさやかのソウルジェムを投下する、という暴挙をまどかが引き起こすきっかけになった、まどかママンの「大人は大変だよ」という言葉も改めて生きてくるような気がしている。

つまり、QBは、(多分、彼ら種族に感情がないからだろうけど)、感情を二分し、願いを持つのが少女=子供、呪いを持つのが大人、というような捉え方をしているように思うけど、普通に考えたら、呪いだけに留まる人も、十分「子供」だと思う。

だから、QBの理解とは裏腹に、魔女も実は魔法「少女」のBバージョンでしかない。だって、お菓子が大好き!とか、音楽だけ弾く!とか、ひとつの感情だけに依拠した「破壊?」行動しかしていない。むしろ、衝動だけからなる。

で、ママンが言っていたことは、全然フェーズが違う。

ママンは、いわば、願い/呪いの両極端の感情があることを認めた上で、時に自ら、どちらかを敢えて選ぶことで、状況を自分の意図からは外れるかもしれないけれど、とはいえ全く制御できない状況下には置かない、ということを選ぶことを示唆していたように思えるし、それが「オトナになる」ということなのだと思う。

で、これは、やっぱり、願い/呪い、の両極しか「定量的に」しか捉えていないQBは、絶対見落としていることだと思う。
QBが感情の綾や、表現≒言葉の綾について、全く理解出来ない、というのは、いままでの彼のセリフから既に分かっていること。

つまり、QBとママンの大人の捉え方の違い、が、終盤での物語展開の鍵を握るのではないかなー、と思ってきている。

で、その意味では、9話では一度否定された、杏子の「最後は愛と正義が勝つ」、という言葉が改めて効いてくるのではないかと思う。

実際、ほむらも、大分、感情の制御が怪しくなってきてるし。

ということで、残り数話に期待したところだが・・・

でもなー、虚淵クオリティで行くと、とことん奈落の底へ落ちる、超バッドエンドもあるからなぁ・・・。

温いハッピーエンドぐらいならバッドエンドがいい、というのがデフォルトだとして、さらにそれを逆転させる、超ハッピーエンドにも解釈可能な、超絶バッドエンドに期待したいw

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