パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

宮間の答え

2013年02月12日 20時15分17秒 | サッカー

その人間性が素晴らしいと思える宮間あや
ある質問に答えたのが気に入って覚えておこうと残しておいた

質問「アメリカの選手たちはフィジカルが強くコンタクトプレーでは日本はどうしても不利になる。
ロンドン五輪ではアメリカとの再戦も予想されます。再び勝 利を収めるためには、何が必要だと思いますか?」

宮間選手はこう答えます。
「日本とアメリカとの間にあるのは『差』ではなく『違い』だという発想が 大事になるでしょう。
たとえばフィジカルを差ととらえてしまうと、アメリカのようにフィジカルの強いチームを目指さなければならない。
これは私の持論です が、フィジカルの強さは『決定的な勝利の要因にはならない』
けれども、フィジカルの弱さが『負ける要因にはなる』ので、ある程度、フィジカルのトレーニン グは必要です。
だけど、それによって(差を埋めることで)勝つのではなく、『違う』点で勝負をすることが大事だと思っています」

果たして男子の選手でこの様に分析的に答えられるか?

結局、一流の選手は最後のところの頭の良さが差となってくる
反射神経ではなく、思索、自分で考える能力
それこそが実力差となる

話は変わって男子のサッカー
個々でも話題となったフィジカル面というか球際の勝負
これがイマイチなのは
もう少し日本国内の試合で審判の笛を
ヨーロッパ基準にしないと(多少の当たりは流す)
いつまでも倒れるのは日本人ばかり
ということになってしまいそう

つまりは現実の世界に早く慣れるべき
同じ理屈で、クラブ内で行われる練習試合も
実戦以上に激しく闘うほうが後々のためにも
また怪我や危険予知の神経も
より磨かれるのではないのかな

サッカーは高度なパスゲームでもあるが
格闘技の要素もあるのが
当人同士は楽しいこともあるように思うのだが

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村上春樹と三島由紀夫

2013年02月09日 19時34分23秒 | 

どちらも上手いとか、独自の世界を構築しているものの
自分の好みではない二人の作家
村上春樹と三島由紀夫

先日、まるでモーツァルトのスコアみたいに
ほとんど書き直しがない三島由紀夫の文章に触れてみようと思い
本棚を眺めたら新潮文庫の「仮面の告白」が目に入った

一度読んだはずだが全然覚えていない、日焼けして色が変わった
最初のページに人生の最初の記憶の話が出ていた

あれ、確か1Q84も最初の(幼児の時の〉記憶の話があったぞ

最初に頭に浮かんだのがこのこと

そこで、比較しながら味わってみると
この人生の極初期の記憶を扱っていても
当たり前だが随分印象が違う

村上春樹はその後このシーンがライトモチーフのように
時々扱われそれなりの効果を発揮しているが
三島由紀夫は凝縮したイメージがそれだけで確立し
完璧な文章のように思える

(でも、両方好きじゃない)

さて実力はどっちが上か?
と外野から無責任に眺めてみると
村上春樹は、日本人と出版社の欲しいあの賞を手にするには
ちょっと足りないところを感じてしまう
それは全身全霊をかけた戦いのような
精神の極限体験が(苦悩が)不足しているような
(技術的には出来上がっているとしても〉

三島由紀夫はちょっとわからない
ただ頭が良すぎて、人工的すぎてついて行けないところも
感じてしまう
何故だか、トーマス・マンを連想してしまう時期があった

三島由紀夫でなくて川端康成がノーベル賞を受けたのは
自分としては納得

同様に、オルハン・パムクが受賞して村上春樹が
もらえていないのも納得してしまう

ま、何にせよどうでもいいことなのだけれど

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和泉式部日記

2013年02月07日 20時22分43秒 | 

相変わらず現代語訳での鑑賞
それも覗き趣味的な興味で!
つまりスキャンダラスな週刊誌の記事を
読む感じで接しているのが「和泉式部日記」

なにしろ最初の書き出しがいい

夢よりもはかなき世の中を歎きわびつつ明かし暮らすほどに、
四月十余日にもなりぬれば、木の下くらがりもてゆく‥

つかみは最高
(北杜夫の幽霊も好きな冒頭の文章だが、
 それと同じくらいお気に入りの部類に入るかも)
奥の細道よりも理屈っぽくなくて
すんなり入っていける

しかし、流麗な古文を読みこなすのはしんどくて
直ぐに現代語訳に!
肝心な歌の部分は少し飛ばして、まずは大筋の
流れの把握を!

なるほど、こういう女なのか!
その時代の習慣がわからないので、この登場人物たちが
ふしだらかどうかは分からないが
男も女も何やらあの方面は緩い感じ
でも恋する気持ちに関する様々な感情は
わからなくもない
というか、歌という表現手段をとっているだけ
余計に色っぽく感じてしまう

確かに才女
この才能に長けたインテリっぽいところを見せられると
男はちょっと参ってしまうかもしれない?
などと思ったりして、、、

でもこの本は歴史上、この時代にこういう本があった
とは書かれても、古文の教科書の題材としては
扱われにくいかな
あまりにも生々しくて

もっとも、だからこそ面白くて
勉強の励みになるかもしれないのだが

今度の京都旅行ののお訪ねスポット
和泉式部の寺「誠心院」

待賢門院璋子の法金剛院
村山たか女の金福寺
そして和泉式部の誠心院
ちょっと不幸な女性のお寺さん巡りは
それはそれで興味深いかも

京都に行きたくなってしまった

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