パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

負けてよかった?

2010年02月14日 21時12分41秒 | サッカー
東アジア選手権 日本対韓国
1-3で逆転負け

弱いなあ!
韓国もそんなに強くは思えなかったけれど
その韓国にこの結果

サッカーは選手がやるものだけれど
監督にも今回は責任ありそう
先発メンバーは現時点での最高のメンバー
というか慣れているだけのメンバー構成
得点がとれていないのにどうやって得点しようとするのか
おおいに疑問

ホワーッとPKで得点したから
なにか変なリズムに!
この審判ではまたPKがあるかも!
と思ったらやっぱり

韓国の2点目
このFWはセンスある
そして3点目
落ち着いてインサイドキックでコースを狙って!

昔、韓国に肝心なところで負けていた時
(ボコボコに押されて負けていた時)と比べて
今日は離されてしまったけれど
それ程差がないのは感じるけれど
やっぱり何かが欠けている

監督に責任の全てがあるとは思わないが
それでも長い時間をかけて練習しているのだから
その練習やコンセプト自体に間違いがあったり
現実的な面がなかったりしているのではないのか
選手の選び方、起用方法、時間をさくべき練習の内容に
反省すべき点はないか?

最後の交代枠
玉田が代わるのはわかるけれど
何故、流れが変わるような人にしなかったのか
このままの流れでは点は入りにくいのが見えているのに
この点で勝負師としての岡田監督に疑問が、
そしてこれが岡田監督の限界かもしれない
とも残念ながら思わざるをえない

内田、やっぱりトラップが
DFだからMFやFWほど繊細なトラップは必要ないかもしれないけど
キチンとできていればビッグチャンスになるところが2.3あった
それとクロスを簡単に相手のDFに当てすぎ

それにしてもこのチーム、ドリブルが全然ない
前にいく力が感じられない
韓国の選手のほうが一人ひとりが
必要な技術をキチンと適切に使いこなしている
ドリブルもシュートも1対1でのボール扱い
そして闘争心も!

正直なところ先日の中国戦
楢崎のファインプレーで負けを逃れたが
あの時負けていた方が良かったのかもしれない
なまじっか中途半端な結果だっただけに
もやもやが残っただけ

今日の負けは、その意味では仕切り直しのきっかけになるかもしれない
といっても岡田監督ではこれから先も予想できてしまうし
劇的変化は望めそうもないし、時間はないし
困ったもんだ

この際、国民がリスクを承知で民主党に政権交代したみたいに
代表監督も交代を考えても不思議ではないかもしれない

これはネットではちょくちょく聞こえる話題だけれど
はたして大手のマスコミはどう報ずるか?

今日の仲間に中村俊は入って
弱い相手とやって(強くても真面目モードではない相手とやって)
また中途半端な結果になってしまうと
現実主義者の岡田監督はリスク回避ばかりに走りそう

困るのは時間が無いこと
戦う集団になっていないこと
ワールドカップまで後4ヶ月 大丈夫かな?
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outlook express からoutlookへ

2010年02月13日 21時23分27秒 | Weblog
XPのoutlook expressから7のoutlookに
データを移し替えるのにヘルプにあるように
インポートとやってもできなかったが
windows転送ツールといものを(偶然見かけた)
使ってみたら無事完了

やっと面倒なというより大切なメールが
こちらのパソコンでも見られるので
大いに助かる

まずは7の
スタート>プログラム>アクセサリ>システムツール>windows転送ツール
といってそのソフトをHDかなにかに保存
次に以前のコンピュータにwindows転送ツールの入ったHDをつないで
立ち上げ転送するデータをつくり
出来上がったファイルをまた外付けのHDに入れる
そしてそのファイルの入ったHDを7のコンピュータにつなぎ
windows転送ツールを立ち上げ外付けのHDに入ったファイルを選択し
転送をおこなう
これで完了

メールはアカウント設定はしなければならなかったし
ルールも転送できなかったが
とりあえずは良しとしよう(やれやれ)

それにしてもわからないことが多すぎる
外付けのHD未使用部分はまだ十分あるはずなのに
(転送ファイルよりだいぶ多めにあるはずなのに)
転送ファイルをコピーしようとすると
「HDの容量が不足しています」のメッセージ

中身を削除して何度もやっても同じことの繰り返し
結局、フォーマットしてまっさらからスタート
それでできた次第
(フォーマット前は何故できなかったのだろう?)

この転送のこと、実は昨日本屋でwindows7がらみの解説書を
立ち読みしたのだけれど見つけられなかった
これって必要な情報だと思うのだけれど何故
見つけやすい所に書いてあるとか
公になっていないのかな?

しかし、当事者が便利になったと言っているソフトも
結構使いにくいのもある
(単に慣れの問題か?)
無理して使用方法を変えることはないのに
と思うのは自分だけではないと思うのだが、、

コンピュータが家電の領域になるまでには
まだまだ時間がかかりそう
(iPadがその壁を破る?
 それともiPadはそもそも使いようがないオモチャ?)
次の時代はどうなる事やら




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すごいやつはどこか変っている

2010年02月12日 22時35分23秒 | Weblog
朝青竜
タイガー・ウッズ
マラドーナ

それぞれある意味では超人的な能力の持ち主
しかし、実生活は、、、

どうも残念なことに天は2物を与えずは本当らしい
素晴らしいパフォーマンスと素晴らしい人間性
それがあるにこしたことはないのだけれど
そうはうまくいかない

朝青竜が普通のいい人だったら
あれだけの集中力が保持できたか?
あのような性格だからあれだけの成績を残せた
とは言えないか?

普通の人は(自分も含めて)普通の感覚で
普通の基準で物事を判断する
しかし、多分彼らは我々の基準以上のポテンシャルを持つ

燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)を知らん

いい悪いは別にして確かにこういう世界は存在する
ある意味、突出した変人も暮らしていける
懐の深い世界が一番ではないのか

彼らスーパーマンも我々の知らないところで
悩んでいたりするかもしれない

結局みんな一緒
すごいやつも、平凡な奴も
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東アジア選手権 香港戦の感想ではなく

2010年02月11日 22時00分10秒 | サッカー
今日情けない戦いをしたなら岡田監督
またまたブーイングの嵐だったろうに
とりあえず結果だけは3-0
サポーターも評価が難しいところ

いつもは疑問の多い大久保もパスとボールさばきで
今日はまあまあ
さすがに体もゲームに慣れてきたようで
玉田、中村もちょっとシャープさを見せるようになった

しかし、今日はこのゲームではなく
その後何の気なしに見たセリエAのミラン対ボローニャ
との比較について

代表の縦に行くスピードがないのはなぜだろう
どうしたらスピードをあげることができるか
そんなことをいつも思うのだが
このセリエA の戦いを見てフト気付いたことがある
それは選手間がそれほど狭くない、近くないということ
コンパクトなサッカーの本家と思っていたが意外や意外
割合一人のスペースがある
だから前にドリブルで仕掛けたり
縦に強いパスを送ることになる

そうか、日本は選手間が近すぎて蓋をしてしまうために
加速できないのかもしれない
それに反転してボールを前に運ぶタイプのFWがいないから
どうしてもバイタルエリアへの侵入が少なくなってしまう
コンパクトなサッカー
適切な距離感
このお題目がまたまた日本人の悪いほうに作用してしまったのかもしれない

どうにも自由のない窮屈なサッカー
言われた言葉ばかりをするサッカー

ところで外国のサッカーをみるとつくづく基本は
1対1であることを再確認する
それは攻めるほうも守るほうも、、
「一人でできることは一人でしなさい」
みたいな感じ

それは一般の仕事でもそう
一人でできることをわざわざ皆でするのは公務員だけ!
効率が悪い

一人がきちんと自分の仕事をしている間に
別の人は別の仕事に取り組む
それがプロの仕事ぶりなのでは


そういえば日本には優秀なFWがいないといわれるが
同様に優秀なDFもいないのでは
いると思われるのは責任や評価の難しいMFだけ

結局、もっと一人ひとりのレベルが上がり
個も確立した戦う男にならないと
ひ弱さから抜け出せないような気がするが、、、
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モノの価格

2010年02月10日 21時38分11秒 | Weblog
おそらく人がなんども繰り返す失敗は
「安物買いの銭失い」

昨日のノートパソコンがそうだった!
とまでは言わないけれど
質感、使い心地の面で
「この価格だから仕方ないか」
と自分に言い聞かせているのも事実

モノには適切な価格があるに違いない
単に「市場が決める」だけではなく
確かにかかった材料代、人件費、費用、時間に
儲けを加えて価格とする
そしてその商品は製作者の価値判断により
どこまでこだわり、どこで妥協するかを決める

そこで決めた価格が世間で受け入れられるか否か?
この意味で価格は市場が決めるということになる

ところが現在は売れ筋の価格設定から全てがスタート
逆算によって材料、時間、費用を求める
(利益は確保しておいて)
ところがその利益さえも容易に得らない状況では
必然的にどこかにしわ寄せが来ることになる

肉の偽装、商品の使い回し、そして今回のトヨタの
不祥事も根っこは同じ

「いいものを安く!」
は言葉の上では理想だけれど、実際には
「それなりの価格にはそれなりの商品」
が現実

ここで話は変わるけれど、
以前年配の女性からこんな質問を受けた
「ここに松竹梅の価格の礼服があるとして
 ひとつ買わなければならないとしたら
 そのランクのモノを求める?」

自分
「年に何回も使うもんじゃないから
 一番安いやつ」
女性
「でもこのくらいの歳になると
 人から見られて恥ずかしいものは
 身につけていられないから私は高いものを」
自分
「女性は大変だ!
 たぶん女性同士のチェックが厳しいからなんだろうけれど」
そんな風にその時は思ったが、
今はちょっと違うかもしれない

年齢を重ねると様々な、いいもの悪いものを見て
知らず知らずモノを見抜く目が養われる

一旦いいものを見てしまうと正直なところ
そこまでいたっていない商品を手にするのには
抵抗感があるかもしれない 

素材感、発色、全体の印象
それらは価格の安さだけの判断以上になりえる

何をもって適切な価格とするかは難しい問題だけれど
安ければいい!
だけの社会はそろそろ抜け出さないと
皆が疲弊するだけになってしまう
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新しいノートパソコン

2010年02月09日 22時25分46秒 | Weblog
とうとうあきらめて新しいノートパソコンを購入した
いったん直ったかにみえたが、変になりだしてからは
全然良くなる兆しがなく、困った末にネットで購入

性能的には今回が一番だけれど価格は一番安い
そんなことはよく見られることだが
自分が意外に感じたのはパソコンに対する感覚の変化

以前は新しいものを手に入れるなら心がワクワクしていたのに
今回は全然そんなことはない
最新のwindows7のOSだというのに品物が届くまで待ち遠しい
などということもない
むしろ、余分な出費になってガッカリといった感じ

カッターシャツやネクタイなど、
おしゃれに関心のない自分は
この手のものが痛んできて買わざるをえなくなった時
もったいないな!とかできれば買いたくないのに
などと思ったが今回もそれと同じ感覚

つまりパソコンは必要だけれど
できればそれほどお金をかけたくない商品になっている
そしてパソコン自体には関心も薄くなって
関心があるのはパソコンを通じてえられるサービスのほうになっている

そういえば家電屋さんでも最近は以前のようにパソコンが
大きな展示スペースを占めることはなくなっている
難しいコンピュータから家電にシフトしたような扱い

さてセットアップも終わり7の印象は?

こんなものか
たいした感動はない
そして正直なところアップルの商品に比べどこかデザイン的にイマイチ、
(パソコン自体の作りではなくディスプレーや使い勝手が)

よく言われるようにwindowsは仕事
アップルはクリエイティブとか遊び
といわれるのも納得がいく

ところで7からはoutlook expresがなくなって
outlookになったようだけど以前のoutlook expresのフォルダから
メールやアドレス帳、アカウント、ルールを
簡単にインポートできないのは(自分ができないだけ?)
なんだか腹が立ってきた

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わからないけれど心地よいもの

2010年02月08日 21時12分28秒 | Weblog
「わかる」ということが
何を意味しているかはさておき
「なんだかわからない」
というものでも心地よく思われるものはある

ミロの絵
ベルクの音楽

これらはそうしたものの一つ
そしてそれは比較することによってその思いを強くする

同じ抽象画でもピカソより自分はミロがいい
ピカソは圧倒的に上手いとか凄いとは思うものの、
ミロを初めて見た時の衝撃は忘れられない

デパートの催事で版画即売をしていて
その中の一点がミロの作品だったのだが
(その時は名前すら知らなかった)
ほんのハガキ数枚の大きさの中に赤と黒の
ワケの分からないものが描かれて(?)いた
それを見た時
「なんてあったかい絵なんだろう」
「優しさに溢れていて無邪気で子供みたい」

絵の下には「miro」の文字
ミロか!
要チェック

それからはいろいろ調べたり、様々な人との比較もしたが
クレーよりもダリよりもモンドリアンよりも
自分はミロがいい
だが正直なところなぜだか分からない

同じようなことがベルクにも言える
シェーンベルクよりヴェーベルンよりもベルクがいい

音楽史的にどうのこうのいう前に
昔ベルクの作品1のピアノソナタをNHKテレビで
バレンボイムの演奏で聞いたとき
単純にきれいだな、まるで虹みたいな音色
今にしてみれば、何故そう感じたのか分からないが
ただそのような言葉が頭に浮かんだのを
今でも覚えている

ベルクのオペラ「ヴォツェック」も気持ち悪い内容の題材だが
音楽自体は気持ち悪さを効果的に表現
しかし、またまたなぜだかわからないけれどどこか惹かれる

反対にどうもバルトーク、プロコフィエフは苦手
シェーンベルクは関心がない
ヴェーベルンはもしかしたら、もう少ししたら
気に入るようになるかもしれない

わからないけど気に入るもの
たしかにそういうものは存在する

そして、こうした一見無駄なものが
どれだけ世界を豊かにしていてくれることか

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6年、最後の公式戦

2010年02月07日 19時50分09秒 | サッカー
今日は今年最後の公式戦
と言っても自分の担当の1.2年生ではなく
6年を主体としたチームのこと

この時期、風と寒さが大変だが今日は
ラッキーなことに両方共たいしたことなし

公式戦で見かける楽しみのひとつ
それは各チームの練習方法を見られること
なるほどいろんな練習の仕方があるものだ
そこでのちょっとしたプレーで大体の実力が分かる
つもりでいたが、案外試合になるとしぶといチームもいた

最近はどこのチームもラダーあるいはカラーコーンでの
ステップワークをアップに取り入れている
我々も取り入れているが確かにこれは効果がある

試合前だからシュート練習が多いけれど
案外きちんとインステップでキック出来ていない
強いシュートは撃てていても当たり所が悪かったり
踏み込みが悪くて、ついでに蹴っているような
そんな子が結構目に付く

かくいう我々もそうなのだが、、

試合になる度に基本的な技術の大切さを感じることが多い
キチンと止める、キチンと適切な速さ、タイミング、
コースにパスを出す

だがこのことはしっかり練習させようとすると
なかなか難しい
とりあえずはトラップもキックもパスもできている
それなのにいちいち細かいことを口うるさく言われるのは
子供達にとっては苦痛だし、退屈なことなことかもしれない

だったら退屈しないで興味もってもらえるように
練習方法を考えださなくてはいけないかもしれないが

6年生くらいになると、だいたいどこのチームも
勝ちを目指して取り組むのでベンチからの指示も
ポジションの位置どりかなにかが多かったりする

これは3年ほど前に出会ったチーム以外は
ほとんど同じようだ

その例外的なチームは話す機会があったときに聞いたことだが
フォーメーション等は全然決めない
一人の子が前をやったり後ろをやったり
組織で守るなんてことしないで
一人でドリブル突破仕掛けていくようにしている

確かに一人ひとりのスキルは大したものだった
一人一人が持てるからプレーに余裕があって
後から後から人が湧いてでるような攻撃がなされていて
見ていてそれは楽しかった

練習方法はそのコーチの方向性が現れている
試合に勝つために練習は行われるのだが
それが短期なのか
それとも数年後に効果の上がることをしようとしているのか
大きく分かれる

ここのところが実はコーチのエゴになっていないか
日本サッカー協会でも指導方針は出していても
いざ現場はなかなかその通りには行かない

結局、いろんな考えがあって
いろんなチームが出来るわけだが
自分の立場を明らかにするならば
将来伸びしろの大きな子に育てたい
その意味では、例外的なチームのコーチと
考え方は近い

いろんな状況下、
大人たちは答えを知っているから
子供達に答えを教えたり、答えに至る方法を教える
しかし、それでいいのかな?
大人たちは子供達が答えを見つけ出す方法を
提供するだけでいいのではないのかな?

そして子供達がそれを見つけたとき
ちゃんと「それでいい!」と言ってあげること
つまりは子ども一人ひとりを関心をもって
見ていてあげること
それが一番なのではないのかな

さて今日の試合
最初は4-1で勝ち
次は1-2で負け
一回でも勝てたから良かったものの
やるべき事は数多く見つかったが
6年にはもう時間が無い(残念!)




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東アジア選手権 対中国戦

2010年02月06日 22時29分47秒 | サッカー
先発メンバーを見て
岡田監督 本当に大久保が好きなんだなあ
機能しているか?どうかはさておいて
好きなものはどうしようもない
と諦めるしかないか

先日のベネズエラ戦から
外したのは稲本ではなく小笠原
稲本はいぜんのキレが無く、
レギュラーを向こうでも取れなかったのは
分かるような気がした(前回のゲームでは)
今日は試合勘を戻すための期待を込めてなのか

一体岡田監督はどうやって点を取るつもりなんだろう
すばしっこい玉田、岡崎、大久保ではたして、、、

これが戦前の感想
そして結果は0-0の引き分け

このチーム今まででの日本代表の中で
一番攻撃力のないチームなのでは
アジアの中では通用しても
(ワールドカップ予選でも決定力不足だったが)
これから先はキツそう

なんだか言いたくはないが
岡田監督、だんだんジーコのパターンになってきた
勝ちにこだわるのでメンバーを固め
期待された人材を結局は使わないでいるような

人にはそれぞれの考え方があり
日本代表監督ともなれば、
どのみちいろんなことを言われるのだろうけれど
すこしばかり、いやおおいに心配

もう時間が無いから仕方ないけれど
高原、ベストフォームに復活しないかな
それがだめなら平山にもう少し時間を、、、
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不景気のせいだけじゃなく

2010年02月04日 22時27分12秒 | Weblog
多くの人が閉塞感、不安感に包まれているのは
猛烈に世の中自体が変化していて
その行き先が皆目見当が付かないから

様々な見方があるだろうけれど
誤解を恐れずに言ってしまえば問題は二つ

まずは日本は成熟社会になっているということ
モノはすでに身の回りに溢れていて
もう欲しいものはない!
(もちろんそうでない人も多くいるけれど)
だから無理やり欲望を喚起しても
なかなか消費に結びつかない

次に、労働の質、仕事の内容が
単純な誰にでもできる、そのために置き換え可能なものに
なっているということ
(だから安い金額で使われてしまうし、そこから抜け出したくても
 あるのはそんな仕事ばかり)
ファストフード、コンビニの店員さん
工場のラインの作業
事務の仕事ですら単なる入力だけの特別の知識も
スキルもいらない

確かに何人かは、仕事は一生勉強するもの
と言える人は存在する
だがラインの仕事等では決してそんなことはない

不景気はいつか回復するかもしれない
しかしもう旧来の数字(GDP,売上、利益など)の比較によって
幸せ度を計ろうとするのは無理かもしれない

この国は老齢化も世界の先頭を走っているようだし
もしかして、物質的な所有(平均的な)もトップかもしれない
本当は物事の捉え方は変化しなくてはいけないかもしれない

ところが、多くのビジネス本は
社会的成功をよしとして成功の秘訣を説く
(努力の継続、あるいはマニュアルを説いて)
しかし人間の大半は努力をしなければ!と
わかっていてもできない人たち(自分もそう)

本当は、大声では言えないが
大概の人が大概の仕事をして大概の幸せを
つかめるのが目指すべき社会のような気がする
努力は報われるのは、それはそれで素晴らしいが
努力が全ての弱肉強食社会はちょっとパスしたい気分
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