パンセ(みたいなものを目指して)

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日進市、豊橋市、新城市の住民投票

2024年05月21日 09時25分02秒 | あれこれ考えること

家のすぐ近くの人が日進市に嫁いで市議会議員になった
行動力と思いが市民に支持されて、もう何年間も議員を続けている

その日進市で住民投票が行われるそうだ
日進市が主体となって進める道の駅が、このところの材料の値上げラッシュで
予想したものよりも高額となりそうなので、ここで一度住民投票をして
市民の意見を確かめようとするものらしい

今は署名のチェックをしていて、その数が規定に達していれば住民投票は
行われ、そこでは市議会での議決を必要としないようだ
豊橋市でもアリーナ建設に関して何回か署名活動をして住民投票を求めたが
これは市議会の反対にあって実行されていない

日進市は市議会の議決なしで住民投票が行われ、豊橋市は市議会の否決で
住民投票は行われない
これは、住民投票に関する法律の違いからで、日進市は規定の署名数をこえると
市議会の議決を必要としない独自の住民投票条例がある
ところが豊橋市にはそれはないので、地方自治法による署名数のハードルは低いが
市議会の議決が必要となっているのだ

ところで他市の住民投票のことを話題にしているが
新城市にも市議会の議決を必要としない独自の住民投票条例がある
議決を必要としないので署名数のハードルは高い
選挙権のある人の三分の一が必要だ
ところが、調べてみると日進市は六分の一のようだ

つまり新城市は議決を必要としないので住民投票ができやすいと思いきや
署名数がかなり必要となっていて住民投票がしやすい環境下ではないようだ

おまけに、新城市の住民投票条例にはそれに付随する規則というものがあって
住民投票をしたいといって署名活動をするには、住民投票をする意味が有るか無いかを
検討する「市民自治会議」での判断を必要としている
この市民自治会議というのが曲者で、制度的には市長の諮問機関との存在で
いわば市長の問いに関して答え(答申)を出すことになっている
ここで、その住民投票にする意味が有るか無いかを判断する時に
住民投票の内容が市長に不利な案件(市長の予算提案権に反するもの)だとしたら
市民自治会議は公平中立に行われるのだろうかと疑問を覚える

これは9年ほど前に現実の問題となった
そして結果的に市民自治会議は無意味な存在と思えるようなものになった

行政には条例とか規則とか要項とか一般人には聞き慣れないものあがある
条例は市議会議員の議決が必要だが規則とか要項などは議決は必要ではなく
現場で決められるようだ
現場で決められるものは全体(市民)の利益になっているのだろうか?
偏屈な自分はその時から、これが疑問で仕方なかった

新城市の住民投票は議員提案の形で行われることになったが
これが本当に酷い内容で、これが自分が市政に関心を持つきっかけとなった
それはこのブログの「住民投票」のカテゴリーにいろいろ書いているが
今でも思い出すたびに怒りを覚えてしまう

日進市の住民投票が、後の分断を産まないようになされることを望みたい





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