パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

野次

2024年06月08日 09時34分13秒 | あれこれ考えること

ネタはどちらにしようかと迷ったが、あまり面白くないけど真面目な方を

野次は一般的に良いものではない(とされる)が
自分は野次ったことが二回ある(覚えているのは)
今は少しばかり分別臭くなってじっと聞いていられるが
10年ほど前の血気盛んだった頃の話だ

新城市は新庁舎建設計画について住民投票が行わることになった
すんなりそれが可能になったのではなく、みっともないほどの経過を経て
行われることになったのだが、住民投票を前にして「市民まちづくり集会」
が催されることになった
そこで住民投票の選択肢の良し悪しの判断材料となる討論が展開されるはずだった
(少なくとも住民は選挙における公開討論会のようなイメージをもっていたはず)

新城文化会館に集まった市民を前に、壇上に立ったのは従来の計画を進めたい行政と
その方針に反対で住民投票を求める運動をした人だった
ところが、一般人が思うような公平に討論が行われたかと言えば全くそうではなかった
まずは単純に説明時間が大きく違った
行政の説明時間はしっかり時間が確保されていた
だが行政案に反対し住民投票を求めて運動した人の説明時間は数分と限定されて
とても短かった(この人たちの案が住民投票の選択肢の一つだった)
それでも、とりあえず両論を比較するようそれぞれの立場から一人づつ代表者が
自分たちの考え方のほうが良いと訴えた
その中で事件がおきた
現行案に反対する立場の人間が、自分たちの考えには欠点があると会場で口にしたのだ

具体的には大きな予算を必要とする案よりは、既存の施設を使って身の丈にあったものに
したほうが良いというのが行政に対する案だったのだが、その立場を説明する人が
「使い続けたほうが良いとする東庁舎は雨漏りがする」と言い出したのだった

その人物は元市議で、新城市で進めている地域自治区制度の事務所長の一人だった
そもそもこの集会が全く公平に進められているか、発言時間の差から違和感を
持っていたのだが、これには瞬間湯沸かし器のように一瞬で熱くなった

「それをあんたの立場で言うのはおかしいだろう」
多分そんなことを声を出した気がする
それをきっかけに会場では怒号が広がり集会は少し荒れてしまった

ところで東庁舎の雨漏りについては、後日確かめたところ
雨漏りの事実はあったが、それは施設の不備というよりは雨樋に枯れ葉が溜まって
雨がオーバーフローしたために起き、枯れ葉の除去をしたら解決して
そのためのお金は必要としなかったとの説明を受けた
つまりは雨漏りは単に管理が悪かっただけのことだ

このまちづくり集会は、個人的には本当に怒りを覚える集会で
誰もが公平に両論の優劣を判断するためのものになっていなかった
これを運営したメンバーは、そもそもまちづくり集会は
それを運営委託したところの指示なり方針、考え方によって運営されるものであって
必ずしも両論の良し悪しの参考にするような集会ではないと口にした

一般的には無条件に両論を公平に扱っていると思われるものが
専門家しかわかり得ないような言葉の解釈による理屈で
偏っていても正当に運営されているとする
これっていったい何だろう?

行政主導のまちづくり集会で、その運営は実行委員会に任され
  大事なのはその方針に従って行われることであって、公平さが重要ではない
だから公平に行われていると思った市民がそれを聞いて間違った判断をしても
間違った方が悪いとでも言うのだろうか

昔のことをここで取り上げたのは、こうしたことが今でも少なからず起きていそう
と思われるからだ
物事は、「ああ言えば、こう言う」ということがいたるところで起きている
そしてそれは実態よりも書かれた文章とかその解釈に重心が置かれている

庶民は何よりも実態・現実を基本に何か行われるべきと思っていても
法に詳しい人々は何やら難しい理屈とか文章の解釈で庶民を煙に巻いてしまう
これはマックス・ウェーバーが「法と支配」の考察の中での
専門職の知識・文章による支配(?)みたいなことと似てる気がする

ということで、久しぶりに思い出したらまた怒りを覚えてきた
野次のもう一つは、これは長くなったのでカットする







コメント
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