昨年のワールドカップの時も
今年の女子のワールドカップでも
「チームが一丸となって戦ったのが良かった」
と、この一言が魔法の呪文のように広まり
まるで、チームが一致団結すれば全てが解決し
それに異を唱える人は肩身が狭い気がしたものだが
自分はその肩身の狭い思いをした方の一人
どうしてチームワーク中心の説に賛同できないか、
考えてみると、チームワークという言葉自体が、日本では
「足りないものを別の人が補う」的なニュアンスがあるからと気づいた
一人で守れないから、攻めることができないから
他の人が手伝う
この考え方はわからないでもないが一歩間違えると
責任回避になってしまう
「日本では」と限定した言葉を使ったのは
外国では「チームワーク」のにニュアンスが違うように感じられるからだ
そこでは、一人ひとりが自分の責任を徹底的に果たすのが当たり前で
あるときは他人の分野まで進出しようとする
ところが皆、俺が俺が!では収集がつかなくなって
そこで「効率的な活動のために」チームワークが必要となる
本当のチームワークは「足りないところを補う」のではなくて
自分の特徴、責任を効率的に発揮する
ということなのではないか
もっとも、職人集団は個性が強くて
一致団結しにくいからこそ
今回は全体が団結していたから良かった
というような言葉が出たのだろうけれど
ここまで行くとどうしても日本人論、社会の成り立ちまで
話は広がっていきそう
農耕民族だからある季節には皆で助けあって
ともに活動するのはわからないではないが
そろそろ、一人でも勝負できるようにならないとアカン!
と思うのは杞憂であればいいのだが