パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

言葉以外のメッセージ

2024年05月27日 10時45分04秒 | あれこれ考えること

既に何人かの人が「光る君へ」の中の別れる時の言葉
「お健やかに」は品が良いという指摘をしている
確かに「おすこやかに」は濁らずきれいな音で
現代でも真似してみる価値はありそうだ

ところで昨日の一場面で気になったことは
まひろと道長の二人だけのシーン
「伊周、隆家を引きずり下ろしたのは道長様ですか?」
と聞いたところで、答えたのは「そうだ」の一言
これからのドラマは彼が権力欲に満ちた人間として扱うのだろうか?
と思ったが、長い沈黙の後
「会って聞いてよかった。答えた時の表情から(それは嘘と)わかって
 道長様は変わっていない」
とまひろは口にして、嘘がバレた道長は自虐的に本音を漏らす

気になったのは、もしこれが裁判であったなら会話は文字に残され
それは二人を引きずり降ろしたのは道長と自白した証拠になりうるという点だ
つまり言葉以外のメッセージは全く逆のことを示しているが
記録として残るのは彼の本音ではない言葉という点

残っている文書をそのまま信じて良いものか否か?
これは思いのほか難しいように思われる

以前、市の職員に高速バスの補助金が一年だけになった理由を聞いたことがあった
職員が補助金を扱う官僚さんと話していた時は
「数年継続して補助金を受けられる制度ですが、継続されないこともあります」
と無難に答えたが、言外のメッセージは
「大丈夫ですよ、次年度も大丈夫です」の意思を感じ取ったらしい
つまりは匂わせたことと、その結果とは違いがあったということ
だが記録に残るのは匂わせたことではなくて言葉のみ
官僚は間違った発言はしていないとして責任を問われることはない

今回、証拠は文書化されていないと話にならないことは
痛いほど実感したが、言葉以外のメッセージがある場合はとても難しい
例えば市の指示は文書に残されていても
言外のメッセージはどのようなものであったのか?
それは一切わからないということになる
こうして欲しいということは阿吽の呼吸で伝えられたとしても
その内容は文書として残っていないということは一般的にあるようだ

大河ドラマを見ていても、こんなことが気になるとは
少しばかり精神が疲れているのかもしれない




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