第4日曜の今日は新城軽トラ市の開催日
冬場のこの時期に絶対購入したいものがある
(どうか今日販売していますように!)
それは干し柿だ
正月を前にして家族はそれぞれ好きなものを奮発して購入する
自分は干し柿、えらい人は数の子、別の人は少し豪華な牛肉
自分が干し柿が好きなのは思い出につながるからだ
「失われた時を求めて」のマドレーヌの記憶のように
干し柿を食べると決まって思い出すシーンがある
それは祖母の部屋での出来事
日差しが入る部屋のこたつにあたりながら
小さな自分は串に刺された干し柿を食べる
干し柿は少しかび臭いにおいを感じる
そこで祖母と一言二言会話を交わす
なんてことない普通の出来事だが、このシーンはいつまで経っても
記憶から消えることはない
その時は気づかなかったが、その時の自分は幸せだったと「今」思う
何をしても、大きく受け入れてくれた祖母
いつも安心感の中にいた自分(本当におばあちゃん子だった)
今は祖母の役割を自分たちがしなければならないが
むかし子どもだった自分が味わった幸福な時間を
できるだけ多くの人に感じさせてあげたいと思う
記憶は不思議だ
この干し柿の記憶は年々薄れていくどころか
ますますリアリティをもって蘇ってくる
ところで、干し柿を軽トラ市で購入できなかったら
別の場所で購入するから困ることはないが
いつものあの人から安く買えると良いのだが(リンゴのおまけも付くし?)
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