パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

21世紀の資本、読書中!

2015年01月30日 18時57分28秒 | 

ピケティの「21世紀の資本」

思いの外読みやすいと思ったのは少し前の話
最近は一日に20ページ位のペース
歳のせいで昨日の記憶が怪しくて
それまでの話が何だったのか?といった寂しい状態

それでも半分くらいは読んだとは言わないが
とにかくページを捲った

この本のタイトルが、「21世紀の資本」で
「21世紀の資本論」
つまり「論」の文字がないのはうなずける

確かに数式は出てくるが中心となるのは
膨大な資料・データによる現状や過去の分析
それは論ではなく、報告の部類

この人が格差について関心を持って
この現実を放っておけないのは人として
信用するの値するように感じる

さて今日読んだところは所得と資産の
上位1%、5%とその反対の人々との比較
これはこうして実際に数字に表されなくても
薄々皆が感じていること
それが、はっきりと公言されたことは大きい

そしてこの現実を目の当たりにして
自分に起きた感情は、何か怒りに似ている
スーパーな経営者がとんでもないような所得を確保する
それを自分は羨ましいと感じるよりも
まず先におかしいのではないか
と怒りを感じるということ

もちろん、自分がスーパーな経営者の立場になるようなことがあったら
なにもそんな風には感じないかもしれない
しかし、今は、というより絶対にそんな存在には成れないから
僻みも含めて批判的な感情のほうが先立つ

もともと小市民の自分は、勝ち組になるためのメンタリティは無いし
そのたぐいの人になりたいという意志が無い
そんなことよりももう少し別の方に興味がある
それがなんであったかはさておき、、、

話は急に飛んである時ビル・ゲイツの資産は4兆円
この4桃円と言う数字を具体的にイメージするには
毎日1億円使えば一年で365億円
10年で3650億円ちょっと
そして100年で3兆6500億円と少し
つまり毎日1億円を100年間使い続けられるということ

しかし凄いなと感心するより
なんか馬鹿げてるとしか思えない
国家予算よりも大きな資産を持って
どうするのだろうと考えてしまう

もちろん寄付や慈善団体を作って
社会に有益な活動をしているとされているが
それでも、膨大な金額が少数に集約するのは
どこかまともでない気がしてならない

富める者の弱者へ実際に行動を起こす
優しい眼差し
そうしたものが今は欠如していないか
勝ち組になることがアメリカンドリームみたいな
幻想に皆がとらわれていないか

スーパーな経営者の報酬は
努力の証、成果の正当な報酬
それを簡単にそんな風に言い切ってはいけない現実がある
今は単純にアメリカンドリームを実現できる世界ではない

それにしても、日本ではこの手の本が出てこないのは
少し残念だ

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いい話なんだけど、素直に聞... | トップ | ブルックナー8番、第一稿によ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事